alternativeway

パリ、カフェ、子育て、サードプレイス、
新たな時代を感じるものなどに関して
徒然なるままに自分の想いを綴っています。

リラックスした都会の生き方

2011年04月04日 | インフォーマルパブリックライフ

 先日日本を発つ間際 に 同じ団地の友人が
「飛行機で読んでね」といって昨日の夜に
書いたのだという手紙を私に手渡してくれた。
彼女とは引っ越しも間際になってものすごい頻度で
会うようになり 飛び立つ前日の夜なんか
お世話になった近所のおばさんのお家で
晩ご飯を御馳走になったあと 私は色々また
悲しい想いを繰り返し 沢山の段ボール箱に
囲まれながら いたたまれない気持になって
「ごめん、ちょっと寄ってもいい?」と夜の
玄関先に立ち寄って 彼女の前で泣いてしまった。


 それでも次の日の朝は6時すぎには出発で 関空に2人きりで
着いてからは 恐ろしいほどのトラブルが待ち受けてたから
出発3時間前についたといっても 感傷にひたる暇は
全くなくて 気がつけばもう飛行機にのる時間が来ていて
動かない息子の手をむりやり引っ張ってはパスポートを
差し出して なんとか機内に入って行った。


 それから少し余裕があって 彼女の手紙を
読もうとしたら なんだかもう読んでる先から
涙がこぼれて仕方なくって 最後まで読むのが
本当に精一杯だった。渡されたときはちょっと不安で
「もしかして本当は大嫌いでしたとか書いてないよね?」とか
聞いてみたけど「そんなことないって」と彼女は笑って言ってくれ
そうして私はようやくその「飛行機で読んでね」という手紙を
読んで 彼女が私と出会えたことを 
喜んでくれていたということを知ることになる。


 手紙の中には「美樹ちゃんと知り合わなかったら
きっとピクニックもしなかっただろうし
カフェにも行かなかっただろう」と書いてあった
私はそれにはいささか驚き ああ そうなんだ
となんだか不思議な気持になった。

 彼女なんかは なんだかそういうのがとても自然で
慣れてそうな感じだったんだけどな。私たちはよく
団地の目の前の緑ゆたかな公園に行き
私がコーヒーをいれて魔法瓶につめていき
彼女がお菓子を持って来てくれ 親子四人で
のんびりしたり 時には野点をしてみたり
大山崎のアサヒビール山荘に行きピクニックをしたこともある

 そんな彼女が 「私一人だったらそんなこと
しなかっただろう」と書いていた。それに私は驚いた
そういえば 私はしょっちゅうピクニックをしたり
してたけど よく考えたら それを提案するのは
たいてい私で 誰かに提案されたというより
自分からやっていたのかも。お花見だってそうだった
それらはもしかすると フランスで留学時代に
少し身に付けたものかもしれず 私にとっては
ごくナチュラルなものだったけど 他の人にとっては
そうでもなかったということなのかなあ?
だからその我等がよく行く公園は すごく緑が豊なのに
だれもピクニックをしていなかったのだろうか


 私はそんな事実に少しショックを受けたのだけど
昨日ラ・ビレットというパリの大きな公園に
サンドイッチをつくってピクニックをしに行ってみる と
そこには恐ろしいほどの人が溢れてた!!!


 みんな何してるかといいますと

 ピクニックをしてるんだなあ


 フランスにはなんと「ピクニケ」という
「ピクニックする」という動詞まで存在している
さすが「草上の昼食」の国?ピクニックは
この国の確固とした文化というか 本当に
当たり前に存在している楽しい習慣な感じがする。


 先日京都でお世話になったフランス人が言っていたけど
「日本ではお花見の時くらいしかピクニックをしないけど
フランスではちょっと天気がいいといつでもピクニックになる」
と言っていた。まさにそうで平日は簡単なものをもって
ちょっと公園でご飯を食べたり 休日はみんなで
約束して大規模にピクニックとか。
もう気持悪いくらい人 人 人!!だった。
見渡す限り 緑の上に人 人 人 という感じ。
みんなどこから溢れだして来たのだろうか
ちなみにそんな日はカフェのテラスも人だらけ
いいなあ私もカフェ行きたい!!と思っていたら
一週間してようやく初めてカフェのテラスで一息つけた。


 ラ・ヴィレットはパリの北東にあるからなのか
そこにはフランス人だけでなく アラブ人にアフリカ人
ブラジル人になんかやたら多国籍な人々だらけで
そんな中で蓮太郎も まあまあ浮いた存在だけど
彼はものおじせずに楽しそうに小さな丘で遊んだり
ブラジル人の演奏している音楽のそばで
一人踊り始めてみたり(!)めっちゃかけっこをしてみたり
なかなか楽しそうにやっています。


 そんなピクニック!!!な人たちをみて
あーここって 本当にお金がなくても
楽しめる しかもめちゃ都市なのに 緑があって
それなりにリラックスできる そんな生き方が
あるんだなあ と とても驚いてしまう
その都市の中のリラックスというのが
閉め切られたマッサージルームの中とかじゃなく
公共の公園の中で 本当にみんな思い思いに
楽しんでいる たとえ天気が悪くても
散歩している人もジョギングの人もいっぱいいるし
天気がよければもうすごい。


 そりゃ京都にだって自由な雰囲気はあるんだけれど
鴨川沿いにタイコたたいたり楽器の練習をしてる人もいるけど
だけど私はわかってしまった。そういう人もいる というとこと
そういう人が山ほどいる というとこは
やっぱり多様性やら開放感が全然違って
赤信号 みんなで渡れば怖くないじゃないけれど
みんなやってるならやってもいいじゃん!という気になれる
別にごろごろしたって走り回ったってタイコ叩いたって
踊ってたってシャボン玉飛ばしてたって
バカみたいなことしてたって 
まわりにはそんな人がけっこういるから
まあここならいいんじゃない?というか。。。


 そのせいなのかやたら蓮太郎は解放系に向かってて
この先大丈夫かしらと思ったりもするけれど
やたら笑って楽しそうに日々踊ったりして過してる。
こんな生き方もあるんだなあ
たとえいろんな事情を抱えていても
たとえ人生が思うように進まなくっても
お金持ちのフランス人ではなくっても
こうやってお金をかけずに外に出て
なんとなく楽しめる そしてなんとなく
いろんな人とコミュニケーションができてしまう
そんな都会もあるんだなあ

 私にはそれがとても驚き。


 私はずっと 都会の時代はいつか終わって
田舎やら農の時代が来るものなんだと思ってた。
だけど私は都会が好きで 都会にも都会特有の
はかりしれない魅力があると『クリエィティブ都市論』を
読んで気が就いてしまったから ならば都会を諦めないで
人間にとってもっと気持よく 住みやすい
そんな場所にしてみることって 大事なんじゃないかなあと
強く思うようになってきた。確かにパリは汚いし
うるさいかもしれないけれど だけどここには
何らかのヒントがあるような気がする。
そんなヒントが 私の視点を通して少しでも
日本に伝えられたら 私も今は役に立たなくっても
少しは役に立つだろうか。。。


『クリエィティブ都市論』
都市を諦めたくない人に
それでもやっぱり都会ってなんかいいよねと思ってしまう人には
おすすめです。そうか その高すぎる家賃の意味があるわけかと
思わされます。だったら私は物を減らして都会で小さな暮らしを
したいなあとこれを読んで思わされました。
これを読んでなかったらパリに来ていなかったかもしれません?
基本的にアメリカの話ですが東京もとても生産性が高いとほめています。

クリエイティブ都市論―創造性は居心地のよい場所を求める
井口 典夫
ダイヤモンド社





フランスに行くなら

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