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初めてブログを書いてみました…

モンゴル帝国とシルクロード

2025-01-27 12:36:26 | 日記
 大相撲初場所でモンゴル出身の大関の豊昇龍が優勝決定戦で2度目の優勝を遂げ、横綱に昇進へ。モンゴルといえば広大な草原をイメージします。また、「世界一人口密度の低い国」といわれています。

 モンゴル帝国は、1206年にチンギス・ハンがモンゴル高原の遊牧民を統合して創設した国家です。その後フビライなどの後継者たちは、ユーラシア大陸全域にわたり領土を拡大しました。その領域は3,300万km2に至り、地球上の陸地の約25%を占める程であったということです。その主な構成国は、元朝、イルハン朝、チャガタイ・ハン国、キプチャク・ハン国です。それぞれが独自の文化や政治体制を持ちながらも、緩やかな連邦体制で結びついていました。
 モンゴル帝国は、交易路を整備し、商業を活性化させました。また、宗教的寛容政策をとり、イスラム教、仏教、キリスト教など多様な宗教を保護しました。シルクロードを通じた交易が活発化し、製紙技術や火薬、羅針盤などの技術や知識の伝播が進み、異なる宗教や文化が共存し相互理解が深まっていく時代であったようです。
 この帝国の広大な領土を繋いでいたシルクロード。東の起点は、中国の長安、西の終点は地中海沿岸のアンティオキアやローマといわれています。全長6,400km以上あり、「草原の道」や「オアシスの道」といった複数のルートがあります。砂漠や山脈を越える過酷な道のりを乗り越えるため、キャラバンと呼ばれる大規模な商隊が組織され、互いに助け合いながら交易を行っていました。当時の旅人たちの苦労が思い浮かびますね。
 シルクロードをたどったマルコ・ポーロは、日本を「黄金の国ジパング」と紹介しました。そのジパングの国技である大相撲でモンゴル出身の力士が活躍していることも、異文化交流の一つですね。



レバノン杉とフェニキア人

2025-01-26 10:12:07 | 日記
 今年も杉花粉が飛散し始めたようです。花粉症に悩まされる季節がやってきました。杉といえば、国旗のデザインに使用している国があります。中東のレバノン共和国です。

 レバノン杉は、古代フェニキア人にとって非常に重要な資源でした。フェニキア人は、現在のレバノン地域に住んでいた古代の海洋民族で、紀元前1200年頃から紀元前539年頃まで繁栄しました。彼らは優れた船舶建造技術を持ち、地中海全域で貿易を行っていました。
 レバノン杉は、その耐久性と美しさから、船舶の建造や建築材料として重宝されました。フェニキア人は、レバノン杉を使って強力な船を建造し、これにより地中海に広範な貿易ネットワークを築き上げました。エジプトやメソポタミアなどの他の古代文明にも輸出され、神殿や宮殿の建設に使用されたとのことです。
 なお、フェニキア人は、アルファベットの発明者としても知られています。彼らの文字は、後にギリシャやローマのアルファベットの基礎となり、現代の多くの言語に影響を与えました。

 古代から豊かだったレバノン杉の樹林も底をつき、ほとんど回復しないまま現在わずかな保護林でしか見ることができなくなっているようです。杉は日本でも古くから建築材料として利用されています。この時期花粉には悩まされますが、樹林の保護は地球環境を考えれば大切なことですね。






「街道の女王」アッピア街道

2025-01-25 13:04:32 | 日記
 車で少し遠くへ出かける時、渋滞がないか気になり道路交通情報を確認します。カーナビのVICSは便利です。道路は、人や物資の移動を支える重要なインフラで都市や地域を結ぶ、生活には欠かせないものですね。

 アッピア街道は、古代ローマの重要な街道で、「街道の女王」とも呼ばれました。紀元前312年にアッピウス・クラウディウス・カエクスの要請により建設が始まり、紀元前264年にはブルンディシウムまでの全長約540kmに達しました。
 この街道は、目的地まで道がまっすぐとなっているというのが特徴で、橋や高架などを駆使して、水域や沼地、山々を越えるように設計されており、玄武岩で舗装され、安定性と排水性が高められていました。ペルシャやエジプトの街道は王や軍隊の移動のために築かれたものであるのに対して、アッピア街道は庶民が都市と郊外を移動できるという公共施設でもありました。一定の間隔で、伝馬所や宿泊施設のある宿場町があり、当時から効率的な交通システムでした。

 「すべての道はローマに通ず」という言葉は、古代ローマ帝国の広大な道路網を象徴しています。歴史を感じながらゆっくりとこの街道を巡ってみたいなぁと思いますが、夢ですね。


「黄金文明」トラキア

2025-01-24 10:28:35 | 日記
 金の価格高騰が続いています。世界情勢が不安定な中で安定した資産として購入されている方も増えているようです。金は地球上での埋蔵量が限られている希少な貴金属で、残っている金の総量は残り約7万トン前後(プール1.5杯分)とも言われています。

 「黄金文明」として知られているトラキア文明は、バルカン半島南東部に位置し、現在のブルガリア、ギリシャ、トルコにまたがる地域に存在しました。1972年にブルガリアのヴァルナで発見された遺跡からは、エジプトやメソポタミア文明の黄金製品よりも古い黄金製品が出土し、トラキアが世界最古の黄金文明の一つであることが確認されました。
 トラキア人は高度な黄金加工技術を持ち、精巧な黄金製品を数多く生み出しました。「王家の谷」とも呼ばれる古墳群からは、黄金の仮面や装飾品が発掘されています。これらは、トラキア人の豊かな文化と技術力を示しています。その美しさと技術の高さから、現代でも多くの考古学者や歴史家の関心を集めています。ソフィア考古学博物館には、トラキア人の黄金細工が展示されており、その一部は世界遺産にも登録されています。

 ちなみに世界遺産といえば、昨年2024年7月に佐渡金山がユネスコの世界文化遺産に登録されました。佐渡金山は16世紀中頃から本格的に開発され、江戸時代には日本最大の金銀山として幕府の財政を支えたことはご承知のとおりです。

 古代から現代まで金は人々魅了していますが、庶民としてはせめて博物館で鑑賞させていただきたいなぁと思っています。

古代エジプトの「パピルス紙」

2025-01-23 11:44:16 | 日記
 毎朝、新聞に一通り目を通してから出勤しています。新聞は「紙」という媒体で情報を伝えます。
 古代エジプトの「パピルス紙」は、紀元前3000年頃から使用され始められたようです。パピルスは、ナイル川沿いに生育するパピルス草の茎を加工して作られました。茎を薄く切り、縦横に重ねて圧縮し、乾燥させることで紙状の素材が完成します。この技術により、エジプト人は記録や文書の保存が可能となり、行政、宗教、文学など多岐にわたる分野で使用されました。
 パピルス紙は、エジプトの気候条件により長期間保存が可能であり、多くの古代文書が現存しています。特に有名なものには、死者の書やエドウィン・スミス・パピルスなどがあります。パピルス紙の製造技術は、後にギリシャやローマにも伝わり、地中海世界全体で広く使用されました。しかし、羊皮紙や紙の普及により、次第に使用されなくなりました。
 このように、パピルス紙は古代エジプト文明の発展に大きく寄与し、その文化遺産として今もなお重要視されています。「紙」を意味する英語の「paper」やフランス語の「papier」などは、パピルスに由来しています。
 なお、現代でも使われている「紙」は、紀元前100年代の中国で発明され、その後改良されて普及しました。発見されている最も古い紙は、甘粛省天水市の放馬灘にある前漢の墓石から発見されたものであり、地図が描かれており、BC176〜141年のものと推定されています。
 情報のデジタル化が飛躍的に進むなか、膨大な情報が世の中に流れています。スマホから目を離せなくなっていますが、「紙」の本をゆっくりと読む時間も大切にしたいと思います。