その名の由来は、諸説あるようですが、次のような次第です、ハイ。m(._.)m
淀川と呼ぶようになったのは江戸期からで,澱川(よどがわ)・澱江(でんこう)と記すこともあった。
江戸期以前には近江川とか山城川とも呼ばれたが、『古今集』では山城の淀の辺りを詠んだ歌で淀川といい、平安末期の『扶桑略記』では山崎川,『万葉集』では取替川などと見える。
さらに『日本書紀』仁徳天皇の条には大和川を南水とするのに対し、当川を北の河と記している。
淀は、かつては木津川・宇治川・桂川の三川合流地点であり、巨椋池の下流とも連なり、淀川の起点でもあった。
現在、三川合流地点は、春の桜の名所となり、「さくらであい館」なる川の駅を兼ねた施設が賑わいを見せています。(^-^)
大阪は十三駅あたりの堤防から淀川を見晴るかすと、対岸の梅田のビル群が圧巻の眺望となります。(^-^)
黄昏時、淀川の鉄橋を渡る列車は、西へ傾く夕陽に溶けてゆくように見えます。
秋の足音が聞こえるような気がしますね。( ^_^)/~~~
「淀川に晩夏の夕陽煌めいて
鉄橋越しに溶けゆく列車」
by 祖谷馬関