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みなさんこんにちは、平野です。前回の記事では教育が人身売買や労働搾取をなくす上で大きな役割を果たしうることについて書きました。今回はその流れから、女子教育の重要性について書きたいと思います。カンボジアに限らず、多くの国で女子は男子よりも教育を受ける機会が与えられることが少ないのが現状です。女子教育はどのような観点から大切なのでしょうか。
【人権としての教育】
教育の大切さは、これまでさまざまなかたちで語られてきました。かつては「経済発展に必要な良質な労働力の創出のために学校教育を」と考えられたこともありましたが、最近では教育の“手段としての重要性”という側面だけでなく、“それそのものとしての重要性”に光をあてる考え方が主流となってきています。経済発展との関連に関わらず、教育を受けることは人間の基本的な権利なのだという考え方です。そして教育が基本的人権であるならば、当然すべての子どもが教育を受けられるようでなくてはなりません。
もちろん、すべての子どもたちに教育を、ということは随分前(たとえば1948年の「世界人権宣言」)から唱えられていることですし、女性という観点から見ても1979年の「女性に対するあらゆる形態の差別の撤廃に関する条約」などがあります。ただ最近そういった「教育=人権」の考え方が主流になり、女子教育の重要性が改めて注目されているということです。手段としての重要性とそれそのものとしての重要性、という考え方は子どもの権利とも通じる部分があります。子どもの権利の実現は、立派なおとなへの成長につながると同時に、それ自体として大切な、例えばおとなになるまで生きられない子どもでも享受すべき、基本的人権であるからです。
【生活向上に大きく寄与する女子教育】
教育は人権であると同時に、教育は手段としての重要であることもまた事実であり、女子が教育を受けることについても、それによってさまざまな社会的利益があると考えられています。例えば本人を含めた家族や子どもの栄養、衛生状況の改善などによる乳幼児死亡率の低下、あるいは子どもの教育への良い影響、良質な労働力としての経済発展への貢献などが挙げられますし、また前回の記事にあるように人身売買の防止にもつながります。また教育はエンパワーメントをもたらすため、エンパワーされた女性は妊娠や出産に決定権を持つようになり、一般的には結果的に適正な人口に向かうと言われます。さらには、より民主的で平等な社会の実現にも女性のエンパワーメントは寄与するでしょう。
【教育の中身 】
学校教育では、通学と同時にその中味も大変重要です。カンボジアの学校については、「道徳の時間」の中で旧来からのジェンダー観を植え付けるような教育がされているという批判があります。男の子女の子それぞれの「守るべき規律」が暗唱されており、その中には「娘は家族のために犠牲に」「夫が怒ったら妻は口答えしない」などの記述があるからです。
女子教育というと女子の通学率の向上が議題に上りがちですが、学校教育の中味にも着目していかないと、旧来の価値観の再生産につながり、結局通学率の向上にもつながりにくいと言えると思います。
※写真はとある小学校の女子生徒たちです。先生が来るかわからない、と言いつつじっと待っていました。
すべての子どもが教育を受けられる社会に↓
http://jicrc.org/pc/member/index.html
以上、長々とすみません。
http://www.careintjp.org/news/samaki061130.html