西村一朗の地域居住談義

住居・住環境の工夫や課題そして興味あることの談義

金沢市立野田中学校同窓会会報3号より

2009-11-29 | 金沢の思い出
金沢市立野田中学校同窓会から会報第3号が送られてきた。創立60周年にあたって少しの募金をしたお礼も書いてあった。

私が野田中を出たのは1957年(昭和32年)だから、もう52年前になり、8期生である。8期生の幹事は4人、男女2名づつだが、女性は、姓が変わったのか、良くわからない。男性2名は二人とも顔を思い出す。

会報の中で、8期生の西田正彰君が3年7組のクラス会(担任は小坂成敏先生、故人)の様子を書いているが、その写真を見て、高校(金大付属高校)でも同期だった広瀬鉄之介君がいつもの「にこにこ顔」で写っているのを見て、「彼は7組だったんだ」と認識した。私は9組(新谷善治先生)だった。当時の校長は二代目のロマンスグレーの紳士・多々静次先生だった。

そして、当時の野田中の校下は現在と少し違い、十一屋(町)小、菊川小、新竪小、富樫小だったと記憶する。犀川をはさんで南側(左岸)の十一屋(私の校下)、富樫と北側(右岸)の菊川、新竪(広瀬君の校下)に分かれていた。

野田中は当時、金沢随一のマンモス校で3年は17組(1~3組が就職クラス、以下17組まで進学クラス)、全校で生徒2千人を優に超えていた。

懐かしい記事を見ながら、早く、『金沢時代の18年』をまとめねば・・・、と思った。

ハイボールが流行りなら「焼酎生姜湯割り」もどうぞ!

2009-11-27 | 生活描写と読書・観劇等の文化
最近、ウィスキー業界では、炭酸割りの「ハイボール」が流行っているようだ。

これは、昔、流行ったことがあるので、初めてではない。まあ、ウイスキーを炭酸で薄めたものだ。「ウイスキーの水割り」が流行る前に流行っていたのだ。

私は、同じ薄めたもので、「焼酎生姜湯割り」というのをつくってみた。世界初とも言えるのではないか。

焼酎も生姜も湯割りも全て「体を温め、体温を上げる物質」である。まあ、こういう「体温力」アップに向けての理くつ酒というわけではない。

実際、飲んでみて、いい感じですよ。今日も、ゆっくり飲んでいる。

四手井綱英さんの訃報

2009-11-27 | 諸先生・諸先輩・同輩・諸後輩の思い出
今日の『朝日』に四手井綱英さんの訃報が載っていた。享年97歳、天寿を全うされたのだろう。京大農学部教授、京都府立大学長等歴任。

京大の専門科目「造林学」を「森林生態学」に変えたり、今は誰もがその重要性を指摘し認識している「里山」という言葉(概念)を最初に言い出した先生との紹介がある。

たまたま昨日のブログで国内林業の重要性を話したが、今日は、その森林のもつ意味や重要性を説き続けた先達・四手井綱英さんが亡くなった報に接した訳だ。

ほぼ5年前に京都、芦生の京大演習林(原生林)を「クラス会」で散策したが、その時は、由良川を通じて若狭湾、日本海につながっている、ここがその源流なのだ、という意識が強くしたことをありありと思い出した。

国内林業の振興と地産地消住宅を

2009-11-26 | 地域居住学
昨日、全国森林組合大会があったようだ。160万人の組合員がいるようだ。

私は、「遠い昔」、大学院生の時1965年頃(23歳頃)に奈良県十津川村の上湯川林道の効果について現地調査したことを思い出す。

その後、日本の林業は輸入材に押されて「衰退」の一途、多くの「限界集落」も生み出してきた。ここで、反転攻勢をかけないと、本当に没落してしまう。

昨日の大会には、七政党全部が招待されたようだ。正に国民運動で林業復活させるべきだろう。国土の七割を占める山林は木材を供給すると共に国土保全、現在、焦眉の問題の地球環境保全でも大きな役割を果たす。正に「第一義的産業」の一つと言ってよい。

昨日の大会で、共産党の志位委員長は、挨拶の中で「ドイツは、森林面積が日本の四割にすぎないにもかかわらず、木材自給率は100%を超え、林業が130万人の雇用を生み出しています。これは、自動車産業の75万人をしのぐものです」と紹介している。(『しんぶん赤旗』による)ドイツに出来ることは、日本で出来ない訳がない。

民主党の菅副総理も「公共事業ー建設業ーから農業、林業への転換を」と言っている。都会の若者で「(愛をもって)Iターン」を実践している人も出てきた。

住宅関係者も、もっと地産地消の木造住宅を追求したいものだ。そういえば「東京の木材で東京の住宅を!」という運動もあったっけ。

東京の森の木で家を:http://www.toshiseibi.metro.tokyo.jp/juutaku_seisaku/131-03.pdf

「事業仕分け」とは・・・

2009-11-25 | 色々な仮説や疑問
今回の政権交代の風景を見ていて、色々新鮮なことがある。

「事業仕分け」もその一つであろう。正に括弧付きで書かれているので確立したものではない。そして、予算概算要求の事業全部でやっている訳ではなく一部抽出し「パフォーマンス」的にやっている面もみえている。しかし、予算策定過程が密室で進行するのではなく、その一部が国民の目に晒されたのは、前進だ。

今後は、全事業でやってほしいこと、予算だけでなく決算でもやってほしいこと、そして縦割りであちこちで似た事業があるのをみつけて統合、総合化してほしいこと、だ。

じっくりと見守っていきたい。

生姜(ginger)に目覚める

2009-11-25 | 食物栄養・健康・医療・農業・教育
昔から寿司を食べる時の生姜(ガリと称す)を食べるのも好きだった。

この生姜が、体温を高めに維持する上で、食い物では切り札の一つと、最近の学習でわかった。体温を上げると、免疫力つまり病気に対する抵抗力が格段に上がることがわかってきている。まあ、一般に「根菜類」は陽性食物で体を温めるものであることは知っていた。風呂吹き大根、人参、牛蒡などなどである。

その中でも、生姜は「即効性」もあるようで、「生姜紅茶」などは、最近、話題になっているらしい。そこで、私は、朝に生姜を一定すりおろしておいて、何にでも一つまみ入れることにした。

だから生姜○○という生まれて初めて食べ飲むものも多い。

朝食は、生姜納豆(納豆に生姜、大根おろし、葱刻み、花鰹、醤油)、生姜味噌汁(これは妻に不評でやめている)、食後に生姜コーヒー

昼食は、ざるそばに生姜入りのつけ汁

晩酌に焼酎の生姜湯割り・・・といった具合だ。夕食のみ生姜抜きである。

最近は、「生姜がなければ、しょうがない」生活をしているのである。

ダ・ウイーン『種の起源』

2009-11-24 | 文化論、科学・技術論
今年は、ダ・ウイーン生誕200周年、主著『種の起源』の発行150周年であるようだ。

ダ・ウイーンは、生物の進化論を科学とした巨人である。

かって20世紀を終えるにあたって、イギリスのBBC放送が、この千年紀に人類に最も影響を与えた人物は?という調査をしてマルクス、アインシュタイン、ダ・ウイーン、ニュートンが上位4人だと発表したことがある。

時代順では、ニュートン、ダ・ウイーン、マルクスそしてアインシュタインとなるであろうか。関連ブログ:http://blog.goo.ne.jp/in0626/e/b9a1ea7dd7b7fb7aac50a103776a4886

まあ、ダ・ウイーンとマルクスは19世紀に思想、理論で活躍した人、アインシュタインも19世紀に生まれているが、むしろ20世紀前半に活躍した人であろう。

ダ・ウイーンの『ピーグル号航海記』や『種の起源』も岩波文庫で大分前に買っておいてあるが、殆ど読んでいない。今回、渡辺政隆さん新訳の『種の起源(上)』(光文社古典新訳文庫)を買った。これは、元々専門家というより一般市民を読者に想定して書かれたという。人間が、どのようにして四足歩行から二足歩行に移行したのか、今年はいいチャンス、読みながら考えてみたい。

野菜、果物を「しっかり」食べる一つの理由

2009-11-22 | 色々な仮説や疑問
現在、「野菜は日に350g食べたら・・・」との指針が出ている。普通に食べると中々だ。

ふと日曜日、雑誌を読んでいて「意外と知らない健康の話」(中原英臣)(『学士会報』(2009年3月号))が目にとまった。

「…炭酸ガスを吸収して酸素を放出している植物にとって酸素は毒ガスとなります。…酸素から身を守るために植物が手に入れたのは抗酸化物質でした。抗酸化物質をつくることができなかった植物は絶滅してしまったのです。
 野菜は植物ですから抗酸化物質をもっています。抗酸化物質が含まれているのは野菜だけではありません。

お茶やココアに含まれるカテキン、コーヒーに含まれるクロロゲン酸、大豆に含まれるイソフラボン、ゴマに含まれるセサミノールなども抗酸化物質です。

さらにビタミンCとビタミンEは「抗酸化ビタミン」と呼ばれています。私たちは植物が進化のために手に入れてきた抗酸化物質を食べることで、大腸がんを予防することができるのです。」

こういう伝で行くと、人間にとって炭酸ガスは毒ガスなのだろう。炭酸ガスを「少し」減らすべきなのはほぼ正しい。何故なら地球温暖化よりも大気の組成が古い時代に逆戻りしていることが「怖い」のである。

デフレ、金余り、懐温める、実体経済主義へ

2009-11-22 | 時論、雑感
現在、「デフレ」(供給が需要を上回っている、従って物価は下がる)状況だと菅直人副総理が発表、「金融=日銀と色々調整して・・・」と同時に述べた。しかし、金融を緩めるといっても既に、庶民も将来が不安で「貯めこんで」いて「金余り」状態なのではないか。逆に借金させて消費に走らせるのは、アメリカの痛い事例で懲りた筈なのだが・・・。

ところが、実体経済が「デフレ」なので、設備投資や住宅建設も冷え込んでいる。まあ一般に「価格破壊」の面があり、庶民にとって有難い面もある。

しかし、とにかく庶民の懐を温めて更に消費、需要を高める必要がある。企業が、雇用や賃金アップで消費力を高めるのが一番だが、そちらへの方向性は弱い。

だとすると、政府が、財政出動して、子ども手当などで直接に国民の懐を温めねばなるまい。その原資はどうするか。基本は、能力のある所から税金を徴収することだ。今、「金余り」で金融市場で金を回すと、またバブルになる恐れがある。だから、この際、金融で儲けた部分にもしっかり税金を課して「ブレーキ」をかける。

一時、証券市場を活性化させるため、その部分の税金を安くした経緯がある。それをもとに戻して、それを庶民に還元するのだ。つまり懐を温めて消費も増やすことが大事と思うが、どうなのだろうか。

クラス会二日目ー江戸東京博物館・・・ー

2009-11-22 | 京都の思い出(学生時代)
昨日(土)は、午前に両国の「江戸東京博物館」に行った。私は、3回目だが、皆と回るのは又良い。この建物は、確か菊竹清訓さんの設計、15年前(1994年、平成4年)の建設、長手の両側の上部が「片持ち梁」で、大きく迫り出していて「力感論(横尾義貫先生説)」的に見て「不安」になる。

21名の参加、二手に別れて、婦人のボランティア説明員の説明を聞きつつ2時間近くかけて回った。展示は、江戸時代と東京時代に分かれているが、当然、江戸時代が中心となった。このご婦人は息子さんが京都の大学を出て神戸で働いているらしく、近々、京都、神戸に行くようだ。ボランティア説明は、良く勉強していて感心だ。

友人のI.君も夏休み期間には東京の迎賓館は一時、国民に公開されるようで、その説明員をボランティアで勤めて始めたと言う。勿論、勉強会もあったようだ。考えてみると、このような所で、建築や都市計画の内容を説明する上で、我々は少し勉強したら初歩は説明は出来る「有利性」をもっているのでは、と話し合った。

江戸の明暦の大火は「振袖火事」とも言われているが、当の出火もとの寺は、取り潰しどころか、現に存在し、「実は江戸のまちづくりをスムーズに進める上で、旧い町を一掃するための”上部”からの示唆による’付け火’では・・・」という話もしていると言うが、真実は分からないとのことだ。面白い話だ。

東京時代の鹿鳴館を、強化ガラスの上から下の模型を見たのであるが、前庭にある二つの四阿(あずまや)は、四本柱でなく実は八本柱と分かり、昔、奈良女子大中庭の「あずまや」に「八角形」を提案したのもあながち「間違いではなかったな」と思った。

昼食は、歩いてJR両国駅近くの天麩羅屋の「三定」に行ってビールや焼酎も少し飲みながら食べ、駄弁った。14時半前に5年後、今度は「関西幹事」で行うことになった。両国駅から晴れた午後、土曜日でひと気が少ない道を秋葉原駅まで歩いた。




大卒45周年クラス会 於:東京

2009-11-21 | 京都の思い出(学生時代)
昨日、今日と東京で、大卒(京大建築学科卒)45周年の会があって出かけた、関東に住んでいる友人の企画、昨日の夕食会は「竹橋」の「学士会館」で行われた。

「学士会館」は、旧制の帝国大学(9大学、東京、京都、東北、九州、北海道、大阪、名古屋+京城、台北)、新制の7大学(京城、台北除く)の合同同窓会の拠点である。由緒ある所だ。古い石造り(コンクリート造り)である。勿論、誰でも使える。結婚式・披露宴も良く行われているようだ。

この建物の左斜め前に、「学士会館」より近代的で高層の「如水会館」があるが、これは一橋大学(旧制の東京商大、東京高等商業)の同窓会館である。向かいが共立女子大である。

今回、卒業生39名のうち25名+1名が集まった。+1名は、N.君の奥さんだ。N.君は糖尿病等を患い、足にもきて、杖をつき、車いすが必要となったため、車いす操作のため付き添いで来たのだった。

夕食はフランス料理の「ディナー」である。まあ、時々はこういう食事も良いだろう。最初に、今までに亡くなった7名のクラスメートに1分の黙祷を捧げた。

さて、今回のテーマは二つあって、一つは「江戸東京の文化等」を味わおう、もう一つは「お互い健康維持工夫を交流しよう」というものだった。まあ皆68歳~70歳(現役から二浪まで)だから、そういうテーマを設定してもおかしくあるまい。

食事には、最近解禁されたボジョレ・ヌーボー(赤)がついていた。最後に出たコーヒーのカップは京大のロゴ入りだった。京大で開発し売りだしているものらしい。各大学のものを揃えて、それぞれのクラス会にはそれぞれのカップを出すのであろう。東大には東大カップ、阪大には阪大カップのように。

食事が大体終わった後、テーブル・スピーチに移った。26名がこもごも喋ると、2時間以上必要で無理、前回から、近況報告、家族状況等は、事前に1枚のA4に書いて小冊子にして皆に配布しておくことになった。それで各人の様子が分かる。今回は、テーマにそって、健康状況(病気情報)、健康維持工夫も書かれている。

そこで、テーブル・スピーチは私と野口英雄君が指名された。野口君はパリに本部のあるユネスコ世界遺産保全部門の責任者を歴任した御仁だ。

私は、二つの話をした。「職場人間」から「地域人間」になっての社会活動として「けいはんな市民雑学大学」と「健康調理教室」の話をした。前者は、市民たちで「健康で文化的な「最高」の生活を追求」、追求していくと「That’s 学(これぞ学問)」になるのでは、と話した。

後者(もう一つ)は、炊事、洗濯、掃除、子育て・介護、おしゃれ、買物、近所づきあいが「基礎的生活力」として必要であり、その又基礎は、炊事ではないか、として近所の「健康調理教室」に時々行って勉強、一つの理想的食い物群として「ま・ご・こ・は・や・さ・し・い」(豆、ごま、米ー出来れば玄米ー、若布(海藻類)、野菜、椎茸(キノコ類)、芋類)を紹介した。これに類することを小冊子に数人の友人も書いていた。

健康、病気予防のために「体温を上げること」や「空腹を保つ」ことなどを話しておいた。参考文献として、PHP新書の石原結實著『体温力』『空腹力』などを紹介しておいた。後で、買って読んでみようという友人もいた。

子ども手当、高校無償化と税負担再説

2009-11-20 | 時論、雑感
過去にほぼ同様なテーマで書いたことがある。
http://blog.goo.ne.jp/in0626/e/b159e6d12451956fcad571e22421612e

で、最近、雲行きが怪しくなってきた。当初、「所得制限せずに給付する」と言っていた藤井財務相まで「所得制限もありうる」と言い出した。

これは、哲学や考え方が定まっていないからフラフラするのだ。

「子ども手当支給、高校無償化」は、社会全体で子供の成長を底支えするという哲学なのだ。これを将来、大学、大学院まで伸ばしていくべきだろう。子ども手当は、担当が厚労省になっているが、全体として文科省も関係があり、「教育国家百年の計」でもあると考えるべきである。

確かに、経済的には自前で十分に教育費が支払える階層もあるだろう。しかし、「全体で支える趣旨から」そこにも給付し、経済的に裕福な層には、税金を応分払ってもらえればよいのではないか。いちいち所得制限すると仕分けが大変という技術的問題もある。所得税徴収の仕組みが既にあるのだから、税率を変えれば、裕福層もこの制度を応分支えることになるのではないか。

子どもたちの分断にもつながらないようにもすべきだろう。「うちは子ども手当貰えるの、貰えないの」などということで、子ども同士で「反目」するのもおかしい。

やはり「政治経済学」なのかな

2009-11-19 | 時論、雑感
今まで、社会科学と言えば「政治経済学」だった。今回、オバマ大統領がアジアを歴訪し、シンガポールではAPECの首脳会談が行われたが、中心の議題は、世界的な経済の立て直しで、政治家でも先ず触れるのは、内需喚起、需要―供給の経済問題だ。政治の底には経済がある。政治経済学を復権する必要があるだろう。

ところが、最近まで「政治は政治、経済は経済」「社会科学より社会学」といった風潮だった。今や再び、世界を丸ごと分析し理解する思想、理論が求められている。それが、はっきりすれば次の「危機」は予測され、回避されるかもしれない。

資本主義、社会主義、発展途上国、旧東ヨーロッパなどをそれぞれについて、また総体として分析し、位置づけ、改良、発展を展望できる思想、理論(グランド・セオリー=大理論)が望まれているのである。

過密居住解消に向けての「ユニーク視点」

2009-11-18 | 地域居住学
「沈まぬ太陽」の主人公のモデルは、小倉寛太郎さんだ。JALで「飛ばされて」ナイロビで長年支店長だったが、その間、アフリカの野生動物を良く観察し「ユニーク」な人間の見方を披歴してきた。

そのインタビューにによる「ユニーク」な意見の一つは次のようだ。
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引用:「“隙間産業”の憂うつ
小倉 それで、人類はこういう道を歩んできたんですが、プラスの面だけではありません。マイナス面もあります。
 1つの大きなマイナスは配偶者の探索に困ったんですね。犬でも猫でも、臭いで配偶者を探します。繁殖期になると、尿の臭いが変わってくるんですね。猫の盛りの時期は、近所中が臭くなることがあるでしょう。
 臭いが出るのは、だいたい足の分かれ目のところです。4つ足で歩いていると、そこに鼻が行くんです。同じ高さですから。
 立ち上がっちゃったら、臭いのもとのところより鼻が高いところにきてしまった。どうしたらいいか。盛りが来るたびに4つ足になって臭いを嗅ぐなんて、とてもくたびれてできないですね。
 そこで、人類は特別な方法を発見したんです。あまりほかの哺乳類がやらない方法なんですが、それは視覚に訴えることだったんです。目で配偶者を探すということです。
 それでどういうことになったかというと、まず体型が変わってきました。男はがっしり。女の人はふっくら、腰がくびれる。シルエットで見てもだいたい男女の見当がつく。
 ほかの哺乳類はどうでしょう。ライオンのたてがみ、シカの角、これらは例外として、体それ自身をシルエットで見て、はっきりオスメスの区別がつくというものはほとんどありません。
 さらに、人類の女性の乳房は特別の発展をしています。ゾウでもサルでもライオンでもチーターでも、授乳期以外はおっぱいは引っ込むかぺちゃんこで見えません。年がら年中ふくらませているのは人類だけなんです。
 それから、ご婦人が成年になると、口紅を塗るのが当たり前になっています。これも視覚に訴える1つの方法なんです。
 次のマイナスは何かというと、慢性的早産なんです。10月10日の月満ちてといいますが、10月10日自身が早産なんです。
 ヌーの赤ちゃんは生まれて2分経つと立ち上がり、4分経つと歩きはじめて、10分経つと走るんです。ヒヒの赤ちゃんは母親のお腹の下に入って、毛にぶら下がります。生まれたての赤ちゃんの時からできるんです。
 それでなかったら、みんな肉食獣に食われてしまうんです。最低の行動ができるようになってから生まれるのが、哺乳類なんです。肉食獣の場合には襲われる危険性が少ないから、比較的その能力は低いのですが、ライオンの赤ちゃんでも生まれた日、もしくは翌日にはもう目が開きます。生まれた日にはハイハイして、母親の乳房のところまではっていきます。
 人類の赤ちゃんを見てみます。おぎゃあと生まれて、寝返り1つうてないですよ。お母さんのエプロンにぶらさがれるくらいの能力を持つまでお腹の中にいたら、難産で生まれません。
 それに加えて、人類は脳の発達によって、頭が大きく重くなっています。ですから慢性的早産にならざるを得ないわけです。
 もう1つのマイナスは腰痛です。ウシやウマの腰痛ってあんまり聞いたことがないですね。人類は、本当は4つ足で歩いているところを立ち上がりました。頸骨の付根だけは位置が何百万年かかってずれてきて、頭蓋骨の下から頭を支えるようになったんですが、腰の骨はまだそこまでいっていないんですね。あと50万年くらい経つと、腰痛がなくなるかもしれませんけれども。

人間扱いしないという“解決”
小倉 そういうマイナスはありますが、人類は“隙間産業”として発展してきたわけです。そして、人類はこの地球上でほかの動物とは比べものにならないほど、優越した地位を占めるようになってきています。 しかし、生物として本能がなくなったかというと、そうではありません。ですから問題が起こるんです。
 哺乳類でも鳥類でもいえるんですが、個体間距離を取るという本能があります。1つの種の個体間には、必ずある最低の距離を置こうとする本能が働くのです。例えば、つばめが電線にとまります。すると、1羽1羽の間にちゃんと間隔が空いています。五線譜のように。
 熱烈な恋人どうしとか、寒いから集まろうというのは別ですが、それ以外は個体間の距離を取る。人類も例外ではありません。電車が来ます。すいています。定員の半分しかいない。半分に詰めて半分を空ければいいと思うけれども、ちゃんとみなさん、点々と座るでしょう。
 通勤時間にプラットホームに並びます。ここがドアの位置ですよという表示があるから3列に並ぶ。「はい前へ詰めて詰めて」と駅員が言うけれども、絶対と言っていいほどみなさん、30センチ以内には詰めませんよ。個体間距離を取ろうという本能が働いているから。うっかり近づきすぎると「痴漢だ」なんて言われるかもしれない。
 それだけ距離を置きたいんです。また、置いてもらいたいんです。ところが、電車が来て中に入ったとします。個体間距離はどうなりますか。そんなものはないですよね。前に他人の髪の毛が顔に来る。お尻に他人のカバンがぶつかる。押し合いへし合いになります。
 そうすると、われわれの本能と神経はずたずたになるんですよ。気が狂うほどの神経の病み方なんですね。解決するにはどうしたらいいんでしょう。電車を増やせといっても、物理的にそうは増やせない。そこで人類は、特にわれわれ日本人は1つの方法を考えたんですよ。
 何かというと、「ここにぶつかっているのは人類ではない。人類以外の物体だ」と思うことにしたんです。あれを人類だと思ったらたいへんですよ。熱烈な恋人だってこれ以上くっつかないというところまでくっつけられるわけです。
 余談ですが、西田利貞京都大学霊長類研究所教授は、「痴漢が出るのは当たり前だ」と言うんです。「人類の歴史を見ると、女が男にそんなに近づくというのはすでに許容していることだ」と。生物学的にいうとそうなんですね。西田さんの説ですよ。ですが、私も確かにそういうこともあると思います。
 本能を殺すには、相手が人間じゃないと思わないとやっていけないわけです。この点は、満員電車に限らないんです。
 20年くらい前のナイロビ。エレベーターに乗っていてドアが閉まろうとします。向こうから小走りに来る人がいる。ドアを開けてあげてその人が入ってくる。「どうもありがとうございました」。「ところで何階ですか」。「7階です」。「今日は久しぶりに会いましたね」。なんていうコミュニケーションがあるんですね。
 ところが日本では、私の観察したところでは、だいたい9割方、向こうから走って来るのは「風の一種」。入る身になると、エレベーターにすでに乗っている人たちは「壁の部分」。お互いに人間扱いしてないですね。よほど親切な人が話しかけたりすると、「なによ、このおじさん気持ち悪い」ということにもなっちゃうんですね。

神経のゆがみ
小倉 エレベーターだとか満員電車の中で相手を人間扱いしないということはまだいいんですけれども、もっと恐いことにもなってきます。
 「荒木又右衛門 鍵屋の辻36人斬り」という講談があります。私が尊敬する動物作家の戸川幸夫先生が「あれはウソだ」と。なぜかというと、人間を2、3人斬ったら刀は血と油でベトベト、ズルズルになって、斬れなくなる。また、体力的にも3人斬ったらクタクタだ、と。その間に斬られないようによけなきゃならない。それから、3人斬って相手の断末魔の苦悶の表情を見たら、それだけで精神的にくたびれてしまう。
 人を殺すというのは、ふつうの人間にとっては、苦しみの表情を見るだけで大きな負担なんだ、と。私も同感なんです。
 ところが、人類は、知恵が発達して、苦悶の表情を見ないで、こっちがくたびれないで殺せる方法を発明したんですね。小銃でも、200メートル先の苦しみの表情はあまりはっきり見えないですね。10キロから20キロ先まで飛ぶ大砲なら、まったく見えない。
 まして、1万メートルの高空からボタン一つで10万人を殺しても見えないですよ。おそらく、爆撃手が十万人の苦悶の表情をずらっと並べられてよく見よと言われて、実際に見たら気が狂うと思います。
 人類は哺乳類の中で最も数が多いんです。ネズミは人口の数倍いるといいますが、あれはネズミの数十種類を足しての話で、一種だけでは人類が一番多いんです。この点で、過密で人類の神経がゆがんできている。」

インタビュ―全体はこちら:http://www.kikanshi.co.jp/interview/ogura/p-ogura.htm
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で、個体間距離を、何時でも適当に保つためには「過密居住」を解消しなければならない。東京、大阪、横浜、名古屋などは「論外」だ。

そうなれば、本格的に国土政策上、強力に「分散政策」を取らねばなるまい。今までも「口先」では「国土の均衡ある発展」みたいなことは言われてきた。しかし、それが本当に本格的にやられたことはない。

そのことは、洪水、津波、土砂崩れ等の危険性のある所からの安全な所への移住政策でもある。上階から地上の「顔」が見えない「超高層住宅」も否定され、中層、低層の住宅の組み合わせで国土構成することになるだろう。

そうすれば、個体間が近すぎて「狂う」こともないし、遠すぎて「無関心」になることもない。近すぎても遠すぎても同胞の人間を「単なるもの」と認識せざるをえなくなるのだ。

是非、その方向で過密を解消し、過疎も解消していきたいものだ。


時間、空間、物質、エネルギー、情報の「貯め」とセーフティ・ネット

2009-11-17 | 思いつきから仮説へ
「反貧困ネットワーク」の湯浅 誠さんがラジオ深夜便で喋っていた。東大法学部卒の「エリート」だが、「貧困」を防止する運動にかかわっている。偉い、と思う。最近、政府が初めて「貧困率(国民の中位の所得の半分以下の率)」を公表したのは、彼らの運動、要求の一つの成果のようだ。

湯浅さんの行動キーワードは、何事にも「貯め」がなくなると「落下」する。下まで「落ちる」のを防止するため、「セーフティ・ネット」が必要だが、それには三重あるという。第一が、雇用のネット、先ず働けることが必要だ。第二は、社会保障のネットで、失業保険、健康保険、年金等のネットである。第三の最後のネットは、生活保護である。

ところが、これらのネット群も「ざる」という。しっかりチェックしていきたい。

これらの前提として、個々人の生活上の「貯め」が必要で重要という。

「貯め」とは何かと言うと、分かりやすい例で言えば「貯金」、即ち、お金の「貯め」があれば、一定しのげる。他に人間関係の「貯め」があれば、即ち、あちこちに相談相手がいれば色々と相談でき、助けられてしのげる。情報の「貯め」があれば、行き詰らずに、別の考えもありうる、と思ってしのげるのである。

最近、子供たちの「鬱」や「自殺」が増えているようだが、親との関係、兄弟との関係、親戚との関係、友達との関係、先生との関係等が希薄になって「孤立」していることが根本原因ではないのか。

子どもだけでなく、我々大人でもそのことを考えていきたいものだ。