子供を産んで一ヶ月くらいの間には
身体の不調なだけじゃなくってホルモンのバランスが崩れるせいで
マタニティブルーになるらしい。
私が産んだ産院では かつて鬱のときにお医者さんから
飲まされていた抗鬱剤がお薬の中に処方され
懐かしい想いで飲んでいたから なんだか元気だったけど
家に帰って薬もなくて 手伝いに来てくれていた母もいなくなり
だんだんと涙もろくなってきて 昨日で泣いたのは三日目だ。
ホルモンバランスの変化であるとか 育児に対する不安だとかと
本には書いてあるけれど なんだか私は淋しくて
家族が三人になったというのに その三人という小さな単位に
なんだか不安を覚えてしまう。三人って 小さいな、、、
大家族のように見えたとしても 靍森家だってはじめの頃は
たった三人の核家族。うちの実家も核家族。それが四人になる日があって
時に六人になってゆく。はじめは誰でも三人で 親になったばかりの
両親と 子供で一緒に育ってく。
京都という離れた土地で 選んでしまった核家族。
出産を終えたとたんに初めて気付く。私も親になったんだ。
親を批判するのは簡単だけど 親になるのは難しく
子供のためにやってるつもりが ほんとは子供のためじゃなかったり
そういう気持ちがよくわかる。こうして試行錯誤をくりかえし
なんとか親になっていく。
けれども一人は淋しくて 先日までは母がいて
今はげんき君が育児休暇をとってるけれど そのうち私は
一人になって ずーっと子供と向き合っていく。
わかるのだろうか?できるのだろうか?家事も全部?
そんなことが可能なのかな 想像するたび不安になっては
核家族ではない家がうらやまくなってしまう。
自由にはいつも不安と淋しさがつきもので
あたたかそうに見える何世帯かの同居には
私には耐え難いような束縛がそこに待っているわけだけど
静かじゃなくって賑やかな 家族の歴史があるような
そんな楽しい家族がいい。一人を産んでみてやっとはじめて
もっと子供がほしいと思う。一人っ子は楽そうだけど
それではなんだか辛そうで 私にも新しい家族の歴史がほしい
母や祖父母や靍森家の両親達が 自分でもがいてきたように
はじまったばかりの私の「家族」 そこにも歴史があるだろう
はじめはみんな不安があった だけど「案ずるより産むが易し」で
なんとかやっていけたらいい
子供達の笑い声 それが風と共に通りぬけるような
そんな家庭になったらいい