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我が心の俳句とか徒然 〜祖谷馬関〜

能登半島復興支援ソング(製作中)

元日に発生した能登半島地震から四か月が経ちました。m(._.)m

断水が続く地域もあり、まだまだ復興までの道程は遠いですが、それでも少しずつ生活再建に向けた足音が聞こえてきました。(^。^)

能登半島地震を受けて運休していた「のと鉄道」が4月6日に全線での運転を再開、この路線には、桜のトンネルで有名な愛称「能登さくら駅」(能登鹿島駅)があります。(^-^)

桜の足下にある花壇には、色とりどりの花がきれいに咲いており、これらは、2014年、地元の女性たちで結成された「桜娘ズ。」によって整備されているそうです。(^_^)

「桜娘ズ。」は、桜の時期が終わっても一年中、楽しめる駅にしようと活動を続けてきており、佐藤代表は、「花というのは人と人をつなぐ役目があるんじゃないかなって、わかりました。桜が散ると寂しい駅になっていたので今現在やっと一年中花が咲く花壇になりました。」と胸を張って語っておられます。٩( ᐛ )و

続けて、「前の2007年の能登半島地震の時にね、桜が全く咲かなかったんですよ。桜って悲しんでいるんだねと、地元では感じていました。だから今年はなんとか頑張ってほしいなと思って蕾を待ち望んでいるんですけど。」(°▽°)

4月6日、のと鉄道再開の日、「桜娘ズ。」をはじめ市民の期待に応えるように、能登の桜は開花を告げたそうです。(^。^)

本当に良かったですね。( ^_^)/~~~

「能登の春想ふ心やさくら駅」 祖谷馬関

(注)桜は春の季語。桜は花の中の花。古来より詩歌に歌われ、日本人に愛されてきた花である。もともとは、山野に自生する野生種であったが、江戸末期から明治にかけて、栽培種である染井吉野が誕生し、現在では、桜といえば染井吉野をさす。桜は神話の時代から、春を代表する花であったが、一時、中国から伝わった梅に、その地位を奪われる。『万葉集』集中の歌でも、梅の歌は桜の二倍以上になる。桜が梅に替わって、再び春を代表する花となったのは平安時代で、『古今集』では多くの桜の歌が見られるようになる。紫宸殿の「左近の桜」も最初は梅であったが、梅が枯れた後は桜に植えかえられた。

☆*:.。. o(≧▽≦)o .。.:*☆

我が親父バンド「サムプルズ」は、今秋、大阪は谷町四丁目の沖縄料理店「花菖蒲」さんにて、「能登半島復興支援チャリティーライブ」を予定しています。(^-^)

このライブに備えて、馬関なりの想いを込めた「能登半島復興支援ソング」を作っているところです。(^_^)

「さくら駅にて」 
〜能登半島復興支援ソング〜

さくら駅と呼ばれる
小さなホームに立てば
満開の花の向こうに碧く
能登の海が見える
一両きりの列車が
ゆっくりと滑り込めば
歓声と共に笑顔弾けて
花びら風に舞う
あの日、春を待たずに
その町は、明日を失った、、、
故郷を追われた人は
見知らぬ町へと逃げ延びた、、、
途切れた鉄路の果てに
わずかな望みを託して、、、
ああ、切なさや哀しみの中で
それでも、前を向いていたい
ああ、苦しみのあとには必ず
花咲く日が来ると信じて、、、
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