父の隠し沢(後編)

2009-01-11 16:58:28 | Weblog
そして不思議な事がおきたのは一年後私が中学生になった夏休みの事でした

その年北海道には滅多に上陸しない台風が次々と上陸した台風の当たり年で、各地に洪水や強風による家屋の倒壊など多くの被害をもたらしていた
夏休み中にも二つの台風が上陸し私はほとんど外で遊ぶ事が出来ないでいた だからといって勉強などするはずも無くたまにいつもの川に様子を見に行くものの川は泥濁り激流と化しとても釣など出来るはずは無かった

そんな日が続いて台風が過ぎた二日後、夏休みがもう終わりに近づいた日だった 父は現在新築中の現場へ台風後の後始末の為出かけていた
私は釣がしたくて本流へと出かけるがまだ水は多く濁りも強い、とても釣など出来る状態ではなかった
そんな中ふと頭に浮かんだのが父との隠し沢 父には絶対に一人では行くなと言われていたが、もう夏休みが終わると言う事でどうしても釣をしたい私は誰にもばれないように用意を始めた
自転車で行くにはかなりの距離があるが買ってもらったばかりの自転車ならなんとかなると思った
その自転車は五段変速機能が付き、他にウインカーやブレーキランプなども付いた最新の自転車であった
お金持ちのぼんぼんとは言わないがわがままを言いようやく手にした自転車だった よく友達に見せびらかしていた"いやらしい子供"だったかもしれない

用意をしながらふと見ると父の鉈があった 一瞬迷いはあったが私はそれを腰に付けこっそり自転車に飛び乗り沢へと向かった
自転車を走らせ周りを見ると田や畑は水没していた、台風の被害の多さはかなりのようだ
簡単に考えていた道程だったがペダルをこいでもこいでもなかなか沢には近づかない なんとか林道に入るも林道には水が流れ思うようには自転車を走らせない
何度も戻ろうと思ったがもう後戻り出来ない所まで来ていた 私は自転車を置き沢へと歩き始めたのである
途中林道に大木などが倒れていてなかなか思うようには進めなかったが私はついに隠し沢へと辿り着いたのでした

沢へ着いた私は呆然と立ちすくんでいた 台風の影響で沢はまるで別の沢へ変わってしまっていたのである



私が始めて岩魚を釣った岩陰のポイントの岩も姿を消し、あの多くの岩魚が餌を奪い合っていた場所も見る影も無く土砂に埋まりどこを見ても水がサラサラと流れる単調な平瀬の流れとなっていた
私は竿を出す気力にもならずただ沢伝いに歩いているだけだった
ふと目をやると流れから寸断された水溜りに何かうごめく物を見つけた よく見るとそれはこの沢には珍しい尺一寸ほどの岩魚だった
手を差し出すも岩魚は全く逃げようとはしない 手にすると岩魚の体中には無数の傷があり鱗は剥がれ背びれさえも無残に引きちぎられていた
私はこの岩魚がこの沢の最後の生き残りではないかと思い流れから寸断されていないちょっとした溜りに岩魚をそっと放してやった
岩魚は流れに放された後も私の方をずっと見つめていた様に見えた その時私は岩魚を見ながらずっと生きていてくれと祈っていた

私は入渓場所まで戻った時、この下流にあると聞かされていた滝の事が気になってしまった どうしても滝を見たくなり滝を目指して歩き始めた
沢は埋まり歩きやすい、上を見ると綺麗な青空が広がる 時折聞こえる鳥たちのさえずりが心を癒してくれる 釣を出来なかった悔しさなどはもう何処かへ消えてなくなっていた

滝の落ち口が見えてきた とその時嫌な獣の臭いが鼻を付いた、そして何か後ろに何者かの気配を感じた 確実に何かが居るのが分かったのである
恐怖に耐え後ろを振り返るとそこには大きな羆がいるのである



私は羆から目をはなさず後ずさりしていると何かに足がかかり転んでしまった
もう恐怖で立って逃げる事さえ出来ないでいた
羆はゆっくりと私のほうへ近づいてくる 私から四メートルほど近づくと羆は立ち上がった 血に染まったような鮮やかな赤い口を今でも覚えている
私は無意識に腰につけた鉈を手にし羆の方へ向けてかまえた この時父の言った「ここへは一人で来るな 他にも危険な事が多いから・・・」の意味と鉈を持つ事の訳を知ったのである
この時父との約束を破ってしまった事を心から後悔していた そしてもう私の命ははここで終わってしまうことを覚悟していた

その時だった何かが羆に襲い掛かっていくのが見えた それはアイヌ犬程の大きさの犬だった 腹の毛は白く背は茶と白の斑模様をしていた



犬は羆の攻撃を何度もかわし白く鋭い牙をむき襲い掛かる
だが羆の振りかざした爪が犬の右腹を切り裂いた 犬は「ギャン!」と声を上げると私の前に倒れこんだ しかし立ち上がり私の方を一度見ると又羆に襲い掛かる
犬の右腹からは赤い血が流れ白い毛が赤く染めていた
羆と犬は縺れ合うようにしながら滝の落ち口の方へ向かっていき、そしてそのまま滝から落ちていった 私はその様子を恐怖の為かぼんやりと見ていたと思う

しばらく動く事の出来なかった私は立ち上がるとゆっくりと滝の方へ歩いていった
滝上から下を見るとそこには何もいなかった でも何かが呼んでいるように思えて私は滝の横から下り始めた
そこで後数メートルの所で足を滑らせ落ち左足を痛めてしまった 私は石の上に座り痛めた足を水につけ滝を眺めていた
確かに六メートルの滝であったがかつてそこにあったであろう滝の釜は砂利や砂で全て埋まっていた

そして滝下の流れ出しの石の上に光る妙な物を見つけた 私はそれが気になり足を引きずり近づいて行った
それは岩魚だった それもまさしく私が滝上で放してあげた背びれの無い傷ついたいた岩魚なのである
岩魚の右腹は何者かに引き裂かれまだ血が滲み出ていたのである そして岩魚の目を見て私は思った、あの私を助けてくれた犬の目に似ていると
私の目からは自然と涙があふれてきた 「ありがとう」と心の中で叫んだ

私は山ゆりの花の下に穴を掘り岩魚を埋めた その横で座り空を見上げていると目の前は真っ暗になりどこか地の奥底に落ちていくような感じがした
そして遠くに父のバイクの音が聞こえていたような気がした

気が付くと私は家の布団に寝ていた 足を見ると少し腫れているようにも見えたが痛みは無かった もしかして夢だったのだろうか
父は何も言う事もないし私も何も聞こうとはしなかった、私は夢の中の出来事だったと思うようにした

その時から何故か父は釣に出かける事が無くなり 私も父に釣をせがむ事は無くなった

あれ以来父の隠し沢へは行っていない

私はあの日見たのです自転車の車輪にそれまで無かった笹の葉が絡まっていたのを・・・

END

信じるか信じないかはあなた次第・・・