白洲正子さんの本を二冊読みました。
1階の本部屋にあった本の再読。
『白洲正子自伝』
『世阿弥』白洲正子
『白洲正子自伝』
白洲正子さんは有名な方で、この本を買って読んだはずなんですが、全く初めて読んだような気がしました。
買った時と今と2回楽しめたって事にしておきます😉
白洲正子さんは父方、母方両方の祖父が薩摩藩出身の海軍軍人だったそうな。
父方の祖父である樺山資紀(かばやま のりすけ)が宮中参内するため大礼服を着て庭で撮影していたところへ幼稚園から帰った正子さんとついでに撮った写真というのが表紙になってます。
歴史的にも凄い写真だな。今とは全く違って写真を撮る機会が特殊だった明治の頃だから貴重な写真でもあると思います。
正子さんの真っ直ぐなちょっと不機嫌そうな眼差しと、厳しい軍人であった祖父の樺山氏の柔和な表情が良いです。
白洲正子さんは長生きされた方で、1910年東京生まれで1998年に亡くなりました。お能や古典に詳しく、その関連本を多く出しておられます。
しかし、白洲正子さんは明治の時代に14〜5歳でアメリカに留学して、近代の西洋文明を吸収し自由な発想で生きた方でもありました。
白洲次郎という颯爽とした、こちも英国に留学した経験のある自由な発想と実行力のある方と結婚する事によって、さらに本領発揮されたようです。
その生い立ちも、経歴も、凄いですが、解説にも書かれているように、白洲正子という方の生涯に貫かれている物が素晴らしい。
解説で、白洲正子は「ものが見え過ぎるほどよく見える人である」「目利きである」
と。それは「私」についても見えてしまうって事で、「私が私である事」をこの本は綴られているので、その恵まれた生い立ちも、反骨精神も、様々な批判的な言葉も全く嫌味がなく、白洲正子という方を知る事ができたと思いました。
(でも、もちろんそんな事ができるわけはないのですが、そんな気持ちになる本です)
そして、解説でも、彼女の最も重要な資質は①度胸 ②人・物を見る時の、世俗的地位や飾りには惑わされない公平な目 ③近代の経験の速さなどを上げています。
特に②の公平な目というところが、本当に的を射ているいるなと思います。
世俗的な地位ではなくそれぞれの人をその個人として常に公平な目で見ているので、大変な場面であっても読んでいて清々しく、かく在りたいと思うような気持ちになる、そんな本でした。
このご夫婦のあり方も興味深いです。
一緒にあった『世阿弥』も部分的に再読しました。
今まで続くお能の世界を築いたのが父である観阿弥と世阿弥。
世阿弥は有名な『家伝書』などを書き、能を発展させ芸術の域に高めた方だと思います。
能を愛した白洲正子さんが書いた世阿弥について語った本で、若干専門的でもありますが、そこに貫かれているのはこれもまた世阿弥への真っ直ぐな視線だと感じました。
世阿弥は室町時代の将軍義満の文字通りの寵児であり、その庇護のもとで独自の能を発展させたのですが、その芸のみでなく色も重要であったという事を否定的に捉えず、だからこその花と幽玄を得る事ができたという考え方が凄いと思いました。
世阿弥の一生を貫いているのは一種の幸福論であると言う正子さんは、世阿弥の晩年の
息子の夭折や自身の島流などの悲劇でさえも、世阿弥の生涯で築いたそういう試練さえも超越した世阿弥の芸と生き方に影響を与えなかったと語っています。
世阿弥の人生とその芸は奥深すぎて、その一隅を知っただけだと思いますが、その人生が光り輝いていたように感じたのは正子さんの全体を通じた幸福論的な書き方によるところが大きくて、読んだ後に私も少し幸福になった気がします。
やっぱり白洲正子さんて凄い人だなと、この二冊の本を読んで思いました。