市川稔の米(マイ)情報

新嘗祭献穀米

先週の出張の中で嬉しい出来事が。

取引先生産者のお一人がその町でただ一人の「平成28年新嘗祭」に精米を献上することになった。

自宅裏の一枚の田んぼを「平成28年新嘗祭献穀米圃場」として指定。

田植えの時は、神主さん、町長はじめ多くの関係者も参加して行ったそうです。

私も取引先生産者がそういう栄誉に与ることを見ることが出来ることを光栄に思う。

毎年行っていますが、都道府県の中から一人選抜。

献上するのは「精米(白米)」と「粟(あわ)」

精米は一升だからおよそ1,5kg、粟は5合とのことでした。

新嘗祭は11月23日ですが、皇居への献上は10月末だそうです。

皇居の中にある「神宮」に天皇陛下が献上する。


集めた精米はその後、日本酒を造るそうで、献穀者にはたぶんそのお酒がいただけるのでは(推測)


各都道府県から毎年1名。

山形県の場合ですと、現在35市町村あるので、順番が来るにはそれだけの年数が必要。

その生産者は「高畠町」ですが、31年ぶりだそうです。

31年という年月、そしてたった一人ですから、その確率たるや・・・。

第一、選べれなくてはどうにもならないし。


その家にとっては末代まで残る歴史の一コマになるでしょう。


ここが、その圃場です。





新嘗祭とはなにか?


大東亜戦争(太平洋戦争)に負けて、GHQが日本の神道に対し、理解のないままというか、日本人の精神を弱くするために変えさせた。

だから、勤労感謝の日とかわけのわからない祭日になっているわけです。


本来、皇室の行事の中で最も大切な行事なのです。



解説しているサイトがあるので一部コピペします↓



新嘗祭とは?

新嘗祭とは五穀豊穣の収穫祭にあたり、新嘗の「新」は新穀(初穂)を、「嘗」はご馳走を意味し、天照大御神はじめ天神地祇(てんじんちぎ すべての神々)に初穂をお供えして、天皇陛下自らも初穂を召し上がり、神様の恵みによって初穂を得たことを感謝するお祭りです。



起源がいつなのか特定されていませんが、日本書紀によると「飛鳥時代の皇極天皇の時代(西暦642-645)に始まった」と伝えられており、万葉集には新嘗祭にまつわる和歌も存在します。

新嘗際は毎年11月23日に行われる宮中祭祀で、宮中恒例祭典の中でも最も重要なものとされています。

宮中恒例祭典とは元日に行われる四方拝(しほうはい)をはじめ、春分の日、秋分の日に行われる春季・秋季皇霊祭(こうれいさい)、6月30日と12月31日に行われる大祓(おおはらい)など20件ほどあり、毎年執り行われる宮中祭祀のことをいいます。

明治時代になり太陽暦が導入され、そのまま旧暦の日付を使うと、「新嘗祭」は翌年1月になってしまい、「今年の収穫に感謝する日」の意義にそぐわなくなっ てしまうので、新暦の11月の2回目の「卯の日」に行うこととし、これがたまたま11月23日に当たったので、それ以降この日で行われるようになりました。



天皇陛下が天照大御神はじめ天神地祇に初穂をお供えになり、感謝の祈りをされたあとに、初穂をお召し上がりになります。

日本神話では、天皇は天照大御神の子孫ですので天皇自らが食すことで新たな力を得、翌年の豊穣を約束するものとされてきたといいます。

第二次世界大戦後、GHQによって国家神道の色が強い「新嘗祭」という祭日を排除し、別の名前の祝日にするよう提案があり、天皇の国事行為という要素を取り除き改めて祝日にしたのが「勤労感謝の日」です。



コピペ終わり。




お米に携わる者として、改めて感謝して精進したいと思います。




日本文化研究ブログ

ランキングに参加中。クリックして応援お願いします!

名前:
コメント:

※文字化け等の原因になりますので顔文字の投稿はお控えください。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

 

※ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

  • Xでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最新の画像もっと見る

最近の「Weblog」カテゴリーもっと見る

最近の記事
バックナンバー
人気記事