最近、外山滋比古さん(お茶の水女子大名誉教授)の『乱読のセレンディピティ』(扶桑社)を「乱読」した。なかなか面白かった。90歳を過ぎても意気盛んで良い。
外山さんの別の本で、英文学者さらにいうと文学者として、今までのように作品論、作家論をやっていればいいかと言うと、そうではなく読者論が必要ではないか、それを加えてこそ普遍的な事として(世界に通用する)文学論が成り立つのでは、と論じている。そうだな、と思う。
まあ芸術やスポーツ、学術といった対象に対して、「作品」と「作家」の他に「観衆」「聴衆」などがいる。未だ練れていない言葉だが、「味衆」「嗅衆」「触衆」などがいて、それぞれに「論」が成り立つかもしれない。それらの「衆」をまとめて言えば「五感衆」となるであろうか。
外山さんの別の本で、英文学者さらにいうと文学者として、今までのように作品論、作家論をやっていればいいかと言うと、そうではなく読者論が必要ではないか、それを加えてこそ普遍的な事として(世界に通用する)文学論が成り立つのでは、と論じている。そうだな、と思う。
まあ芸術やスポーツ、学術といった対象に対して、「作品」と「作家」の他に「観衆」「聴衆」などがいる。未だ練れていない言葉だが、「味衆」「嗅衆」「触衆」などがいて、それぞれに「論」が成り立つかもしれない。それらの「衆」をまとめて言えば「五感衆」となるであろうか。