市川稔の米(マイ)情報

「偶然と必然」に満ちた102年の生涯

人生は偶然と必然が織りなす・・・







102歳の生涯を閉じた。


大正4年生まれ。


小生の父が大正5年3月30日生まれ(本当は4月だが早く学校に上げるため3月生まれにして役場に届けられたらしい)なので同学年ということに。


父は旧制高等学校中退だから、京都帝国大学出とは世界が違いますが(笑)

この人は、京都帝大に入るまで、当時日本であった、台湾台北で過ごし、学校に通っていた。


小生は理系の技術のことは分かりませんが、すごい日本人、先輩がいらしたことは多くの人の記憶に留めて欲しい。


大東亜戦争、日本は本土も都市部や工場は空襲で焼き尽くされた。

勤めていた真空管製造工場は奇跡的に空襲免れたと思っていたが・・・

米軍は占領後必要だから残したのだと。

その工場の責任者は誰かということも。


余談ながら、GHQが占領後本部として使った第一生命のビルもそうだし、帝国ホテルを残したのも自分たちが使うからだし、

昔、大阪ガスの人から聞いたが、大阪ガス本社ビルを攻撃しなかったのは、そこに美味しい洋食レストランがあるからだと。


ひとりの男がこの世に遺したものとは・・・・・



この言葉もすごいです。


「技術者は会社のために働くのではない。国のためでもない。人類の進歩のために働くのだ」




ジョブスも会いに来た。



こちらの追悼文を紹介させていただきます。



追悼、佐々木正──孫正義もジョブズも憧れたイノヴェイター、その「偶然と必然」に満ちた102年の生涯




合掌

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