それは、
安い値段、清潔で美味しいものを食べられるという意味です。
そしてフレンドリーなサービスも。
誰でもいつでも選べる。
チェーン店は苦境に嵌っているところが多い。
なぜか?
店内で調理するという面倒なこと、
サービス業務という面倒なこと。
これを外部化、もしくは省いてしまっかからです。
飲食業は下ごしらえから技を駆使して行うからその店の価値がある。
セントラルキッチンでほとんど作り、店では温める、盛り付けるだけみたいな店が多い。
ある専門誌でも指摘していたが、
限りなく小売業と同化してしまうのです。
コンビニに客席設ければそれで済むと同じ。
レストランが客席付きの食品販売業になってはおしまいです。
小売業の方に分がある。
コンビニは店内調理に参加。
おにぎりを店内で作るところも出てきた。(ミニストップ)
セブンでは試験的に弁当の一部を店内調理(正確に言えば盛り付けみたいなもの)の実験を行っている。
申し訳ないがひどいチープな商品だ。
話しを日本の飲食業に戻すと。
なぜ、日本の飲食業は世界の中でレベルが高いのか?
答えは簡単。
規制が少ないからです。
小生の会社でおむすび屋を9月14日に町田駅近くに開店したと書きました。
すぐ近くに古くからある「おむすび屋」があります。
相手様には迷惑なことだが、わかっていて出店しました。
こちらは、注文受けて精算を済ませてから好みに応じておむすびや惣菜を作る形。
近くのおむすび屋は工場で作ったおむすびや惣菜を販売する形です。
おなじおむすびでもまったく違うのです。
お客様は自分の好みで選択します。
お客様からみれば選択肢が増えたことになりますね。
これが「市場の活性化」だと思うのです。
苦しい、厳しい戦いだからこそ人間は知恵を絞る。
競争相手がいなかったらどうなるか?
食管法時代に守られていた米屋みたいになってしまいます。
価格は政府が決め、卸会社は新規参入なし、小売も人口数により店舗数が決まっていたのでした。
(仕入れ価格が決まっていて販売価格も決まっていれば商売として考える余地は少ない。誰でもできる。だから人材が育たない。)
なにせ、米穀通帳という配給の名残りですから。
サービスなどない。
注文があれば配達してあげるといった調子です。
一方、規制が少なく競争社会では、
販売側、供給側の発想では苦しくて逃げてしまいたいだろう。
購入側、需要側では選択肢が広がり楽しいだろう。
だから、常に購入側、需要側に立った発想というものが大切なのだと思う。
何度も云うが、同じ人間が供給側と需要側に立つと発想が変わってしまう。
競争はつらいものだがそれが人と商品、店や会社を磨いてゆくのだ。
喜んで受け入れるという前向きな発想が必要。
特に企業経営者はリーダーとしてそういう自覚が必要だと思う。
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