ツイッターを始めて、なかなかブログアップの時間がとれません。
手抜きで、短い文章の切り貼りを送ります。
本「知事抹殺」読書なう。佐藤栄佐久前福島県知事著。原発政策の舞台裏が書かれていますが、もう一つの国策捜査ものでしょうか。
「知事抹殺-つくられた福島県汚職事件」読み終わりましたが、ほんとに思っていた通りの国策捜査と司法を使ったリンチですね。原発の地元自治体として県民を守ろうとしていたからこそ国策捜査が入ったとみるべきでしょう。捜査の全面可視化に手をつけなければ日本国民に未来はないと思わされます。
----ここから引用
「知事抹殺」3章:原発をめぐる闘い より。
「しかし、その結果わかったことは、原発政策は国会議員さえタッチできない内閣の専権事項、つまり政府の決めることで、その意を受けた原子力委員会の力が 大きいということだった。」
「そして、原子力委員会の実態は、霞ヶ関ががっちり握っている。すなわち、原発政策は、立地している自治体にはまったく手が出せない問題だということが、私の在任中に起きた数々の事故、そしてその処理に伴う情報の隠蔽でよく分かった。」
「弱いもの同士で組んでも相手に個別撃破されてしまうだけだ、だから、「原発銀座」といわれる三県に搾って、言葉を変えれば「日本の原子力発電を支えている」三県だから言える強い提言をすべきだと考え、とりまとめたのである。」
「原発は巨大技術であり、その細部まで伺い知ることはできない。ならば、原発の何を信用すればよいのか。外部から見れば、「原発を動かす人、組織、そして仕組み」が信頼に足ると思われるものであることが必要なのだ。」
「知事に就任して12年、否応なしに原発と付き合ってきたが、同じ方向しか見ず、身内意識に凝り固まる原子力技術者だけでは安全性は確保できないこともわかってきた。東京電力や経産省を含めた「原子力ムラの論理」に付き合わされて振り回された反省にも立って、一端立ち止まり原点に 」
「知事抹殺」4章原発全基停止より
「われわれの国への不信は、まさに臨界点まで来た。経済産業省の中に、プルサーマルを推進する資源エネルギー庁と、安全を司る原子力安全・保安院が同居している。これまでわれわれは国に対し、”警官と泥棒が一緒になっている”ような、こうした体質を変えてくれと言い 」
「番組では、まず、「原発立地県の気持ちが、消費地である首都圏の皆さんにわかってもらえないもどかしさを感じていた」と伝えた…原子力政策そのものが行き詰っていて、核燃料サイクル政策は矛盾だらけである。こうしたことについて国民的な議論を起こさなければならない」
「もちろん福島県が提出した意見は全く反映されていない。国民の意見を形式的に聞いて、これまでの路線を強引に推進する。まさに日本の原子力行政の体質そのものの決定の仕方である。 しかし、この(原子力政策)大綱を決めた原子力委員並びに策定会議委員一人一人に、
この核燃料サイクル計画が本当にうまく行くと思っているのかと問えば、実は誰も高速増殖炉がちゃんと稼動するとは思っていないだろうし、六ヶ所村の再処理施設を稼動して生産されるプルトニウムは、プルサーマル程度では使い切ることはできないと思っているだろうし、
使用済み核廃棄物の処分方法について具体案を持っている人もいないのである。 しかし、責任者の顔が見えず、誰も責任を取らない日本型社会の中で、お互いの顔を見合わせながら、レミングのように破局に向かって全力で走りきる決意でも固めたように思える。
つい60年ほど前、大義も勝ち目もない戦争に突き進んでいったように。私が「日本病」と呼ぶゆえんだ。
「もともと私は、原発について反対の立場ではない。プルサーマル計画については、全国の知事の中で初めに同意を与えている。そういう私が、最後まで許さなかった「譲れない一線」のことを、国や関係者はよく考えてほしかった。 それは、「事故情報を含む透明性の確保」
と、「安全に直結する原子力政策に対する地方の権限確保」の二点であり、県民を守るという、福島県の最高責任者が最低守らなければならない立場と、同時に「原発立地地域と過疎」という地域を抱えていかなければならない地方自治体の首長の悩みでもある。」
「ある記者は、「原発問題は知事のプロレスだった」と評したという。このたとえには業腹だが、ある意味では当たっているのかもしれない。つまり、「筋を通せ」「情報は透明に公開せよ」と言っているわけで、命をとるわけではないからである。プロレスをやることで県民を守ることが
できれば、それが一番いい。しかし、対戦相手は、それが「プロレス」であるとは考えていなかったふしがある。実際に何人かが倒されたからである。しかし、よく考えて欲しい。私が倒したわけではない。」
----ここまで引用。
さてさて、民主党さんが唄っているのも、たかが「事故情報は透明に公開せよ」程度のことですが、民主党政権下でも原発がらみの問題が出てくると思われます。 それが起こったときが、原発政策の大きな転換になるのか、国民が民主党を見放すときになるのか、というのが原発問題の大きな分岐点でしょうね。
手抜きで、短い文章の切り貼りを送ります。
本「知事抹殺」読書なう。佐藤栄佐久前福島県知事著。原発政策の舞台裏が書かれていますが、もう一つの国策捜査ものでしょうか。
「知事抹殺-つくられた福島県汚職事件」読み終わりましたが、ほんとに思っていた通りの国策捜査と司法を使ったリンチですね。原発の地元自治体として県民を守ろうとしていたからこそ国策捜査が入ったとみるべきでしょう。捜査の全面可視化に手をつけなければ日本国民に未来はないと思わされます。
----ここから引用
「知事抹殺」3章:原発をめぐる闘い より。
「しかし、その結果わかったことは、原発政策は国会議員さえタッチできない内閣の専権事項、つまり政府の決めることで、その意を受けた原子力委員会の力が 大きいということだった。」
「そして、原子力委員会の実態は、霞ヶ関ががっちり握っている。すなわち、原発政策は、立地している自治体にはまったく手が出せない問題だということが、私の在任中に起きた数々の事故、そしてその処理に伴う情報の隠蔽でよく分かった。」
「弱いもの同士で組んでも相手に個別撃破されてしまうだけだ、だから、「原発銀座」といわれる三県に搾って、言葉を変えれば「日本の原子力発電を支えている」三県だから言える強い提言をすべきだと考え、とりまとめたのである。」
「原発は巨大技術であり、その細部まで伺い知ることはできない。ならば、原発の何を信用すればよいのか。外部から見れば、「原発を動かす人、組織、そして仕組み」が信頼に足ると思われるものであることが必要なのだ。」
「知事に就任して12年、否応なしに原発と付き合ってきたが、同じ方向しか見ず、身内意識に凝り固まる原子力技術者だけでは安全性は確保できないこともわかってきた。東京電力や経産省を含めた「原子力ムラの論理」に付き合わされて振り回された反省にも立って、一端立ち止まり原点に 」
「知事抹殺」4章原発全基停止より
「われわれの国への不信は、まさに臨界点まで来た。経済産業省の中に、プルサーマルを推進する資源エネルギー庁と、安全を司る原子力安全・保安院が同居している。これまでわれわれは国に対し、”警官と泥棒が一緒になっている”ような、こうした体質を変えてくれと言い 」
「番組では、まず、「原発立地県の気持ちが、消費地である首都圏の皆さんにわかってもらえないもどかしさを感じていた」と伝えた…原子力政策そのものが行き詰っていて、核燃料サイクル政策は矛盾だらけである。こうしたことについて国民的な議論を起こさなければならない」
「もちろん福島県が提出した意見は全く反映されていない。国民の意見を形式的に聞いて、これまでの路線を強引に推進する。まさに日本の原子力行政の体質そのものの決定の仕方である。 しかし、この(原子力政策)大綱を決めた原子力委員並びに策定会議委員一人一人に、
この核燃料サイクル計画が本当にうまく行くと思っているのかと問えば、実は誰も高速増殖炉がちゃんと稼動するとは思っていないだろうし、六ヶ所村の再処理施設を稼動して生産されるプルトニウムは、プルサーマル程度では使い切ることはできないと思っているだろうし、
使用済み核廃棄物の処分方法について具体案を持っている人もいないのである。 しかし、責任者の顔が見えず、誰も責任を取らない日本型社会の中で、お互いの顔を見合わせながら、レミングのように破局に向かって全力で走りきる決意でも固めたように思える。
つい60年ほど前、大義も勝ち目もない戦争に突き進んでいったように。私が「日本病」と呼ぶゆえんだ。
「もともと私は、原発について反対の立場ではない。プルサーマル計画については、全国の知事の中で初めに同意を与えている。そういう私が、最後まで許さなかった「譲れない一線」のことを、国や関係者はよく考えてほしかった。 それは、「事故情報を含む透明性の確保」
と、「安全に直結する原子力政策に対する地方の権限確保」の二点であり、県民を守るという、福島県の最高責任者が最低守らなければならない立場と、同時に「原発立地地域と過疎」という地域を抱えていかなければならない地方自治体の首長の悩みでもある。」
「ある記者は、「原発問題は知事のプロレスだった」と評したという。このたとえには業腹だが、ある意味では当たっているのかもしれない。つまり、「筋を通せ」「情報は透明に公開せよ」と言っているわけで、命をとるわけではないからである。プロレスをやることで県民を守ることが
できれば、それが一番いい。しかし、対戦相手は、それが「プロレス」であるとは考えていなかったふしがある。実際に何人かが倒されたからである。しかし、よく考えて欲しい。私が倒したわけではない。」
----ここまで引用。
さてさて、民主党さんが唄っているのも、たかが「事故情報は透明に公開せよ」程度のことですが、民主党政権下でも原発がらみの問題が出てくると思われます。 それが起こったときが、原発政策の大きな転換になるのか、国民が民主党を見放すときになるのか、というのが原発問題の大きな分岐点でしょうね。
「国策」捜査なら特捜検察がここまでずさんな捜査はしなかっただろう、といううがった見方をしていました。
http://eisaku-sato.jp/blg/