風とともに 

福島の汚染地域のひとたちがどうして避難(疎開)できないかアメーバで書いていたら突然削除されました

コワイ国です

防護服の男(真相編)

2016-08-08 21:50:55 | 福島の悲劇

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防護服の男
第1章 頼む、逃げてくれ
http://astand.asahi.com/webshinsho/asahi/asahishimbun/product/2011102700007.html
 福島県浪江町の津島地区。東京電力福島第一原発から約30キロ北西の山あいにある。
 原発事故から一夜明けた2011年3月12日、原発10キロ圏内の海沿いの地域から、1万人の人たちが津島地区に逃れてきた。小中学校や公民館、寺だけでは足りず、人々は民家にも泊めてもらった。
 菅野(かんの)みずえ(59)の家にも朝から次々と人がやってきて、夜には25人になった。多くが親戚や知人だったが、見知らぬ人もいた。
 築180年の古民家を壊して新築した家だ。門構えが立派で、敷地は広い。20畳の大部屋もある。避難者を受け入れるにはちょうどよかった。門の中は人々の車でいっぱいになった。
 「原発で何が起きたのか知らないが、ここまで来れば大丈夫だろう」。人々はとりあえずほっとした表情だった。
 みずえは2台の圧力鍋で米を7合ずつ炊き、晩飯は握り飯と豚汁だった。着の身着のままの避難者たちは大部屋に集まり、握り飯にかぶりついた。
 夕食の後、人々は自己紹介しあい、共同生活のルールを決めた。

一、便器が詰まるのを避けるため、トイレットペーパーは横の段ボール箱に捨てる。
一、炊事や配膳はみんなで手伝う。
一、お互い遠慮するのはやめよう……。

 人々は菅野家の2部屋に分かれて寝ることになった。みずえは家にあるだけの布団を出した。


 そのころ、外に出たみずえは、家の前に白いワゴン車が止まっていることに気づいた。中には白の防護服を着た男が2人乗っており、みずえに向かって何か叫んだ。しかしよく聞き取れない。
 「何? どうしたの?」
 みずえが尋ねた。
 「なんでこんな所にいるんだ! 頼む、逃げてくれ」



 みずえはびっくりした。
 「逃げろといっても……、ここは避難所ですから」
 車の2人がおりてきた。2人ともガスマスクを着けていた
 「放射性物質が拡散しているんだ」。真剣な物言いで、切迫した雰囲気だ。
 家の前の道路は国道114号で、避難所に入りきれない人たちの車がびっしりと停車している。2人の男は、車から外に出た人たちにも「早く車の中に戻れ」と叫んでいた。
 2人の男は、そのまま福島市方面に走り去った。役場の支所に行くでもなく、掲示板に警告を張り出すでもなかった。
 政府は10キロ圏外は安全だと言っていた。なのになぜ、あの2人は防護服を着て、ガスマスクまでしていたのだろう。だいたいあの人たちは誰なのか。


(プロメテウスの罠)6回目の春:8 「防護服の男」その後
2016年3月28日05時00分
http://www.asahi.com/articles/DA3S12281088.html
 (No.1576)

 3月29日、菅野(かんの)みずえ(63)は甲状腺がんの手術を受ける。

 今年2月、何げなく検査を受けたら、甲状腺がんが見つかった。専門病院で調べると、大きさ1・6センチになっていた。すぐに手術をしなければいけないという。

 尋ねる前に、医師から「原発事故とは関係ありません」…









まあ、そういうこと






肺ほじるとでてきますが、








生きている間はほじれません



質の悪い連中はそれを使う
わけ







すなおにいうこと聞いてくれないから


よけいに暴露しちゃった・・





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