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宮城県における大震災の対応について

2012年07月10日 08時07分36秒 | 徒然日記

 

H24.7.9日 宮城県ホームページに公表されました

平成24年7月9日 東日本大震災災害対策本部会議-議事要旨/会議資料-について(危機対策課)

議事録がないので個人メモや記憶から起こしたというが、まぁ、手抜かりがないよう綺麗にまとめているといった感想です。  後だしじゃんけんそのものだね。

本当にこれだけ頑張っていたんだったら、もっと報道に顔出しして方針、対策を説明してたら良かったと思う。「県からのお知らせ」とか!

常に上から、国からの指示を仰いで行動している感じがし、県独自で県民からの声に耳を傾ける事はあまりおこなわれていないようです。自己満足・独りよがり救援の一年だったような。

 

原発事故による放射能汚染対策については、当時からこのブログで何度も何度も訴えていたことでした。

しかし、この報告書で宮城県は原発の放射能汚染対策については、知事をはじめ、主幹担当課に至るまでほとんど関心が無かった事があらためて分かりました。

3月12日に原発1号機が爆発し、多くの宮城県民が全国TV等で確認出来たのに、県ではその事に触れていません。その他の事案に終始していた事が分かりました。

放射能の恐ろしさを知らない無知な指導層がいると、後々県民が泣くという事をまざまざと知らしめました。県南の核物質汚染、県北の核物質汚染、汚染があとで判明して行政の信用を失墜させました。風評被害というより、全国に行き渡らせた稲藁などで放射能汚染実害を一層拡大させました。

偶然?仙台周辺には風の向きが向いてなく当時は放射能被害が無かった事になっていましたが、後で各自治体が主体となって放射能測定を開始し、実はホットスポットは至るところに点在していた事が判明しました。県は自ら測定する事を放棄し、初動体制が出来ていなかった事が分かりました。

報告書を斜め読みして、やらなければならない事が山積していた事は良くわかりましたが、原発事故に対する放射能汚染測定や対策が後手後手になっていた事、遅きに失していた事が分かりました。

放射能汚染対策等で、県南の汚染地をどうするか有識者会議で決めたようですが、有識者とは誰なのか、誰が何を言ったのか、公表すべきです。氏名がないと責任が曖昧になります。普段は何をしている人かも知りたいですね。

 

松下幸之助は人を作るため松下政経塾を作ったんでしょうが、卒業生は人を作る事はせず、ほとんど経済だけに奔走しているように見えますね、国のトップをはじめ、宮城のトップまで!

もう少し、県民の声に真摯に対応していただきたいものです。今、この瞬間県民は何を望んでいるのか瞬時に判断し、非常時であればなおさらスピーディに応えて欲しかった。

 

 

 

 

 

 

 


1 コメント

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震災からの初動 (ja7hlj)
2012-07-10 12:43:42
報告書については全部読んでいません。
後だしジャンケンだから負ける訳がないからです。
初動がどうだったかでほぼ全体が見えたような気がします。
放射能事故というと、シロートの当局ですら一県に留まらない被害が想定されるのに、宮城の指導層にはそれだけの知識を持っている人がいなかった事が驚きで信じられません。
もし、また放射能事故が発生したら宮城の指導部はどのように対処するんでしょう。
マニュアルを作っておいた方がいい。
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