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市川稔の米(マイ)情報

クルマの話し

乗り物というのは「人」にとって飛躍的に行動範囲を広げました。

馬に乗り移動する。

馬車に乗りモノも運ぶ。

自転車

バイク

自動車



飛行機


たいていの人の日常は陸の上で生活している。

途上国ではバイクが中心のところもある。

所得が上がってくると屋根もありモノも運べる乗用車が欲しくなります。


日本の乗用車の歴史は戦後になってから。

たかだか半世紀というごく最近のことです。


小生の父は1916年生まれで戦前に自動車の運転免許を取っていました。

自動車と言ってもトラックのことです。

若い頃(戦前)は死ぬまでに乗用車に乗るのが夢だったと生前聞いたことがあります。

そのくらい劇的に時代は変わりました。

現代は景気がどうのと言っておりますが贅沢な話しです。


小生は子供の頃から自動車が大好きでありました。

トラックに乗せてもらうのも大好きでした。

近所は小さなトラック。

ダットサンもあったしオート3輪車もあった。

もう少し大きなトラックもあった。


こんな写真見つけた。

昭和31年(1956年)3月4日と書いてあるので小生3歳と3ヶ月くらいの時。





こういう写真は時代背景が分かりますね。

着ているものとか。

3丁目の夕日の時代です。



それから16年後の写真。


昭和47年(1972年)11月12日と書いてありました。

場所は「富士スピードウェイ」です。

運転しているのは小生です。

19歳、大学2年の時。




クルマはカローラの2ドア。


近くの自動車修理工場で仲間と夜に改造をしたものです。


懐かしい思い出です。


とにかく写真が少ないので小生にとっては貴重な一枚。


富士フレッシュマンレースに初めて出場した時のことは鮮明に覚えています。

決勝に進めるのは35台。

予選にはたしか55台くらい出ていたように思う。(ものすごく盛況でありました)

小生は予選4位通過。

最前列内側がポールポジション。

4位は2列目の内側。

ポールポジションのクルマがなぜか決勝のスタートラインにいない。

富士スピードウェイの左回りは最初のコーナーがストレートの終わりにあるので突っ込むのに度胸が要ります。

(1300ccのクルマはたいしたスピードではないので本番はノーブレーキで突入。これが度胸試しなのです。)

2番手で第一コーナーに突入。

最終コーナーでインをついてトップ狙った時に無念のスピン。

コースの真ん中で逆を向いて止まった。

幸い事故にはならなかった。

トップ狙いがビリになり。

そこから怒涛の走りで終わったら12位でした。


富士でのレースは最高位2位でした。


優勝は出来なかった。


楽しい青春の思い出だ。



還暦になった今国産スポーツカーに乗っている。


スバルとトヨタのコラボで生まれたクルマ。


街乗りでもまったく問題なし。

運転するのが楽しいクルマです。


お気に入りの一枚はこれ。






箱根ターンパイクの終点。

眼下に芦ノ湖が見えその後ろには姿が美しい富士山。

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