4月22日(日曜日)
以前、館山でお世話になったドッグリゾート わん’sLAND さんが4月に神奈川の三浦海岸に新しい施設をOPENさせたってコトで、お邪魔がてらまだ足を運んだことのない三浦半島で遊んできました!
朝早くから出かけるつもりが、なんやかんやで出発したのは朝の9時...
渋滞にハマる覚悟だったけど湾岸線が以外にもスイスイ通れ(とはいえ浦安でシッカリ❝鼠詣で渋滞❞にはハマりましたが)、11時前には第一の目的地、横須賀へ到着!
で、ココでいきなりワンコ達はお留守番
最初の場所はなんと ペット禁止の場所
バッチリ日陰の駐車スペース確保できてヨカッタ!
そのペット禁止にもかかわらずどうしても来たかった場所は...
はい、三笠公園 です♪
名前の通り、明治38年5月27日にロシアのバルチック艦隊との間で行われた日本海海戦(対馬沖海戦ともいう)にて連合艦隊旗艦としてこの海戦に参加したあの戦艦三笠を展示している公園です。
ええ、嫁様ではなく私の趣味ですとも!!
三笠の前に時の連合艦隊司令長官 東郷平八郎の像と、海戦に際して述べたとされる『皇国の荒廃この一戦にあり』の銘板(東郷が発したといわれるこの言葉、実は参謀の秋山真之の言葉だそうな=実際の東郷は寡黙であまり喋らない人物だったらしい)
当時、東洋の島国がロシアに勝ったということで、世界中にアドミラル・トーゴーの名前が知れ渡り、米海軍では神格化されて敗戦後、軍人の像などは撤去されるものがほとんどだったが、東郷のものには手を触れさせなかったり、フィンランドではトーゴーという名前を浸かる人が現れトルコではトーゴー通りなんてのもあったそうです(どちらの国も大国ロシアに苦しめられていたので、日本の勝利は我が事のようにうれしかったのでしょうね)
ウンチク長すぎた でも坂の上の雲を手垢がつくほど読み、映画「二百三高地」をテープが擦り切れるまで見た日ロ戦争ヲタクはも~止まらん(苦笑)
今更ですが興味のない方は読み飛ばしてね(爆)
ま~ったくキョ~ミない嫁様もいちお~付き合ってくれてる...
怒涛の如くウンチク垂れる私を受け流しながら...
世界3大記念艦の1隻(英:ヴィクトリー・米:コンスティチューション・日:三笠)でも他の2隻は帆船で現役艦、三笠は内燃機艦でコンクリートに覆われ砲は模擬砲、機関もすべてない状態... 何故か?
それは大正22年に採択されたワシントン軍縮条約(WW1戦勝5か国の軍備縮小を謳った国際条約)で、日本はイギリスの6割にも満たない数の艦艇しか持てなくなったため、新しい軍艦を作る場合、基準を満たすよう古い艦艇を廃棄しなければならなかった為です。
本来、三笠も廃艦となる運命であったが、記念館として兵装を取り払いコンクリートで周囲を固め、再稼働できなくすることを条件に特例として存続が認められたため、現在のような保存がなされたそうです。
この「みかさ」艦名プレートは建造時のままだそうです。
というのもこの三笠、終戦のドサクサで上部構造物のほぼすべてを剥ぎ取られ、GHQに接収されてからはナント、キャバレーや水族館になってしまっていたそうです... トホホ
上記に書いたように米海軍の中には東郷平八郎を敬愛する軍人が多く、連合軍の一員として日本とも戦い、少尉候補生時代に日本で東郷に会う機会のあったチェスター・ニミッツ提督は昭和20年9月(日本の降伏文書調印の前日)に統合を偲ぶため訪れた三笠の現状に怒り、これ以上の略奪行為が起こらないように海兵隊を歩哨に立たせ、自ら手記「三笠と私」を書き売り上げを三笠復元のために寄付したそうです。
復元には紆余曲折があったようですが、1961年に無事復元工事が完了し、文化財として保存され今日に至ります。
復元にあたり、米軍が持ち去った調度品(長官室のテーブル等)は全て返還され、同時期にイギリスで建造されたチリ海軍の戦艦(三笠もイギリスに発注して建造された軍艦)が解体されるため一部の部品を寄贈されたそうです。
超前置き長かったですが、では早速入りませう
ちなみに公園内は無料ですが、三笠に入るのは有料となります。
主砲は既に撤去されておりコンクリートで復元されています。
この47mm単装砲は上下左右にちゃんと動きます。
なにやってんでしょうこの方
下甲板より下は例のワシントン軍縮条約によりコンクリートを敷き詰められているので、見学できるのは全体の一部のみだそうです。
三笠神社、伊勢の大麻(たいま=御払いを受けた御神札)が祭られているそうです。
この時代の軍艦はまだ帆船時代の名残が残っているようで、床や壁、調度品も現代の軍艦のイメージとは違います。
これは貴重な写真! 中央が東郷平八郎、前列右端が秋山真之ですね。
館内には最初期に掲げられていた菊花紋章も残っていました。
東郷平八郎直筆の書「皇国の荒廃この一戦にあり各員一層奮励努力せよ」
三笠の甲板には本来、チーク材が使われていましたが、戦後のドサクサで薪や建材代わりに剥ぎ取られてしまいました。
通信室前のこの一部だけが建造当時のチーク材を残しています。
いや~ 憧れの場所、現存する旧海軍の船はコレだけですからね~ 来れてヨカッタ!
テンション上げまくりの私と反比例してテンション低い嫁... 夫婦といえども趣味趣向は違うものさ~
付き合ってくれてアリガトゴザイマス
さ~気を取り直して、次は横須賀街歩き... やけど三笠を語りすぎて疲れてしまった
ので、続きは次回ということで
ワンコ旅やのにまだ1回もワンコ出てきてへん... こんなんで成立する思うんか~(嫁様談)
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