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我が心の俳句とか徒然 〜祖谷馬関〜

九九は藤原京に在り

時折、これ知らなんだ、というニュースがありますよね!!(◎_◎;)

昨晩のニュース、「今から1300年以上前の藤原京時代に、なんと算数の九九が使われていた」という事実!(^。^)

いや、ニュースは「最古級の木簡が見つかった」という趣旨で、「九九が使われていた事実」は以前から知られていることだったみたいです。(^-^)

しかし、馬関としては、「奈良時代以前から日本人が九九を使っていた」ということに本当に驚きました!m(._.)m

以下、ネットより引用。

藤原京(奈良県橿原市、694~710年)跡から出土したかけ算の九九が書かれた木簡が、役人が徴税の計算などに使った最古級の早見表とみられることが分かり、4日、奈良文化財研究所が発表した。

木簡は、2001年に藤原京左京七条一坊で一部のみ現存した形で出土。長さ16.2センチ、幅1.2センチで木簡の一部だった。「規則性は見いだしがたい」と報告されたが、最新の赤外線装置を使い再検討したところ、「九々八十一」の下の2段目は「四九卅(三十)六」と読める可能性があることが分かった。
復元すると、全体で8段5行だったとみられる。
当時の役人が仕事などで使用したとされ、実用的な九九木簡としては、これまで見つかった中で最古級。

☆*:.。. o(≧▽≦)o .。.:*☆

調べてみると、なんと、児童書でも「九九の由来」が紹介されているそうです。(°▽°)/

小学生から、「おっちゃん、義務教育からやり直しやー!」と言われそうですね。m(._.)m

例えば、ある児童書では、こんな風に紹介されています。(^_^)

九九は、中国で生まれましたが、朝鮮から日本につたえられたのは、奈良時代でした。九九を初めて知ったのは貴族で、九九の便利さに驚き、平民に知らせず秘密にできないものか?と考え、九九81から唱えるようにしました。
それから八百年後の安土桃山時代に、町人が「読み書きそろばん」を習うようになって、九九は、ようやくみんなのものになってきました。九九を、今の順序で唱えるようになったのは、それからです。

また、別の児童書には、次のように記載されています。m(._.)m

九九は中国から伝わり奈良時代の平城宮跡から九九の一部が書かれた木簡が見つかっています。
970年に平安貴族の子弟のために書かれた「口遊」(くちずさみ)という本に、「九九」が「九九八十一」より記されています。
また、江戸時代、九九を36通りにアレンジしたのは、大ベストセラーになった数学の本『塵劫記』(じんこうき)を書いた吉田光由という数学者です。

☆*:.。. o(≧▽≦)o .。.:*☆

小学生向けにしては、ものすごく詳細かつ専門的な知識ですよね、、、ほんと近頃の子供は侮れません。(≧∇≦)

「重陽や九九は藤原京に在り」 祖谷馬関

(注)重陽は晩秋の季語。旧暦の九月九日の節句。菊の節句ともいう。長寿を願って、菊の酒を飲み、高きに登るなどのならわしがある。
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