『もてない男』などしか読んだことがなかったので、小谷野敦の専門?はこういうことだったのねと思い買ってみました。やっぱり自分勝手な感じはありましたが、第一章の「文学作品のよしあしに普遍的基準はない」という主張には共感しました。文学作品の評価は公にも時代や世相によって変化するだろうし、それとは別に私的には自分の好き嫌いで判断するしかないと思うので。いくら名作といわれても、読んで面白いか、いいと思わなければ、その人にとっては名作ではないわけだから。しかし、ある程度の本を読んでいると、その辺はすでに勝手に判断していると思います。私も随分前から自分勝手に判断しています。
私が一番わからないのは、この本の中にも出てきたけど、純文学とそうでない小説の区別です。いったい何処で決まるのでしょうか 極端に言うと、「結論がはっきりしない、比較的面白くないスジの小説が純文学なの?」と思うのは間違いだとこの本はいっているのだけれど、じゃーどーなのよ?と聞きたい。 純文学の反対が大衆小説あるいは通俗小説だとしたら、そのどちらにも当てはまらない小説というのが多々あると思うのですが。ちなみに、私の好きな小説は、私の中ではどちらにも当てはまらない小説の範疇にあるものがほとんどと思われます。
第二章では「日本人必読の名作たち」ということで小谷野氏の名作と考えるものをあげています。普遍的なものではなく、彼の考える名作です。マンガの古典の中で、萩尾望都の『11人いる!』、大島弓子、山岸涼子を挙げていたのはちょっと嬉しかった
そして第三章では、さらに独断と偏見が爆発していましたよ。特に、本の題名にもある夏目漱石の『こころ』や『それから』などへの批判が。漱石を全部読んだわけではないけど、実は私も『こころ』はなぜそれほどの名作と言われているのか?と思ったので、そうだよねと思うところがありました。
『こころ』、『それから』、『門』などにおける私の疑問は、主人公が自分の考えを言わないのはなぜなの?ということと、相手の女性がものを考えるということを全く考えに入れてないのはどーなのよ?ということです。自分が好きな女性を好きと言わずにいることで、自分を窮地に追い込んでしまうけれども、相手の気持ちはあまり考えないという、いらいらする展開で、そのいらいらが、どうして?という疑問で読み進めるという感じでした。それとも、主題と思える女性との話とは関係なく、教養はあるのに定職についていない(当時で言えば高等遊民、今で言えば立派なニート)主人公の、明治時代における西洋と日本のハザマの苦悩というようなことを、漱石自身の反映として書いているのでしょうか?
漱石以外では、私は読んでいない作家も沢山いたのですが、ヘミングウェイは若いころ読んで面白かったけど、小谷野氏が言うように名作という感じではなかったな。小谷野さんが批判的に挙げている、一葉、志賀直哉、芥川は結構好きなので、小谷野さんには賛成しかねます。漱石の『こころ』などはな部分があるけど、興味深いひとだと思うし、奥さんが面白いので結構好きです。三島由紀夫は『潮騒』などは面白かったけど、『豊穣の海』ははっきりいって訳がわかりませんでした。ということで、小谷野氏はこう思っているけど、私の意見はこうなのよとつっこみを入れながら読むと結構面白かったです。
最もおもしろかったのはあとがきで、水村美苗氏の『日本語が亡びるとき』が反響をよんでいるのを、「あんな内容はだれでも知っていた」と批判している所が小谷野氏らしい感じがして、あははと笑ってしまいました。
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