通し稽古を見学させて頂く
面白かった
初演を見ている
再演である
長野公演と京都公演のみ
東京の公演がないとのこと
惜しい
初演時はかなりな制約の中を駆け抜ける俳優の集中力とその身体の線の変容に目を奪われ
実は言葉が入って来なかったのであるが
通し稽古ではその言葉が実に自然に僕の身体に浸透してきてそれが驚くほどで
けしてわかりやすい言葉ではないし詩的で時に象徴的で難解ではないにせよ口語とは言えない
しかし静かな佇まいの俳優が冷静に空間に置いてゆくその言葉から広がる言語イメージの豊かさがどうも、これが、凄い
shelfとこの劇作家の相性がいいのだろうと率直に感じる
ドイツの作家とのこと
それを聞いて僕は「ふえぇ」と驚く
東洋的なのだ、その世界が
そこに横たわる死生観が
登場人物はY・Z・A
「YZ」「A」
「終わり」「始まり」
「消える」「つく」
輪廻がそこに浮かび上がる
逆に
「A」「YZ」と置いてみる
神社の狛犬である
そう「あ」「ん」
その「あ」と「ん」の間には宇宙が存在している
各登場人物たちは人間の肉体から動植物へ(蛾や魚やクジラやミツバチや…)
或いは容易に石や風へと変貌を遂げてゆく
日本の昔話において人間は容易く動植物へ変容するし風にもなる
金毛九尾の狐においてはとある陰陽師に石にされてしまう
稽古見学後矢野さんと歩きながら上記感想をお伝えする
そして
「矢野さん、今僕らはこうして演劇を通して触れ合い歩いていますが、来世で僕は蝶になり、キリンとなった矢野さんの周りを飛んでいるかもしれませんよ」
僕らは笑い合う
死する苦しみ
同時に
生き残る苦しみ
どうしたって僕らは明日生きなければならない
何をイメージし明日を生きるのか
それをやわらかく
やさしく
ふうわりと
伝えてくる作品であった
どうして生まれるのか
なのにどうして死ぬのか
その問い自体が愚問であるのか
それでも僕らには必要なのだ
だってどうしたって僕らは明日を生きるのだから
たくさんの友人の死を乗り越えて
自身の命が尽きるまで
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