“景気のいい話”の第二回です。景気がいいといっても、金もうけの話ではなく、日本人や日本が今後21世紀をどう歩めばよいかを考えるための資料です。特に、学者・研究者のみなさんがお読みいただいて、今後の研究を進める上でなにがしかのお役に立てれば、幸いです。
それでは、次に、国際日本文化研究センター教授の安田喜憲著『文明の環境史観』(中公叢書、2004年5月10日発行)の「まえがき」を転記します。
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4120035131/503-8677794-9695922
「 まえがき
現代文明の抱えた問題、それは文明が大地を忘却したことにある。文明は大地と人間のかかわりあいの中で誕生し発展してきた。だがグローバリズムの進展の中で、現代文明はいつしか、大地と風土性を忘却し、暴走しはじめたのではあるまいか。
大地を忘れた文明論が勢いを増してくると、人間社会には大きな悲劇がもたらされる。大地がかもしだす風土性を忘却した歴史観の代表が、人間中心史観である。大地や風土の相違にかかわらず、人類の文明は無限に発展するという歴史観によって、地球の無数の命が失われ、今、この時においても、何千、何万という命が地球から消えていく。
不思議なことだが、研究者が大地にしっかりと根を張り、大地や海のかもしだす風土性とのかかわりを考察している限りにおいて、その精神と肉体は健全であり、その研究者がつむぎだす学問もまた、悠久の命を得ることができるように私には思われてならない。
日本人は、日本とはまったく異質の風土に育った海外の権威に弱い。そこには、珍しい物は海の向こうから来る。海外はこの閉ざされた島国よりもいつも発展しているという、島国特有の風土の下で醸成され、何千年にもわたって植え付けられた、一種の強迫観念にも似た日本人の精神構造があるように思われる。
江戸時代までは中国を礼賛し、明治維新以降は西洋文明を礼賛し、第二次世界大戦以降はアメリカ文明を礼賛してきた。海外の権威者は、あたかも神のごとくに祭りあげられて、本来公平であるべき学会が、宗教結社のごとき集団を結成した時さえある。
日本人は学問をするのではなく、欧米文明礼賛の宗教的儀礼を行っていたのではあるまいかとさえ思われる時代があった。そしてその結果、日本人は明治維新以来、とりわけ第二次世界大戦の敗北によって、圧倒的な欧米文明の前に、自ら考えることを放棄することになった。
しかし、ヨーロッパの大地と日本の大地は異なる。その異質の大地と風土にしっかりと根を張った学問は、おのずからヨーロッパのそれとは異なるはずである。
しかしながら、その大地を研究する学問でさえも、ほんの最近まで欧米中心の環境史観から自由であることができなかった。ヨーロッパアルプスの氷河の編年は、なんの疑いもなく、いや輝かしい文明の光と権威さえともなって、日本列島の第四紀の編年に適用された。気候変動もヨーロッパの気候変動が標準だった。われわれは日本列島を含むモンスーンアジアの気候変動を、ヨーロッパのそれにあてはめていくという作業を、何の疑いもなくくりかえし行ってきたのである。
だがわれわれによる「年縞(ねんこう)の発見」によって、高精度の環境史の復元が可能となった。年縞の分析によって過去の環境が年単位いや季節単位において、それぞれの地域において復元することが可能になると、ヨーロッパの編年は、地球規模でみれば、きわめて特異な現象であることが、明らかになりはじめてきたのである。
いやむしろ、われわれの住むモンスーンアジアこそが、地球環境変動のトリガー(引き金)である可能性さえ出てきたのである。このモンスーンアジアの編年に、ヨーロッパの研究者が自らの編年をあてはめなければならない時代がやってきつつあるのである。
こうした近年の新しい環境史の成果は、これまでのわれわれの大地と風土に対する見方に根本的な転換をせまりつつある。暑熱と湿潤が結合し生き物に充満した、耐えがたい風土と、人間の理性を発展させない過酷な風土とみなされてきたモンスーンアジアの風土が、今や、地球環境変動の鍵を握る重要な役割を果たし、生物の多様性を温存し、人類の未来にとってはかけがえのない風土であるとみなされるようになった。
それとともに、そこに暮らした人々の生活や文化が見直されはじめた。これまで未開・野蛮の暮らしを長い間続けていたとされる稲作漁撈民が、文明を有していたことが明らかとなってきたのである。それが長江(ちょうこう)文明である。しかも、その長江文明は、これまでの古代文明よりいち早く、都市文明の段階に到達していた可能性さえでてきたのである。
文明は大地と人間のかかわりの中で誕生し、そして発展してきたものである。そのモンスーンアジアの大地と風土が、地球環境変動のトリガーであり、世界に先駆けて変動しているのであれば、文明もまた、世界に先駆けて誕生していてもおかしくはない。
不思議なことに、大地と深くかかわる中で人間が創造した芸術作品は、悠久の命をもつ。学問も同じであると思う。大地とのかかわりにおいて展開される研究は、人間中心主義に立脚した研究より、はるかに長い命をもつことができるのではあるまいか。なぜなら、自然の存在は、人間の創造物をはるかに凌駕する存在であるからである。
この宇宙において真に信じることができるのは、自然であり大地である。命の長い健全な文明論もまた、その自然・大地とのかかわりを無視しては、存在しえないのである。
そして大地と風土とのかかわりにおいて文明や歴史を論じることによって、西欧中心史観、人間中心史観からの完全な離脱も可能となるのである。そのことによって、長い西欧文明礼賛の時代は幕を閉じ、新たなアジア中心史観、環境史観に立脚した人類文明史の構築が可能となるのである。筆者は本書において、大地に根ざした文明論を展開し、新しい地球史、新しい人類文明史を構築する第一歩を踏み出したと思う。」
それでは、次に、国際日本文化研究センター教授の安田喜憲著『文明の環境史観』(中公叢書、2004年5月10日発行)の「まえがき」を転記します。
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4120035131/503-8677794-9695922
「 まえがき
現代文明の抱えた問題、それは文明が大地を忘却したことにある。文明は大地と人間のかかわりあいの中で誕生し発展してきた。だがグローバリズムの進展の中で、現代文明はいつしか、大地と風土性を忘却し、暴走しはじめたのではあるまいか。
大地を忘れた文明論が勢いを増してくると、人間社会には大きな悲劇がもたらされる。大地がかもしだす風土性を忘却した歴史観の代表が、人間中心史観である。大地や風土の相違にかかわらず、人類の文明は無限に発展するという歴史観によって、地球の無数の命が失われ、今、この時においても、何千、何万という命が地球から消えていく。
不思議なことだが、研究者が大地にしっかりと根を張り、大地や海のかもしだす風土性とのかかわりを考察している限りにおいて、その精神と肉体は健全であり、その研究者がつむぎだす学問もまた、悠久の命を得ることができるように私には思われてならない。
日本人は、日本とはまったく異質の風土に育った海外の権威に弱い。そこには、珍しい物は海の向こうから来る。海外はこの閉ざされた島国よりもいつも発展しているという、島国特有の風土の下で醸成され、何千年にもわたって植え付けられた、一種の強迫観念にも似た日本人の精神構造があるように思われる。
江戸時代までは中国を礼賛し、明治維新以降は西洋文明を礼賛し、第二次世界大戦以降はアメリカ文明を礼賛してきた。海外の権威者は、あたかも神のごとくに祭りあげられて、本来公平であるべき学会が、宗教結社のごとき集団を結成した時さえある。
日本人は学問をするのではなく、欧米文明礼賛の宗教的儀礼を行っていたのではあるまいかとさえ思われる時代があった。そしてその結果、日本人は明治維新以来、とりわけ第二次世界大戦の敗北によって、圧倒的な欧米文明の前に、自ら考えることを放棄することになった。
しかし、ヨーロッパの大地と日本の大地は異なる。その異質の大地と風土にしっかりと根を張った学問は、おのずからヨーロッパのそれとは異なるはずである。
しかしながら、その大地を研究する学問でさえも、ほんの最近まで欧米中心の環境史観から自由であることができなかった。ヨーロッパアルプスの氷河の編年は、なんの疑いもなく、いや輝かしい文明の光と権威さえともなって、日本列島の第四紀の編年に適用された。気候変動もヨーロッパの気候変動が標準だった。われわれは日本列島を含むモンスーンアジアの気候変動を、ヨーロッパのそれにあてはめていくという作業を、何の疑いもなくくりかえし行ってきたのである。
だがわれわれによる「年縞(ねんこう)の発見」によって、高精度の環境史の復元が可能となった。年縞の分析によって過去の環境が年単位いや季節単位において、それぞれの地域において復元することが可能になると、ヨーロッパの編年は、地球規模でみれば、きわめて特異な現象であることが、明らかになりはじめてきたのである。
いやむしろ、われわれの住むモンスーンアジアこそが、地球環境変動のトリガー(引き金)である可能性さえ出てきたのである。このモンスーンアジアの編年に、ヨーロッパの研究者が自らの編年をあてはめなければならない時代がやってきつつあるのである。
こうした近年の新しい環境史の成果は、これまでのわれわれの大地と風土に対する見方に根本的な転換をせまりつつある。暑熱と湿潤が結合し生き物に充満した、耐えがたい風土と、人間の理性を発展させない過酷な風土とみなされてきたモンスーンアジアの風土が、今や、地球環境変動の鍵を握る重要な役割を果たし、生物の多様性を温存し、人類の未来にとってはかけがえのない風土であるとみなされるようになった。
それとともに、そこに暮らした人々の生活や文化が見直されはじめた。これまで未開・野蛮の暮らしを長い間続けていたとされる稲作漁撈民が、文明を有していたことが明らかとなってきたのである。それが長江(ちょうこう)文明である。しかも、その長江文明は、これまでの古代文明よりいち早く、都市文明の段階に到達していた可能性さえでてきたのである。
文明は大地と人間のかかわりの中で誕生し、そして発展してきたものである。そのモンスーンアジアの大地と風土が、地球環境変動のトリガーであり、世界に先駆けて変動しているのであれば、文明もまた、世界に先駆けて誕生していてもおかしくはない。
不思議なことに、大地と深くかかわる中で人間が創造した芸術作品は、悠久の命をもつ。学問も同じであると思う。大地とのかかわりにおいて展開される研究は、人間中心主義に立脚した研究より、はるかに長い命をもつことができるのではあるまいか。なぜなら、自然の存在は、人間の創造物をはるかに凌駕する存在であるからである。
この宇宙において真に信じることができるのは、自然であり大地である。命の長い健全な文明論もまた、その自然・大地とのかかわりを無視しては、存在しえないのである。
そして大地と風土とのかかわりにおいて文明や歴史を論じることによって、西欧中心史観、人間中心史観からの完全な離脱も可能となるのである。そのことによって、長い西欧文明礼賛の時代は幕を閉じ、新たなアジア中心史観、環境史観に立脚した人類文明史の構築が可能となるのである。筆者は本書において、大地に根ざした文明論を展開し、新しい地球史、新しい人類文明史を構築する第一歩を踏み出したと思う。」