時々しか見ない「プロジェクトX」を見た。
元来,高校時代から最も長い間やってきたのが合唱であり,題材となった大阪の淀川工業高校グリークラブ(男声合唱団)のことも知ってはいたので,興味を持って見ていた。
(合唱連盟のコンクールからは遠ざかっているが,NHKのコンクール全国大会では良く聴いている)
大阪の守口,工場街にある府立淀川工業高校は,不況のさなか,生徒達もそれを肌で感じていたのか,かなり荒れていたそうだ。
そこに新人の教師(工業高校には音楽がなく,国語教師であるという)が赴任,自分の経験してきた歌(合唱)を教える。
「工業高校に音楽は不要」との同僚などの声や,成果発表時の生徒の怒号にもひるむことなく,生徒に対しては食事などで散財もしながら,ひたすら合唱をやる生徒を募っていったようだ。
学校には,音楽室はおろか,ピアノすらもなく,日々の練習には川原に行き,周囲からも奇異な目で見られていた。
3年後,やっと淀川工業高校に公認の合唱部が生まれ,合唱コンクールに臨む。
そこでも「淀川工業が合唱?」という雰囲気の中,生徒たちは懸命に歌った。
楽譜を読める子もほとんどいなく,毎日,遅くまでそたすら歌い続け,中には喉から出血する生徒がいたほどだった。
そして,結果発表...初出場で地方大会の銀賞を受賞した。
その後,実績と伝統を重ね,5年後に後輩たちが全国大会に初出場,「全国金賞」の栄誉を得る。
初年度の生徒も,今では40がらみの年齢となり,当時を語る。
「社会人としての基礎が,がんばっていたあの当時に培われた」と。
その後,指導者は異動も拒否し二十数年間で10回,全国大会の金賞を受賞する。
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合唱をやっている人口は,吹奏楽(あるいはブラスバンド)のそれよりも少ない。
イメージの問題もあるが,その中でも約8割は女性が占め,男性は2割以下ではなかろうか。
さらに「大真面目」(週1回など定期的)に合唱している人間となれば,さらに男性は少ない。
そんな中で,高校生の男声合唱,それも工業高校となれば稀有の存在であり,さらに全国レベルに進むだけで奇跡的と言える。
私も,たまたま合唱を長くやってきた(高校~一般までほとんど混声)中で,さらにたまたま仙台に転勤で赴任した折りに会社の男声合唱団に所属,これまた「奇跡的」に全国大会を経験した。
工業高校生でなくとも「全国への困難さ」は知っているつもりであるし,そこで金賞を取れるレベルは知っているつもりだ。
実際に,「地方銀賞」の演奏を聴いたとき,結果を待たずして「入賞しただろう」とわかった(自惚れでなく)
また,初の金賞の演奏では,異彩を放ちつつ,グッと惹きつける男声合唱の色気があった。
紹介されていたが,当時,高校生の金賞レベルでは福島県勢が独占に近い状態,さらに以前には山形西高,さらに遡れば山形東高が全国を制覇していた。
しかし,これらの学校はいわゆる「進学校」であり,合唱の質としては「正統的」といわれる。
そういった中で実業系の高校が「たゆまぬ努力」により名声を得続けていることは,悪くすれば「落ちこぼれ」を多く作りがちな昨今,言い尽くされているが「やればできる」という道しるべになって欲しいと願うものである。
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実は,私も父親の死と引き換えに大学進学を断念,就職したやるせなさのはけ口に合唱に没頭していた時期があり,母校(高校)の後輩たちの指導をしていたこともある。
単なるOBではあるが,たとえば野球の監督のように,外部者として生徒たちを率いて,しかも指揮者として合唱コンクール県大会のステージに立ったこともある(前例なし..結果は銅賞)
遡って,現役高校生だった頃,最後の3年生のコンクールが地元酒田市で行われたため(惨敗)会場である酒田市民会館前から合唱しながら歩いて,駅前の歩道橋に到着,さらにそこでも歌声を披露?した(途中で警察官に職務質問されたが,続行)
レベルは全く違うが,淀川工業のOBと同様「あの頃」に対する自負があり,その気持ちは誰にも負けないつもりだ。
少し横道?にそれて来てはいるが,これからも「自分のやりたいこと」を「自己責任」で「自分を高めるため」にやっていきたい!と再認識させられる番組だったと思う。
元来,高校時代から最も長い間やってきたのが合唱であり,題材となった大阪の淀川工業高校グリークラブ(男声合唱団)のことも知ってはいたので,興味を持って見ていた。
(合唱連盟のコンクールからは遠ざかっているが,NHKのコンクール全国大会では良く聴いている)
大阪の守口,工場街にある府立淀川工業高校は,不況のさなか,生徒達もそれを肌で感じていたのか,かなり荒れていたそうだ。
そこに新人の教師(工業高校には音楽がなく,国語教師であるという)が赴任,自分の経験してきた歌(合唱)を教える。
「工業高校に音楽は不要」との同僚などの声や,成果発表時の生徒の怒号にもひるむことなく,生徒に対しては食事などで散財もしながら,ひたすら合唱をやる生徒を募っていったようだ。
学校には,音楽室はおろか,ピアノすらもなく,日々の練習には川原に行き,周囲からも奇異な目で見られていた。
3年後,やっと淀川工業高校に公認の合唱部が生まれ,合唱コンクールに臨む。
そこでも「淀川工業が合唱?」という雰囲気の中,生徒たちは懸命に歌った。
楽譜を読める子もほとんどいなく,毎日,遅くまでそたすら歌い続け,中には喉から出血する生徒がいたほどだった。
そして,結果発表...初出場で地方大会の銀賞を受賞した。
その後,実績と伝統を重ね,5年後に後輩たちが全国大会に初出場,「全国金賞」の栄誉を得る。
初年度の生徒も,今では40がらみの年齢となり,当時を語る。
「社会人としての基礎が,がんばっていたあの当時に培われた」と。
その後,指導者は異動も拒否し二十数年間で10回,全国大会の金賞を受賞する。
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合唱をやっている人口は,吹奏楽(あるいはブラスバンド)のそれよりも少ない。
イメージの問題もあるが,その中でも約8割は女性が占め,男性は2割以下ではなかろうか。
さらに「大真面目」(週1回など定期的)に合唱している人間となれば,さらに男性は少ない。
そんな中で,高校生の男声合唱,それも工業高校となれば稀有の存在であり,さらに全国レベルに進むだけで奇跡的と言える。
私も,たまたま合唱を長くやってきた(高校~一般までほとんど混声)中で,さらにたまたま仙台に転勤で赴任した折りに会社の男声合唱団に所属,これまた「奇跡的」に全国大会を経験した。
工業高校生でなくとも「全国への困難さ」は知っているつもりであるし,そこで金賞を取れるレベルは知っているつもりだ。
実際に,「地方銀賞」の演奏を聴いたとき,結果を待たずして「入賞しただろう」とわかった(自惚れでなく)
また,初の金賞の演奏では,異彩を放ちつつ,グッと惹きつける男声合唱の色気があった。
紹介されていたが,当時,高校生の金賞レベルでは福島県勢が独占に近い状態,さらに以前には山形西高,さらに遡れば山形東高が全国を制覇していた。
しかし,これらの学校はいわゆる「進学校」であり,合唱の質としては「正統的」といわれる。
そういった中で実業系の高校が「たゆまぬ努力」により名声を得続けていることは,悪くすれば「落ちこぼれ」を多く作りがちな昨今,言い尽くされているが「やればできる」という道しるべになって欲しいと願うものである。
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実は,私も父親の死と引き換えに大学進学を断念,就職したやるせなさのはけ口に合唱に没頭していた時期があり,母校(高校)の後輩たちの指導をしていたこともある。
単なるOBではあるが,たとえば野球の監督のように,外部者として生徒たちを率いて,しかも指揮者として合唱コンクール県大会のステージに立ったこともある(前例なし..結果は銅賞)
遡って,現役高校生だった頃,最後の3年生のコンクールが地元酒田市で行われたため(惨敗)会場である酒田市民会館前から合唱しながら歩いて,駅前の歩道橋に到着,さらにそこでも歌声を披露?した(途中で警察官に職務質問されたが,続行)
レベルは全く違うが,淀川工業のOBと同様「あの頃」に対する自負があり,その気持ちは誰にも負けないつもりだ。
少し横道?にそれて来てはいるが,これからも「自分のやりたいこと」を「自己責任」で「自分を高めるため」にやっていきたい!と再認識させられる番組だったと思う。