中学生の時、友達からハム(アマチュア無線)の免許を取らないか?
と誘われたのがきっかけでした。
小さい頃から機械いじりは好きだったし、
家が電気屋だったので半田ごて片手にラジオ作ったりしてました。
親に頼んで通信教育までやらせてもらったけど、
本屋で売ってる雑誌の方が勉強になったし分かり易かったのを今でもよく覚えています。
学校を休んで一人で新幹線に乗り、清水から名古屋まで試験を受けに行ったのを覚えています。
私を誘ってくれた友人は、結局免許を取らなかったけれど、もう一人無線にはまっている友達がいました。
試験に合格して免許証が届き、親に無線機を買ってもらいました。
NationalのRJX-601という6m(50MHz)のFM/AM機でした。
父と一緒に家の屋根に上り、6mのGP(グラウンドプレーンというアンテナ)を設置しました。
リグは他に父が知り合いから2m(144MHz)のFMモービル機と電源をもらってきてくれて、
その2台で開局しました。
当時の私は(今でもですが)人見知りで、
知らない人に道を尋ねることもできずに道に迷ってしまうような子供でした。
ですから、自分からCQを出したりすることもできず、
かといって交信の終わった相手を呼び出すこともできずにいました。
そんな私ですが、唯一記憶に残っているQSOが一つだけありました。
それは富士山頂でのQSOでした。
小学校6年生で初めての富士登山を経験しましたが、
その時はひどい高山病になってしまい、直るまで父におぶってもらい、
その後また自分の足で山頂まで登ることができました。
無線の免許を取って中2の夏に二度目の富士登山に家族全員ででかけました。
体が大きくなったせいか、それとも2度目からなのか、私は高山病になりませんでしたが、
初めて登った、姉は最初の私と同じでひどい高山病になってしまいました。
このとき、RJX-601を背負っていったのです。
単二の乾電池9本で動いていましたから、今のリグに比べれば結構重かったと思います。
心配性だった私は予備の電池を9本持って行こうとして、
父に止められたのを今でもよく覚えています。
山頂について早速リグを取り出し、電源を入れるともの凄く賑やかだったのを覚えています。
さすが富士山頂!
ある一局だけと交信しました。
途中混信がひどくて、QSYしましたが、もう一度交信することができました。
QSLカードも交換せず、Call Signも覚えていませんが、
無線の凄さ、富士山の高さを実感できた日でした。
しかし、それ以降内気な中学生だった私はせっかく買ってもらった無線機も
ほとんど使用することなく眠らせてしまいました。
30年経った親父になっても、未だに人見知りしますが、
自分からCQも出せるようになりました。(情けない話で、スミマセン)
今は430で車から電波を出しているので、ローカルの方とQSOすることが多いのですが、
ショートで終わっても、ロングになっても楽しいですね。
ファーストQSOでロングになることもあるので、色々な話が出来て楽しいです。
自分でも意外に思うほどですね。
この楽しさは言葉にするのが難しいですね。
知らない人と何を話すの?と聞かれても、自分も何を話したらいいのだろうと、
思っていた方なので・・・。
趣味の王様と昔からいわれていますが、お金がかかる趣味でもありますね。
皆さんのお話を聞いていると、アンテナが35mだとか、コン柱建てているとか、
羨ましい限りです。
でも、自分も車にホイップつけて車内に引き込んでハンディ機でQSOしてますので、
そんなにお金をかけなくてもできますね。
まあ、何でもそうですが道具にお金をかければ色々なことが出来るようになりますけど、
無いなら無いなりにできますね。(というか、それで我慢するしかないですしね。)
でも、QSOする楽しさは平等ですね。
と誘われたのがきっかけでした。
小さい頃から機械いじりは好きだったし、
家が電気屋だったので半田ごて片手にラジオ作ったりしてました。
親に頼んで通信教育までやらせてもらったけど、
本屋で売ってる雑誌の方が勉強になったし分かり易かったのを今でもよく覚えています。
学校を休んで一人で新幹線に乗り、清水から名古屋まで試験を受けに行ったのを覚えています。
私を誘ってくれた友人は、結局免許を取らなかったけれど、もう一人無線にはまっている友達がいました。
試験に合格して免許証が届き、親に無線機を買ってもらいました。
NationalのRJX-601という6m(50MHz)のFM/AM機でした。
父と一緒に家の屋根に上り、6mのGP(グラウンドプレーンというアンテナ)を設置しました。
リグは他に父が知り合いから2m(144MHz)のFMモービル機と電源をもらってきてくれて、
その2台で開局しました。
当時の私は(今でもですが)人見知りで、
知らない人に道を尋ねることもできずに道に迷ってしまうような子供でした。
ですから、自分からCQを出したりすることもできず、
かといって交信の終わった相手を呼び出すこともできずにいました。
そんな私ですが、唯一記憶に残っているQSOが一つだけありました。
それは富士山頂でのQSOでした。
小学校6年生で初めての富士登山を経験しましたが、
その時はひどい高山病になってしまい、直るまで父におぶってもらい、
その後また自分の足で山頂まで登ることができました。
無線の免許を取って中2の夏に二度目の富士登山に家族全員ででかけました。
体が大きくなったせいか、それとも2度目からなのか、私は高山病になりませんでしたが、
初めて登った、姉は最初の私と同じでひどい高山病になってしまいました。
このとき、RJX-601を背負っていったのです。
単二の乾電池9本で動いていましたから、今のリグに比べれば結構重かったと思います。
心配性だった私は予備の電池を9本持って行こうとして、
父に止められたのを今でもよく覚えています。
山頂について早速リグを取り出し、電源を入れるともの凄く賑やかだったのを覚えています。
さすが富士山頂!
ある一局だけと交信しました。
途中混信がひどくて、QSYしましたが、もう一度交信することができました。
QSLカードも交換せず、Call Signも覚えていませんが、
無線の凄さ、富士山の高さを実感できた日でした。
しかし、それ以降内気な中学生だった私はせっかく買ってもらった無線機も
ほとんど使用することなく眠らせてしまいました。
30年経った親父になっても、未だに人見知りしますが、
自分からCQも出せるようになりました。(情けない話で、スミマセン)
今は430で車から電波を出しているので、ローカルの方とQSOすることが多いのですが、
ショートで終わっても、ロングになっても楽しいですね。
ファーストQSOでロングになることもあるので、色々な話が出来て楽しいです。
自分でも意外に思うほどですね。
この楽しさは言葉にするのが難しいですね。
知らない人と何を話すの?と聞かれても、自分も何を話したらいいのだろうと、
思っていた方なので・・・。
趣味の王様と昔からいわれていますが、お金がかかる趣味でもありますね。
皆さんのお話を聞いていると、アンテナが35mだとか、コン柱建てているとか、
羨ましい限りです。
でも、自分も車にホイップつけて車内に引き込んでハンディ機でQSOしてますので、
そんなにお金をかけなくてもできますね。
まあ、何でもそうですが道具にお金をかければ色々なことが出来るようになりますけど、
無いなら無いなりにできますね。(というか、それで我慢するしかないですしね。)
でも、QSOする楽しさは平等ですね。