身体の景色 (karada no keshiki)

つらつら

戦国大名の英雄性が美辞麗句で表現されているのを見聞きすると
ほんのすこし 引っかかる
その 陰と陽の バランスが…

それほど単純ではないはずなのに
そのわかりやすい酔いやすいジャニーズ的宝塚的単純明快な人物像が独り歩きし
本当にさような人物であったかのようになってしまっている
アニメやゲームの世界ならまだしも
見目麗しき俳優たちが闊歩する映画やドラマでは
それが商業とは言えどもしかし歴史を扱うということの難しさをどうか念頭にして頂きたいと感じたりする

とある学者がぼそりと言っていた言葉
「あのですね、彼らは(戦国大名たちは)、いまの反社会的勢力の方々よりも、もう、ずっと、本当に、タチが悪かったんですよ。いや、本当に。そしてそれが当たり前の世界だったんですよ」

時代が古いとそれは想像力という研磨により
英雄の側面ばかりが磨かれてしまうものなのだろうか

例えば…

織田信長が
おびただしい数の生首を室内に飾り立て
驚愕気味悪がる家臣たちを尻目に宴会を喜々と盛大に行う
その嗜好性を 人物像 その佇まいのどこかに宿す必要はあろう
(もちろんここだけを特記するのもバランスが悪いのだけれど)

あらゆる既存のシステムと価値観を破壊し
新たな時代を創造し
百二十年に及ぶ戦国の世を終わらせた
その功績は
とてつもない屍の山の果にあるのだが
その屍の山については扱われなかったり
数字や文字でさらりを記録として通り過ぎてしまったりしているのだけれど
その甚大な犠牲をかえりみない
かえりみないというと聞こえが良い
違う
かえりみないというよりも 喜々と殺戮を選択してきたと言える
そこを見ずに 単純明快な英雄に仕立ててしまうのは無理があるし 引っかかる

自身を神とし 自ら社に入り 家臣たちに賽銭を投げさせていた
間違いなく時代に選ばれた男であったし
そのくらいでなければ戦国の世は終わらなかったのであろうがしかし
その天下無敵の振り切った傲岸さには ため息が漏れる

人は複雑
陳腐な言葉であるがそういうことかと思う

僕らはわかりやすいものに酔いやすい
売れるからって受け入れられやすいからって
そこだけを切り取って利用してはイケナイ
気をつけなければイケナイ
配慮せねばならない

人間を扱う一演劇人
その端くれとして
己への戒めも含め
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