身体の景色 (karada no keshiki)

たとえいつかきえてしまうのだとしても 覚書

喪失
巨大な虚しさ

かつてのある日
完璧なものを手に入れる
そしてそれを喪失する
その喪失を抱え
それでも人は生き続けなければならない
残りの人生が既にエピローグにすぎないものになってしまっていたとしても
海辺のカフカ(小説)
の、佐伯さんのように

かつての破れた想いを
心に完璧な形で秘め、守りながら
日々の単調たる日常を
一定の穏やかさと充足と共に生き続ける
いつか読書する日(映画)
の、田中裕子のように
 
たとえいつかきえてしまうのだとしても
の、男にとって
完璧なものは
かつての夏の
海岸でのあの日のごっこ遊び

喪失は摂理

食べるのも日常
死ぬのも日常
とは、樹木希林の著書か

父母妹は
喪失に固執する男に
なにかを伝えたくて
黄泉の国からやってくる

そのお膳立てをするのは
麦藁帽子の女

なにを伝えようと
黄泉の国からやってくるのか

これ、父母妹、麦藁帽子の女
の、課題


ねじまき鳥クロニクル(小説)
の、間宮中尉は
戦時中のモンゴルでソ連兵に捕えられ
生きたまま、砂漠の井戸に放り込まれる
真っ暗な井戸の底
しかしそこには
日にいちどだけ、数秒間
太陽の光が降り注ぐ
彼はその光に完璧なものを見る
そして戦後、彼は
誰をも愛せず
誰からも愛されず
無為な日々をやり過ごし続ける人生を送る

完璧なものが突如神々しくなってしまうが
間宮中尉も、完璧なものを得
そして喪失した人
と、言える


人生とはなんであろう

得る
喪失することを前提に

生まれる
消えてしまうことを前提に

生まれるのも日常
死ぬのも日常

たとえいつかきえてしまうのだとしても
ぼくらは消えてしまうその日まで
生きる

とてつもない
大きな大きな宇宙のウネリの中の
本当に微かな
ほんの僅かな
たった一瞬間として

以下はチラシ用に書いた文章

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身体の景色vol.11
〜記憶ノ肖像 二部作〜

まるで昨日のような しかし数十年も昔のその景色 
本当にあったことなのか否か
もはや確かめることはできない その記憶の淵に漂う曖昧な景色
それは曖昧であるのにいやに鮮明で 目を凝らせば凝らす程にリアルで 
それは 生きてきた証であると同時に 消えてゆくことの証明でもあり 
全てが消えてなくなってしまう前に 両の手で 懸命に掻き集め 
あなたが わたしが たしかに居たことを確かめようと 
かつての場所で かつてのように かつてのことをして 確かめて まだ確かめて 
しかしその行為もやがて ありとあらゆるものと共に飲み込まれ 消えてしまう
この 言葉にし辛い
この これに 肉体をあずける 
記憶をめぐる 二つの肖像
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