若かったころ
半ば国営の通信企業体に勤めて人生安泰のコースを歩んでいた。
企業の幹部への登竜試験にも取りかかり、とりあえず偉くなりたかった。
そんなおりにアメリカのベトナム侵攻が始まった。
週刊誌で「川のなかを逃げまどう母子の姿」を、「後ろ手のベトナム人がアメリカ兵にピストルで頭を撃ち抜かれる」画像をみてしまった。
私は本当に悩んだ。
なんのために私は生きているのか悩んだ。
とても臆病者、小心者の私だっけど「今生きていることの意味と、為さねば成らぬ事の意味」を怯えながらも考えはじめた。
ボブ・ディランやジョン·バエズの歌に共感したし、背中を押された。
ボブの「戦争の親玉」の歌には強く背を押され、ベトナム反戦闘争の渦中に飛び込んでいった。
今もあの頃とかわらない。
戦争を煽る輩は後を絶たない。
正義面して。「国家のため、権益のため~」と煽る。
誰の権益、具体的にどの方の権益ですか~と詰問もしたい。
もちろん彼らは死なない。
安全圏に座っている。
ナショナリズムに煽られた民衆が死ぬ。
「殺るか殺られるか」が人類の到達したイデオロギーなのか。
ロシアもアメリカも、その他諸々の腰巾着どもの戯言を耳にすると腹がたつので、今日は昼から酒をのんだ。
呑んだ勢いで書いている。
不謹慎でしょうか😱
ほんとうに情けないのですよ。
⬆️昨日の散歩で見つけた春。
具体的な反戦行動ができないので今日は「国境なき医師団」へのカンパを送った。
コロナ禍で首相官邸前に立つこともできない老人の精いっぱいの意思表示だ。