西村一朗の地域居住談義

住居・住環境の工夫や課題そして興味あることの談義

地下空間を観光するために・・・

2014-08-31 | 旅はたびたび
人間が造った空間として「超高層」もあるが、地下空間も色々あり個性的観光スポットとなるだろう。

日本では、地下は湿気ているし、「黄泉の国」ということもあり、一般に遠ざけられる空間だ。だが、現在、僕の家では、本や資料を保存する空間として三畳位のコンクリートの「空間ユニット」があって一定ありがたい。まあ僕の人生では、防空壕も地下空間の一つだ。

観光スポットとしての地下空間としてパリの下水道(『ああ無情』のジャンバルジャンの逃げる道)ウイーンのオーソン・ウエルズの『第三の男(1954年)』の地下下水道がある。パリの地か下水道には一度行ったがウイーンのそれには未だだ。

世の地下鉄空間も含めて地下空間を出来るだけ多く観光し、本にまとめてみたい。

大久保昌一先生の思い出

2014-08-29 | 友人、付き合い
新聞の訃報欄によると8月21日に大久保昌一さんが心不全で亡くなられたと言う。享年88歳であった。

大久保さんは僕等の都市計画分野の大先輩です。僕より15歳年上だった。阪大の構築工学科(土木と建築が一緒だったのでこういう学科名であった)の御出身で、日本住宅公団を経て阪大工学部助教授、法学部教授(この経歴ユニーク)で法学部長もされました。

学研都市推進では、奥田 東(元京大総長)さんの下で空間計画のまとめ役でした。都市計画では、イギリス流がベースにありましたね。翻訳も沢山ある位、「英語、横文字」得意で、それらを使って説明、「アメニティ」や「コンパクトシティ」も早くから言っておられました。「市民雑学大学」風を「コミュバーシテイ」と言っていたのではないか・・・

僕より14年齢上、京大では僕が修士一回生の時、37歳でなくなられた絹谷祐規助教授(オランダで客死)と大久保さんはほぼ同期、東大では長峰晴夫さん(住宅公団等を経て名大教授、故人)と同じ年恰好だった。

大久保さんは、酒が好きで又強かったと思います。大酒飲んでも発散するのも上手く88歳まで長生きしましたね。「目をパチパチさせ」少しベランメー調になると、要注意でした。
関連して、扇田 信先生(当時、奈良女子大教授、僕は京大助手の頃)から伺った大久保さんのエピソード(後日、僕が奈良に赴任後に聞いた)を書いてみます。扇田先生が、奈良市の高畑近辺(奈良教育大近辺)の国家公務員宿舎に住んでおられた折り、隣に大久保昌一さんの兄さん家族が住んでいたらしいのですが、暑い夏のある日、庭を眺めていると、何と大久保昌一さんが扇田家の庭に入り込み、縁側から上がって台所の方に回って何と冷蔵庫からビールを一本取り出して飲もうとするじありませんか。すぐ扇田先生が「大久保さん大久保さん、兄さんの家は隣ですよ」と声を掛けて、大笑いになったということです。いやー、大久保さんらしいエピソードですね。(この件で僕の記憶違いの恐れもあります。もし関連したことについてご存知の方はお知らせください。)

今ごろ、天国で、扇田先生、絹谷さんや長峰さんと盃を酌み交わして「クシャミをしつつ」下界の諸「現状」を嘆いていることでしょうね。 ご冥福を祈ります。

安倍外交シュミレーション

2014-08-27 | 時論、雑感
安倍総理は、集団的自衛権の閣議決定をはかるなど強気で政治を行っている。外交についても岸田外相任せにせず自ら大筋を決める時には乗り出している。果たして上手くいくのか。

今日、テレビ(フジテレビ、関西テレビ)の「アンカー」で評論家の青山さんは、安倍総理は、日本の外交路線で(アメリカからの)「自立」の大転換をする「賭けに出た」と言っている。そのポイントは、11月に日本に来ることになっていたロシアのプーチン大統領は、ウクライナとのごたごたでアメリカやEUに抗してウクライナ国内の親ロシア派の肩を持っているため「制裁」されることになり、日本もアメリカ、EUに従う「外交路線」(プーチン大統領の訪日延期)を取っているかに見えたが、その11月のプーチン大統領の訪日を積極的に認めたことにより、日本は、アメリカとの「対立」点を持ってしまった。

しかし、一方、アメリカの「日本は中国と、もう少し仲良くやるべし」との助言にはしたがって、安倍さんは同じく11月に中国の習近平国家主席と日中会談に応じるようだ。外交は複雑だ。

さてロシアの日本への土産は何か。中心軸は、北方領土の日本にとってのプラス解決案であるだろう。対して日本は、天然ガスを買い付けますよ、というカードを切るのかな。

日本の通底する外交課題の、尖閣列島問題、竹島問題、北朝鮮拉致問題等を一気に解決する「手」はあるだろうか。


ある意味、「八方美人的」に外交を前進させよう!!ということかな。




最近、読むべきと思う本

2014-08-20 | 生活描写と読書・観劇等の文化
最近、台風や前後の短期的豪雨によって洪水や土石流など土砂崩れが起こり多くの住宅が飲み込まれ、破壊され少なからぬ人命も失われている。今日は、広島県広島市安佐南区の山裾に迫った新興住宅地背後からの土砂崩れ、土石流による被害の状況をテレビ画面で見た。 広島県は土砂崩れ被害が一番多い県と言う。1999年にも大きな被害を受けたようだ。

広島県土は、花崗岩が多く、それが風化等で「まさ土」という土砂崩れの起こりやすい土質になっていることが自然的基本条件だ。そこに最近頻繁に起こっているのゲリラ豪雨が来れば、ひとたまりもないことは、予測できたのに・・・。

私は、前から「住宅立地の重要性」を「リッチな立地を探せ、出来れば、そこへ計画的に移動したら」と言っている。私自身、金沢市で生まれ育ち、寺町台という高台に住んで、低地の犀川の氾濫など目にしているので、若いころから住宅の立地を選ぶ時には、洪水の起らないことをまあ一番の条件にしてきた。現在地も、付近では一番高い場所である。

地震は、長い目で確率的に予測されているが、洪水、土砂崩れは、地震より予測精度が高く、より早く避難できたのに、などと「非難的に」思ってしまう。

ここで、人類史を振り返ってみよう。繰り返し起こる洪水に対しては人類は記憶にとどめ(後世では記録にもとどめ)、慎重にそこから「逃げ」、「高台」に居を移してきた、と言える。それが、人口の増加や「土木技術」の「進歩」でやや「安心して」いたきらいがある。更に学ぶため以下の二冊を取りあえずあげておきたい。

〇『人類史の中の定住革命』(西田正規著、講談社学術文庫、2007年発行)

〇『災害住宅誌ー人々の移動とすまい』(牧 紀男著、鹿島出版会、2011年)

牧さんは、面識はないが、京大建築学科の後輩のようである。色々な分野を学んで今は京大防災研究所勤務のようだ。歴史学がベースにあるようだ。


奈良女子大卒後30周年(1984年、昭和59年卒生)記念同窓会に参加する

2014-08-19 | 奈良の思い出(助教授時代)
2014年8月17日(日)日航奈良ホテル・飛天の間で奈良女子大卒後30周年記念同窓会があり、参加した。僕は、奈良女子大に1974年(昭和49年)4月に助教授で京大助手より赴任し、2005年(平成17年)3月に定年で退職した。都合31年間、勤めたことになる。卒後30周年の同窓会を三学部(文学部、理学部、家政学部ー家政学部は1993年10月より生活環境学部、現在に至る)全体、すなわち全学部で共同で行っている大学は、殆どないのではと思う。これは、何時から行っているのか、定かではないが、僕自身は、定年で退職する2005年(平成17年)より今年まで10回連続参加(皆出席)している。

奈良女子大の定年は、63歳だったので、その時教えた卒業生が30周年記念同窓会をする時には、教員は63に30を足して93歳になる計算だが、そこまで生き延びる人は少ない。今年93歳で参加されたのは文学部(哲学)の井上公正先生お一人だった。先生はめでたく奈良女子大の同窓会30年会を御卒業である。あやかりたいものと、ひそかに思うが・・・。

この30周年記念の合同同窓会が出来るのは、彼女らは奈良女子大卒後30年だから恐らく齢は52歳~54歳位であり、家庭的にも社会的にも安定し、余裕が出てきた時に当たっているからではないだろうか。僕たち教員だった者にとっても、「社会の中堅、人生折り返し点位の人達(特に女性)」が、どんな考えを持ち、どういう生きざまをしてきたのか、今後、どのように人生を展開しようとしているのか、聞きたくて期待と関心をもって毎年参加させてもらっている。

と同時に、諸先生方の元気な姿、謦咳に接しられるのも良い、と思っている。但し卒業生は、毎年52~54歳位であるが、参加される先生方は年々齢をとっていくのが特徴だ。(勿論、奈良女で30年経った若い先生方も入って来られている。理学部の何人かの先生や生活環境学部の瀬渡章子先生のように「現役教員」で参加の先生方もおられる。)

で、今回の参加は卒業生は200人を越えて204人、先生方は50人ということだった。先生方の大半は識別できるが、上述したように「若い」先生方には面識のない方々も出始めている。

会の持ち方は毎年の積み重ね(「見習い」で来年の予定幹事も二人参加)で、定型化しつつあるが、「まあ改良の余地」もあるかもしれない。「恩師代表」で挨拶、話をされた野口誠之(せいし)さん(前学長、物理学)も言っていたが、自己紹介されつつ、「私(野口さん)は、「恩師の代表でも何でもない」、幹事のたっての要望で出てきているに過ぎない。」その幹事さんの手紙には、「人生の後半戦のための有意義なお話を伺いたく・・・」みたいな言いまわしがあったが、私は人生全般の先達でも達人でもない。むしろ君たちから様々な人生の取り組みの苦労話などを聞きたいものだ・・・」といったお話があったが、同感である。

まあ、それは、10人位の丸テーブルで、それぞれやってください、ということかな、とも思うが、そうであれば、テーブルの幹事、世話役が何か「司会役」をやって簡単な自己紹介を兼ねて順に小話(テーブルスピーチ)などしたらどうだろう、と思う。僕にとっては、たまたま1984年卒の学生がいる時はイギリスに文部省在外研究員で1982年から1983年にかけて出かけていた年にもあたり、卒業研究指導にもタッチしなかったので、その頃学生だった卒業生の顔と名前が大部分一致しないから「自己紹介」があったらよかった、と思う。まあ何人かは席に寄って来ていただいて自己紹介があって良かった。

このブログをを見た来年の幹事、世話役の方々は、出来れば考えてみてください。まあ皆さんが主役だから、私は全体の聞き役に徹しても良いが、聞かれるなら「小話」もしてみたい感じです。

「そんなことやったらうるさくて仕方がない」と言われるかもしれないが、実際そうでなくとも結構「うるさい」し、」本来、丸テーブルでは、真向いの人に声が聞こえないと意味がないのだ。そうでないと話題が共有できないのである。うるさいのは仕方がないと思う。まあ、今までの日本人は、隣などとは小声で喋るが、「向こうまで聞こえる」風には喋っていない。一つ「脱皮」したらどうだろうか。

全体の奈良女子大学は、今までどうなって、今後どうなるだろうか?については、今岡春樹学長(生活環境学部出身、アパレル工学専攻)が、自己紹介も兼ね手短にまとめて報告された。今岡さんとも結構長い付き合いと思っていたが、あと5年しないと、この会への「参加資格」はないが・・・、と言っておられた。「少子高齢化が大学の進路に大きな影響をもっていること、そのなかでも色々工夫して改組などをしている、今年からの改組の概要を話された。(関心のあるかたは奈良女のホームページへどうぞ)

卒業生を代表して文学部英語・英米文学科卒の大倉玲子さん(旧姓、加納さん)がドイツに住んでおられる経験に基づいて話をされた。やはり国際的にもまれると話も面白く、うまくなるのかな、と思った。

順があちこち飛ぶが、乾杯の音頭を田村 俶先生(元学長、仏文専攻)が「たおやかになってください」と短く挨拶された。そういえば、今回の教員側の話、乾杯の音頭は現学長、前学長、元学長の学長シリーズであった。又そういえば、学長たちの出身学部が、生活環境学部、理学部、文学部と、幹事も気を使っておるわい、と思った。

午後13時から16時にいたる3時間のパーティも、一寸長かったが料理もおいしくて満足、皆さん今後も元気で進んでください。 「ご機嫌よう、さようなら!」