またその翌年に(追記)それぞれ走り書いた文章である。
以前のブログが閲覧できなくなるので、この文章をこちらに残しておく。
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2011.12/5
水に浮かび、風に吹かれるまま、流れに身を任せている。
目の前にあるものがよく見えない。
深く思考すればもしかしたら見えるのかも知れない。
しかし僕はいま考えていない。
考える事ができない。
大きなものが目の前にある。
そのことを感じるのみだ。
大きなもの。
死とか。病とか。争いとか。生きるとか。時が過ぎるとか。老いるとか。過去とか未来とか。
僕はそんなものものと向かい合い、今まで演劇をやってきたのに、
やってきたはずなのに、
命が消えようとしている父を目前に、ハクチである。
そして祈るのみである。
病室。僕は父に聞く。
「親父は何で美大に行ったの?」
父は苦しそうに答える。
「他にやることがなかったからさ」
僕らは微かに笑う。
「でも絵は好きだったんでしょ」と僕。
「好き勝手やれたからな。ああしろこうしろうるさく言われないから」と父。
自由奔放な父。
タフな昭和。
様々な親父の絵とデザインが脳裏をよぎる。
居間に染み付いた両切りピースと絵の具の匂い。
真っ赤な車。緑色のソファー。白い壁。
コタツで仕事をする親父の背中。
幼い僕はドリフターズのコントを見ながら時折父の仕事を盗み見する。
と、そこには可愛らしい宇宙船が描かれている。
小さな子どもたちが宇宙船にぶら下がって遊んでいる。
その絵が、小学校で使う算数ドリルの表紙になっていた。
ドリルの表紙をめくると“絵:岡野元人”の文字。
僕はそのドリルで算数を学んだ。
大きな顔の女の子が地平線からこちらを覗く絵は
高校生の時に彼女と行った喫茶店のマッチ箱の絵となっていた。
不思議な建物のイメージ画は
ミヒャエル・エンデさんの童話館となっていた。
長野のいたるところに父の絵(デザイン)があった。
「自分で事務所立ち上げたのは今の俺くらいでやってたんでしょ」
「あの頃はなにやっても楽しかったな」
父のふくれ上がった腹をさする。
親父の命を蝕む細胞がこの下にあるのか、と思う。
「また来週くるよ」
「あぁ」
来週。
来週が、ありますように。
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【追記】
2012.3/10
父が他界して二ヶ月と二週間が過ぎる。
昨夜ノートを整理していたら、以前僕が走り書いたメモが出てきた。
父が他界する十日ほど前、父との会話を忘れぬよう僕がしたためたメモ。
◯◯◯
仕上がった仮チラシを父に見せる。
「いいじゃないか。独特な色使いだな」
「息子はいい仕事をしていますか」と僕。
「字が読みつらい」と横から母。
「明るい色は大きく見えるし、暗い色は小さく見える。だからもし同じ大きさに見せたいのなら、本当に少しだけ明るい色を小さく、暗い色を少しだけ大きくする。そして時にはその錯覚を利用して、面白い事をする。お前たちの舞台で、身体を見て客が何かを頭で想像するだろ。おそらく身体とは違う何かを想像する。お前たちも意識的にせよ、無意識的にせよ、その錯覚を利用している。同じだ。だからお前たちはたいしたもんだ」
大体そういう主旨のことをゆっくりと切れ切れに時に興奮気味に早口にたくさんたくさん話す父。
母が心配そうに父を見る。
「そんなに喋って大丈夫?」
◯◯◯
メモはここで終わっている。
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