昔、バンコクに住んでいた頃エイさんと言うドライバーがいた。ラオスとのハーフで可愛らしいパッチリした目で私のことをお姉さんと呼んでいた。少し大人しかったけどすでに妻子がいて生活を安定させたいと我が家のドライバーに紹介されてきた・・・が、運転はノロくヘタで出かける時は助手席に乗ってもらいワタシが運転した。
怖い物知らずのワタシを、時になだめすかし(ヒンドゥー教の祭典に行って針を刺してみよう・・・とか)時に羽交い絞めにして止めた(女が触ったら修行が10年延びるというお坊さんにタッチアンドゴー・・とか)
何しろ夫や友人達に頼まれてたのでワタシのお目付け役を必死にしてた・・・ありがとね。
バンコク中のお寺を巡るのを趣味としていたワタシに「今まで働いてばかりだったけどこれでお寺を全部見ることが出来たよぉ」と言ってなけなしのお金でコーラを買ってくれた。
じきすっかり慣れ、プロレスの技を掛けたり、田舎の演歌ショーを見に連れて行ってもらったりした。
ある日、いつものようにバカ笑いして運転していたワタシに語り始めたのは「実は妻が他の男と暮らしている。それはいいが娘を取られるのはイヤだ」
ビーちゃんという一人娘はエイさんにそっくりで可愛らしい3歳女の子だった。
学校に通わせたい、彼の口癖だった。
その時初めてワタシはエイさんの左腕の内側に無数の切傷があるのを見た。手首から肘の内側まで。
「いろんなことがあるね。がんばろうよ」それしか言えなかった。
「あと少しでお姉さん(ワタシ)もいなくなる。新しい雇い主は気に入ってくれないと思う」泣いていた。なんだかつられて二人で泣いた。
帰国まであと2ヶ月の頃だった。
大人しいエイさんの事を考え先輩ドライバーさん達に、声を掛けてもらうようにお願いした。すると相談する人もでき、よく笑うようになった。なんと、なな、なんと若い恋人もできたと聞いた。ホッとした。
帰国まであと1ヶ月。
「お姉さん、お姉さんが日本に帰る朝、空港まで必ずボクが運転して連れて行くからね」毎日約束させられた。
そしてある日、またもやバカ笑いしている私に突然深々と日本式お辞儀をして紙袋を手渡した。中には緑色の鮮やかな織物が入っていた。「ボクは何も買ってあげられない。母が織りました」
帰国まで2週間、それきり彼は現れなかった。
エイさんは妻も娘も失い自暴自棄になって故郷で自殺していた。
仏教の信仰厚いタイは生と死がわりあいに近い。
帰国最後の週、出て行った妻が叔母を伴い遠路はるばるエイさんの退職金をもらいに訪ねてきた。叔母がまくし立てる横に平然と座る妻が着てるのはワタシがエイさんにあげた洋酒のおまけTシャツだった。こんな物まで何もかも渡し妻の気を引きたかったのか・・・そのシャツのとぼけた絵が一番悲しかった。
帰国当日。
あまりに綺麗な鳥の声で目が覚めた。
本当に歌っているような話しかけているような美しい鳴き声が続いた。
世の中には、不思議だけどワタシにだけわかるコトガラがある。