市川稔の米(マイ)情報

武相荘

白州次郎のことを以前書かせていただきました。

昭和15年に古い農家の屋敷を買い求めたのです。
その頃の住所は「鶴川村」で、現在では町田市能ケ谷町にあります。
メインの家として生涯ここに生活していました。

家の名前とは変ですが、愛称とでも申しましょうか

武相荘(ぶあいそう)

といいます。

現在では、その生活ぶりを紹介するように一般公開しています。

小生の会社は町田市鶴間。当時の住所は「鶴間村」で隣村ということになります。

現在は市内なので、ちょいと見学してきました。

白州次郎、白州正子夫妻の生き方、生き様です。


一言で表現すれば、なんてカッコイイのだろうと・・・

1919年(大正8年)から1928年(昭和3年)までケンブリッジ大学留学から留学生活を英国でしていたのです。
(父親が経営する貿易会社が昭和恐慌のあおりで倒産、それで帰国しました)

その時の影響が極めて大きいのは言うまでもありません。

当時の英国はクルマでも先進国です。

仕送りの金で、ベントレーとブガッティを買い、レースにも出ていたのですから桁違いですね。

日本に帰国してからの活躍はあっぱれです。


第一、権力を欲しがらない。

敗戦後にGHQとの交渉役などあっぱれです。

自分の生きたいようにやる。

晩年は軽井沢ゴルフ倶楽部の理事長をされていました。

自宅から軽井沢までの自分で書いた道路図も展示してあります。

80歳までポルシェを自分で運転して飛ばしていたそうです。


農家を改造した家は実に素晴らしい。

家とは手入れをしながら住むものだという考えも述べていました。

一見の価値十分にあります。

武相荘 詳しくはこちら

白州次郎 ウキペディアはこちら

白洲正子 ウキペディアはこちら

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