中高年からの永易流紀州釣りを極める?「いけしゅ」のクロダイな日記(仮)

合唱,Win95,Webページ,MIDI,PC自作を経て黒鯛の紀州釣りで団子団酒田支部を名乗る男の放談(訳ワカラン)

プロジェクトX「ファイト・町工場に捧げる日本一の歌」より

2005年05月10日 | 爺放談..中年ですけど(仮)
時々しか見ない「プロジェクトX」を見た。
元来,高校時代から最も長い間やってきたのが合唱であり,題材となった大阪の淀川工業高校グリークラブ(男声合唱団)のことも知ってはいたので,興味を持って見ていた。
(合唱連盟のコンクールからは遠ざかっているが,NHKのコンクール全国大会では良く聴いている)

大阪の守口,工場街にある府立淀川工業高校は,不況のさなか,生徒達もそれを肌で感じていたのか,かなり荒れていたそうだ。
そこに新人の教師(工業高校には音楽がなく,国語教師であるという)が赴任,自分の経験してきた歌(合唱)を教える。
「工業高校に音楽は不要」との同僚などの声や,成果発表時の生徒の怒号にもひるむことなく,生徒に対しては食事などで散財もしながら,ひたすら合唱をやる生徒を募っていったようだ。

学校には,音楽室はおろか,ピアノすらもなく,日々の練習には川原に行き,周囲からも奇異な目で見られていた。

3年後,やっと淀川工業高校に公認の合唱部が生まれ,合唱コンクールに臨む。
そこでも「淀川工業が合唱?」という雰囲気の中,生徒たちは懸命に歌った。
楽譜を読める子もほとんどいなく,毎日,遅くまでそたすら歌い続け,中には喉から出血する生徒がいたほどだった。
そして,結果発表...初出場で地方大会の銀賞を受賞した。

その後,実績と伝統を重ね,5年後に後輩たちが全国大会に初出場,「全国金賞」の栄誉を得る。
初年度の生徒も,今では40がらみの年齢となり,当時を語る。
「社会人としての基礎が,がんばっていたあの当時に培われた」と。

その後,指導者は異動も拒否し二十数年間で10回,全国大会の金賞を受賞する。
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合唱をやっている人口は,吹奏楽(あるいはブラスバンド)のそれよりも少ない。
イメージの問題もあるが,その中でも約8割は女性が占め,男性は2割以下ではなかろうか。
さらに「大真面目」(週1回など定期的)に合唱している人間となれば,さらに男性は少ない。

そんな中で,高校生の男声合唱,それも工業高校となれば稀有の存在であり,さらに全国レベルに進むだけで奇跡的と言える。

私も,たまたま合唱を長くやってきた(高校~一般までほとんど混声)中で,さらにたまたま仙台に転勤で赴任した折りに会社の男声合唱団に所属,これまた「奇跡的」に全国大会を経験した。
工業高校生でなくとも「全国への困難さ」は知っているつもりであるし,そこで金賞を取れるレベルは知っているつもりだ。

実際に,「地方銀賞」の演奏を聴いたとき,結果を待たずして「入賞しただろう」とわかった(自惚れでなく)
また,初の金賞の演奏では,異彩を放ちつつ,グッと惹きつける男声合唱の色気があった。

紹介されていたが,当時,高校生の金賞レベルでは福島県勢が独占に近い状態,さらに以前には山形西高,さらに遡れば山形東高が全国を制覇していた。
しかし,これらの学校はいわゆる「進学校」であり,合唱の質としては「正統的」といわれる。

そういった中で実業系の高校が「たゆまぬ努力」により名声を得続けていることは,悪くすれば「落ちこぼれ」を多く作りがちな昨今,言い尽くされているが「やればできる」という道しるべになって欲しいと願うものである。
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実は,私も父親の死と引き換えに大学進学を断念,就職したやるせなさのはけ口に合唱に没頭していた時期があり,母校(高校)の後輩たちの指導をしていたこともある。
単なるOBではあるが,たとえば野球の監督のように,外部者として生徒たちを率いて,しかも指揮者として合唱コンクール県大会のステージに立ったこともある(前例なし..結果は銅賞)

遡って,現役高校生だった頃,最後の3年生のコンクールが地元酒田市で行われたため(惨敗)会場である酒田市民会館前から合唱しながら歩いて,駅前の歩道橋に到着,さらにそこでも歌声を披露?した(途中で警察官に職務質問されたが,続行)

レベルは全く違うが,淀川工業のOBと同様「あの頃」に対する自負があり,その気持ちは誰にも負けないつもりだ。

少し横道?にそれて来てはいるが,これからも「自分のやりたいこと」を「自己責任」で「自分を高めるため」にやっていきたい!と再認識させられる番組だったと思う。
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日本スピンドル製造という会社の価値

2005年05月01日 | 爺放談..中年ですけど(仮)
今朝,NTV系列で「JR福知山線電車脱線事故」について大半の時間を割き,詳細に報道していた。
その中に「警察やレスキューの到着前に,いち早く被害者を救出しようとした会社があった」
というようなコーナーがあった。

それが日本スピンドル製造という会社だ。
事故現場のすぐ近隣に所在(兵庫県尼崎市)し,産業機械等の製造を行っているのだが,どういう会社かすら知らなかった。

その会社のある社員が,事故の轟音に気づき現場の状況を確認,「これは何とかしなければ」と会社に報告。
報告を受けた社長は全社員を緊急招集,事業を休止し,安全確保の指示を出させ,被害者の救出に全力を尽くすよう号令した。

「油漏れによる引火」の危険を察知するや社内の消火器をかき集め現場に持参,救急車を待ちきれない怪我人のためトラックを用意し病院へ搬送するなどした,という。

まずお金を優先しているJR,ライブドアetc...
そんな会社に対し,この会社は,まず社長が高潔な精神を持ち,さらに個々の社員も高潔な精神で働いている。
安全意識を徹底させ「機に臨む判断力」が完成されていると見た。
社員という「個人」が責任感で行動しようというとき,社長を筆頭とするという「法人」が,社会貢献の重要性を認識,それを認めて責任ある行動を組織として取らせる。

何とも気持ちよく,感動的で,今の日本に必要な高い志ある集団ではあるまいか。
利益を得ようとして社会から軽蔑される会社がある半面で,環境が苦しくとも「本音で社会貢献」する会社はきっと選ばれ続けるだろう。

そして,明日,この会社の株価は「ストップ高」となっているはずた(と思いたい)

(参考URL)5/1朝の発言あたりを読んでください。
http://messages.yahoo.co.jp/bbs?action=topics&board=1006242&sid=1006242&type=r
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山形自動車道「軽乗用車とワゴン車が衝突し9人死傷」の記事について

2005年05月01日 | 爺放談..中年ですけど(仮)
毎日新聞系の写真のため,著作権的に申し訳ないが,使用させていただく。
というのも,私が常に通っている道での話だからだ。

連休2日目の4月30日に事故は起きた。
酒田より発する山形自動車道をひたすら山形方面(西)に向かい,寒河江PA,寒河江ICと過ぎ,直進すれば山形蔵王IC~仙台方面,左に進路を取りつつ緩やかに右カーブして山形中央IC~米沢・福島方面,と分岐する山形JCの入り口だ。

先に行く左車線の軽乗用車の中年の運転手が,後続で右車線に速度を上げてきたワゴン車に気づかずに,突然,進路を右車線へ変更したため接触,両車両とも大破したもの。

左車線を行くトロトロな車があれば,私などを含めて右車線を追い抜き気味に突っ走る車は多い。
しかも,私は「会社に直行の時は右」,「寮に行く時は左」と,両方のバリエーションがあり,両面で気をつけなければならない立場だ。
「走り屋ステージア」を駆る「走り屋中年」に警鐘を鳴らしてくれた事故だった。
(今のところ温厚な運転?しちょります)

(追記)皮肉にも,急に進路変更した軽の2人は怪我だけで済んだが,ワゴン車の方では3名の尊い命が奪われた。
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JR福知山線電車脱線事故に学ぶ

2005年04月27日 | 爺放談..中年ですけど(仮)
既知のとおり,あのいたましいJR福知山線電車脱線事故が発生したのは,去る25日の午前9時18分ごろだった(と報じられていた)
米国の「9.11」ほどのインパクトではないかも知れないが,あの「電車がマンションに胴巻き」となった光景は,私の目には「本来ならあり得ないもの」として映った。

その後,速度超過だとか「運転士の処分,5年間に3回」などの話も出てきた。
まずは「そんな人間を,大事な命を預かる公共交通の運転士にさせているのか」という点で,既に解せなかった。
さらに,速度超過の理由も「オーバーランで,責任を追求されるのを恐れてのこと」というような話も出てきた。

いずれも,「問題隠し」「マニュアル至上主義」「責任逃れ」的な,いわゆる大企業病のにおいプンプンである。

しかし,圧倒的に驚いたのは,JR西日本「置き石の可能性」会見で強調,という記事を読んだ時である。

まだ,原因究明はおろか,被害者の救出のメドすら立たない段階に,である。
言い換えれば,この論拠は,飲酒運転で事故を起こした運転手が歩行者を轢いたにもかかわらず「飛び出してきたアイツが悪い」と言い張っているようなものだ。

まずは,起こしたことの重大さに心を痛め,被害者への思いをいたし,さらには今なすべきことを真にとらえ実行するのが,血の通った人間のすることではないか。
そういう最低限のことができてこそ,人の命を預かる公共交通を経営できるのだと思う。

もちろん,私および私の会社に問題がないわけでは決してない。
今回のことを理屈だけでなく,心に刻んで生きていかなければ,と思う。

一鉄道会社のこととしてだけではない,という側面もある。
まずは「1分たりとも遅れを許さない」という意味のない社会的「ムード」だ。
別に1分の遅れで誰か人が死ぬ,ということは確率的に,ほぼあり得ないことだ。
しかし,それに対して理性でなく精神面で苦情を言う。
言われた会社はルール化,マニュアル化に走り,会社および社員の行動をぎりぎりまで追い詰め,動脈硬化の状態に陥れてしまう。

問題を起こすのは,人間なら当たり前にあることである。
それを知ってルール化しなければ,落ちこぼれた人は「逃げる」「ゴマカす」という行動に走り,結果,人を轢いたまま放置し,火を出して通報もせず全焼させ,垂れ流した油や危険物を放置して自然を壊すことになるのだ。

万が一の,断水があり得て,停電があり得て,電車や道路の不通もあり得て当然,という,良い意味で「ゼロベース」でゆとりある社会にしていかなければ,人が人のために作ったルール・マニュアルが我々の首を絞めることになろう。
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「三菱ふそう、リコール改修に欠陥」の記事を読んで

2005年04月16日 | 爺放談..中年ですけど(仮)
また,あの三菱ふそうがやってしまったらしい。
「リコール改修に欠陥,再リコール」というのだから恐ろしい。
小型車の方の三菱自動車でも私の会社所有の車で火災が発生しているし...
(以下,詳細はこちらのブログをどうぞ!)

発売車種の数字以上にリコールが発生しているうえ,改修個所がさらに不良では,論外のさらに外?である(意味不明)

営利活動も大事だし,ここで負けたら終わりというのは,個人レベルであれば理解する。
しかしながら,問題の発生個所は,社会的責任を負った大会社,泣く子も黙る(はずの)三菱財閥系列の話なのである。

このような会社は,以前にも書いたが明らかに自然淘汰されるべきであろう。
問題なくとも自動車は走る凶器とされ,それを製造する会社は安全を第一義とすべきであり,それを実行できないなら潔く事業から撤退すべきなのだ。

この会社のトップによるお詫び(世間では「棒読み」とも言う)を何度も聞いてきたが,心が伴わない場合はお詫びではない。
企業の目的を達成できないなら,既に企業ではない。

このような会社が生き残れるとすれば,自浄作用不足の我が日本に未来はない。
それを許してしまうとすれば,国土交通省もまた不要の存在,というより「社会悪」(国民への背信行為)である。
「やめさせる法律があるとかないとか」のレベルではなく,ねじ伏せてでもやるべきことではないか。
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「韓国で血液型占いブーム」の記事を読んで

2005年04月14日 | 爺放談..中年ですけど(仮)
少し前まで「血液型で性格等を判断したがるのは,世界でも日本人の専売特許(要は科学的根拠なし,の意)」と言われていた。
が,ここへ来て,竹島問題で日本人を非難しているしているはずの韓国で,何とも日本的な病気が流行しているようだ。
「B型の男は,自己中心的と言われ,敬遠される」とのことである。

私は,別に科学者でもなんでもない(頭の中は数学とクロダイだらけだ)が,性格を決定する要因は先天的なものでも血液型でもなく,あくまで育った環境であると信じて疑わない。

非科学的で女の子のトモダチ作りのツールとしか見えない「血液型」の話が,海を渡り韓国まで伝染したというのに対しては,まことにご愁傷さまというしか言葉が見当たらない。

ちなみに,我が家の長男は,人の悲しみを見ては涙ぐむ,とても自己中心的とは言えないB型である。
また,3人の中では最もジコチューな二男,人より社交的で仲間作りの上手な三男,この二人もまたB型である。

じゃあ,B型人間の性格って何?である(苦笑)
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なぜに「アタックNo.1」?

2005年04月14日 | 爺放談..中年ですけど(仮)
またもや上戸彩を使って,テレビ朝日の木曜ドラマが始まった。

私のような「オジサン世代」にとっては,「だけど,涙が出ちゃう」の鮎原こずえは,「アタックNo.1」まだ「スポコン」向きではなかった女の子たちの心をつかみ,ついでに男の子の心もつかんでいた。

それにしても,少し前は「エースを狙え」そして今回はコレだ!

上戸彩を使って若者を引き寄せ,さらにはオジサン(正確にはオバサン?)世代のノスタルジーを誘い,視聴率を最大限に高めようというワザか?

テレ朝の真意がワカラン!(のは私だけ?)

こういう所に知恵を絞るのも仕事なのだろうが,フジテレビやライブドアのゴタゴタを報道を含めて,余計なことをやっている暇があったら,自社系列の新聞社が国営放送との間に起こしたイザコザを少しでも解明してくれた方が,まだマシである。

「報道の事由」だの(誰も頼みもしていないはずの)「国民の知る権利」だの,身勝手を言ってる暇があったら,もっとしっかりと「言うだけのポリシーと責任」を持って事業を経営して欲しいものである。

(注)上戸彩さん本人については,がんばっているようだし,個人的には楽しませてもらっています。ご本人のことを「あれこれ」言っているわけではありません,あしからず。
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「秋田県田沢湖町の乳頭山で教職員OBが多数遭難」の落とし穴

2005年03月30日 | 爺放談..中年ですけど(仮)
昔の姥捨て山の話ではない。事実として起こった事件である(もちろん,ご存知だろうが)

事件をニュースで知り,この人たちは無意識的に死にたかったのか?と直感していた。
実際にそのようなことはないと思うのだが,自然はいとも簡単に,傲慢な人間を淘汰してしまう。

今まで,よく感じてきたのは,都会人の自然知らずと言える振る舞いだった。
情報だけを頼りにし,必要な季節感を半分も感じず,そのくせに,どこへでも金さえあれば出かけ,自分の欲のためだけに草花を踏みにじる。

台風が来ようが雪が降ろうがハイヒールだけを履く,そんな自然とは対極的な存在である。

しかし,今回は違っていた。
せいぜい秋田というイナカ町の人々(と言いつつ,私の町はもっとイナカ?)が,しかも生まれつき自然たっぷりに育ったはずの人々が,残雪多き山の上で遭難したのだ。

何とも平和ボケな話である。
もう一度書くが,自然は人間を淘汰するのである。

判断ミスで命を落とすのは勝手だが,それを助けようと危険を冒す人,そして悲しむ人が,周囲には沢山いるのである。

(自戒)うーん,私も釣り場では無理をしないようにしたい,と今日のところは思った次第である(苦笑)
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「銀行が原則的に被害補償 全銀協、批判受け方針転換」の記事を読んで

2005年03月22日 | 爺放談..中年ですけど(仮)
かのフィッシング詐欺に係る記事である。
銀行というのは,ある意味真面目だが,保守的である。
「カードに係る情報を漏らしたのは銀行でない」という彼らなりに普通の感覚で補償しないことを公表してしまった。

もちろん,こう言い切った結果,補償しなくてすめば銀行にとってはおトクであるはずだった。

でも,彼らには,真に預金者(ユーザー)のため,という当然の感覚が欠如し,さらにはユーザー以前の問題として自分らのシステムにも対応すべき点がある,という当然の要請に対しての判断を誤った。

結果,世論に叩かれ,また(お気の毒なことに)世論を見方にしたい愚劣な政治家にも叩かれた。

一言贈りたい。

Amen.
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横綱貴乃花の引退について。

2005年03月15日 | 爺放談..中年ですけど(仮)
平成15年1月22日
(日本相撲協会ホームページへの投書より)

土俵上での怪我をおして強引に土俵に上がった彼。理事長は「休場後に再出場したら再休場は許されない」発言。
また,横綱審には,日本で最もワガママな渡辺氏をいただき,精神論から横綱を追い詰めた。
同様に精神論が得意な高校野球(甲子園)でも,選手の健康を第一に考えようと変化してきている。
あの貴乃花は,「相撲好きを誇りに思う」と立派な横綱を守り通したが,それを短命にしたのは,ほかならぬ「精神論と悪しき慣習を守り続ける」協会そのものではないか。
「国技」相撲は,ひとり協会のものではない。国技の衰退を憂えるのは私一人ではないはずだ。

(注)結果論かもしれないが,上記の問題が発生して以降,日本人で実力で横綱にしたくなるような力士は一人も現れていない。
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またもラジオ会社...

2005年03月14日 | 爺放談..中年ですけど(仮)
既に書いたイッポン放送(笑)が,さらなる必殺技「焦土作戦」に出るそうな。
企業価値を下げてまでも,ドコデモドアに対抗したいのであろう。
かくも勝手な経営者が生き残ってもよいのであろうか?否...

イッポン放送のみに賭けている株主は,たぶんに経営者の暴走・背信行為と叫んでいるようだが,まことに正論。
「やーめた」と言って,経営権を放棄してもらったほうが,まだマシな気がする今日この頃である。
本気で株を所有している方々へはご愁傷さまとしか言いようがない迷走ぶりである。
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ラジオ会社とインターネット会社の「子供のケンカ?」に関する放談

2005年03月12日 | 爺放談..中年ですけど(仮)
 国内のラジオ会社(仮に「イッポン放送」とする)とインターネット会社(仮に「ドコデモドア」とする)が,あたかも国を二分するような形でケンカしてきた。
 イッポン放送側は,はじめ,ドコデモドア側に自分らの虚をつかれ「違法性」を言いつつ,必殺技としてを「ありえない増資」を仕掛けてきた。
 ドコデモドアの社長を良く思っていない人たちですら,その必殺技に「そりゃ無理だろ」「お前の方がずっと違法」と思ったはず。

 この問題の要点は,一にイッポン放送側の「脇の甘さ」「危機意識の低さ」であり,「経営者(役員)が会社の中心,という認識の甘さ」である。
 半面で,二つにはドコデモドア社長の,世の中をナメきった考え方にも大きい問題があるといえる。「インターネットとの融合」を言ったところで,従来からの「乗っ取り屋」感覚が前に出すぎて,「融合のためのビジョン」については,一切語られていない。
 「乗っ取り屋は,しょせん乗っ取り屋」なのか?

 ところが,この両者(社?)とも,ここへきて,いかにも「話し合いの余地あり」というようなニュアンスで語りはじめている。
 まだ,どのような「オチ」を考えているのかは不明だが,大根役者の本領を発揮してくれそうな気がする(苦笑)
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