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我が心の俳句とか徒然 〜祖谷馬関〜

老い先を考える、、、

今朝、新聞を読んでいて、「老い先」に関する記事や広告がヤケに目に留まりました。(^。^)

一つは、人生相談コーナーで、50歳代のフリーランスの女性からの悩み相談でした。(^-^)

「ピーク過ぎ、老い先絶望感」と題して、入退院を繰り返すようになり、半生を振り返ると、子育てに追われていた日々がキラキラして見える。あの頃が人生のピークで、これからは下り坂で老いて死ぬのを待つばかりと絶望しており、何をしても満たされない。」とのことでした。m(._.)m

誌上の回答は、「幸せとは、特別なものではなく、今あるものや支えてくれる人の存在に気付き、生活を楽しむ中で見つかるもの。」との趣旨でした。(^-^)

もう一つは、書籍の広告で、「老いたら好きに生きる」、、、精神科医の和田秀樹さんの著作です。(^_^)

「肉を食べて健康長寿」、「酒もタバコもほどほどに楽しむ」、「しっかり噛めば脳も見た目も若返る」など、あまり気にせず奔放に生きよ、という陽気なメッセージが踊っていました。( ; _ ; )/~~~

馬関的に気になったのは、「メモ魔になれば物忘れが減っていく」というメッセージ。(^。^)

馬関は、これからの余生、身体の衰えと共に、頭脳の劣化をかなり恐ろしく感じていますが、確かに「メモ魔になることでカバーする」くらいの気概で生活しなければならないと思い至った次第です、ハイ!!(◎_◎;)

いずれにしても、抗えない「老い」に対して、どのような心構えで余生を生きるか、、、時の流れの中で、未知である将来を必要以上に悲観せず、「現在」を懸命に生きるほかないですね。(^_^)

「老い先や知らぬも愉し花御堂」 祖谷馬関

(注)花御堂は晩春の季語。釈迦の誕生日とされる四月八日、灌仏のために諸寺に設けられた小さなお堂。草花で屋根や四本柱を葺き、中の水盤に右手を上げた誕生仏の立像を置く。参拝者は甘茶を注ぎ誕生を祝う。
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