こんばんは、安井ふみです。
大阪南寄り住まいの50代独男です。
晩の気候がようやく晩夏のようになり過ごしやすくなりました、私的に(私には今も半袖で十分なのです)。10月半ばと言うのに今日は特に。
今日は夕食後、時間指定の再配達の簡易書留を受け取った後、ふらっと出掛けたい気分でした。
数駅でもいいから電車に乗りたい気分で、でももう夜の7時半過ぎ。出来れば書店を目的地にしたいのですが、電車で移動となると駅までの時間、うまく乗れたとして移動時間云々で書店の空いている時間がどんどん減っていくことになります。
で諦め始めた同時に、『本なら売り払っても良いほど読んでない本がかなりかなりたくさんあるではないか?と気が付きます。
そう『積ん読』本がうちにはかなりかなりあるのです。(読まない本なのに『読』入れるとは、この言葉を考えた人はかなりの皮肉屋ですね)
そうある意味、自分ちは『私設本屋』もうちょっとカッコつけて『私設書店』。
(『私設図書館』でも良いような気がするけれど、これは実際そんなところが本物としてあるので使えないです。オリジナリティにこだわる私。)
なんとこの私の書店(私設本屋)は、読みたい本が必ずあるという『間違いない書店』なのです。
(ここは厳密に『読みたかった』という過去形表現の本もあるでしょうが、“そんなわざわざお金を出してまで欲しくて買ったのだからつべこべ言うな!”と、自分に叱咤して、“責任もって読め”と言い聞かせています。…だから速読術を会得したいんですけど。)
等と思考を巡らせて、今晩の書店へのお出掛けは中止となりました。
そんな風で『もう本を買う事をしばらく辞めておくことにしよう!』みたいなところまで考えを持っていけそうでも、きっと私、明日になれば普通に書店に行って、またすぐ読まない本を購入するかもしれません。
いや明日本屋に行かなくても、明後日以降に本を買うことは間違いないことでしょう。お約束できます。
…こういう約束は出来てしまうし、実行にも移せてしまうものですよね。こんなでなければ私、もっと違う人生を歩んでいたことでしょう。
ただ来週にはもう冬の気候になるとのことで、この快適な晩夏の晩を少しでも感じておこうと、すぐ近くのスーパーへ少なくなっている牛乳のパックを買いに出掛けました。
最後までお付き合いいただきありがとうございます。
今回のブログ記事を書いていて、今の感じが『晩夏』なのか『初秋』なのかわからなくなっていました。
来週には冬の寒さになるのなら、今を『初秋』とするなら『初冬』と被って同時進行のようになり、秋が終わる頃の『晩秋』が無くなってしまいます。
それなら言葉的に、暑さが終わる現実として『晩夏』の方が似合うかなと。
なんてややこしいことを書いていますが、ほんとにややこしい気候にはなっていますよね。