京都では、柊野は「ひらぎの」と読むそうです。柊(ひいらぎ)のある野原という由来でしょうか、定かではありません。(^。^)
賀茂川を上流へ、上賀茂神社を過ぎて、志久呂橋を渡ったあたりに、巨木の「散椿」(チリツバキ)を擁する「奥村家」が見えてきます。(^-^)
塀の外からも充分にその大きさが分かるほどの見事な「散椿」、、、しかも、五色の花を付けることから、「五色八重散椿」と呼ばれています。(^_^)
塀の外からも充分にその大きさが分かるほどの見事な「散椿」、、、しかも、五色の花を付けることから、「五色八重散椿」と呼ばれています。(^_^)
五色八重散椿としては国内最大で、推定樹齢400年。もとは一本だった木が分かれて四本の株立に見えるそうで、京都市の天然記念物に指定されています。m(._.)m
花の盛りは、4月中旬から下旬とのこと、、、来春、ぜひ拝見したいと考えています。(^。^)
「五色八重散椿」と言えば、洛中の「地蔵院」が有名で、「椿寺」とも呼ばれています。(^-^)
「地蔵院」は、足利義満の命により、金閣造営の余材を以て仮堂を建て地蔵菩薩を奉安し、次いで、豊臣秀吉の命によって一条紙屋川西の現在の地に移り、今に至っているそうです。(^_^)
その秀吉が献木したと云われる「五色八重散り椿」があったため、「椿寺」と呼ばれ、浄土宗となって知恩院の末寺と改め、本尊を五却思惟阿弥陀如来とされました。(^。^)
本堂南側の観音堂内中央の御厨子には、慈覚大師の作と伝えられる一木作りの十一面観世音菩薩立像があり、洛陽三十三所観音霊場の第三十番札所となっています。(^-^)
境内には、忠臣蔵で有名な義商「天野屋利兵衛」の墓所などもあります。(^_^)
「柊野の見越しの椿五色八重
散りゆく花は誰の想ひや」
by 祖谷馬関