台湾治郎

自分の生涯・現在の生活

ブログ235 根っこが育っていないと、木は、枯れる。

2013-03-06 18:06:36 | 台湾
これは、あくまで、たとえ話ですから、私の経験上、根っこを育てるのは、家庭の役割。
だから、その根っこがしっかりしているか見定め、生徒に対応している。
 両親が居ようが居まいが、「しつかり」根を張った生き方を教えている家庭もたくさんある。
 両親いても、育っていない家庭も・・・。
 それは、何なの?
困難、苦難、何でもいいから、今、大変な問題にぶつかっていると仮定し、その時、まず、当事者の生徒・学生
がどう対応するか。逃げてごまかす、それも一つの方法。・・・・・。
解決方法は、ひとつではありません。人生に答えの出せる問題は、そんなにたくさんない。
大切なことは、その困難を、本人が「肥やし」にできたか?
 つぎに同様な困難にぶつかったとき、また、・・・・。
その対応力が育っているかどうかが鍵。
 申し訳ない、また、貧乏な話で、貧乏の時代は、そんなに悩まない、なぜ?貧しいと、はっきり言って、
我慢以外の選択がない。選ぶ余地がないから、悩まない。
現代は、一応、物が豊かで、食べ物に不自由しない、・・・。ま、大体の物は、少しお金貯めれば手に入る。
そんな時代と・・・・。俺たち、三丁目のオールウエイズに生きた時代では、・・・・。
現代の若者が仕事をすぐ辞めたがるのは、わかる。昔と違って、企業も人が減っても、補充せず、居る人の中で残業させ、
成果をあげようとしている時代とでは、全然・・・・。
 だからこそ、自分の価値観が揺さぶられ、苦しいと、・・・・。逃げたがる。嫌、はっきり言って、逃げることも必要。
命を絶ってまで、守る仕事なんて、ないから。
一番大切なのは、自分の心と身体の健康。それを壊してまで、やる必要性はない。
 だから、自分にとって、大切な物は、何かを確認し、時として、その価値観を変えていく、柔軟さが今の時代には、
求められているように思う。私は、今日本にいないから、言いたいことだけ、言っているが・・・・。
海外に来て、思ったことは、日本人は、マジメ。マジメであることは、いいことだが・・・。逆に、硬直性を作っているような気がする。
だから、逆に不真面目になりなさいと言いたい。言われて「はい」といって、そうなれるくらいなら・・・。
悩む必要性は、ないよ。
 言いたいことは、自分の根本的な価値を何においているか。
私は、「しあわせ」という曖昧な物に一番重きを置いて生きています。だから、台湾で、振られても振られても、
メイクワンシー、新しい「縁」を求めて・・・。自分のすべきことを一生懸命・・・。
 どうも、おれも日本人。やっぱりマジメだ。あなたと同じ。
 なんか解決の糸口が見つからなくなりました。
 ごめんなさい。書いている俺が、わからなくなりました。
 ここから、逃げます。この文章前に載せたか覚えていません。でも、載せます。今確かめます。
載せてなかったようです。はやり、困難に出会ったとき、その人の根っこの強さがわかる。
俺の根っこ、結構、弱そうでしぶとい。麻雀でも何でも、諦めない。諦めなければ、いつかは、叶うと信じています。
                                               再見。


234 言語交換がとても充実・・・。今日も

2013-03-06 00:51:13 | 台湾
 昨日、七時から千恵さんとの言語交換。最初彼女が私の貸している日本の教科書の朗読。
前は、もっとうまかったんだけど、今日は久しぶりで、発音が元に戻っていました。台湾人だけではないが、他の国の人が日本語を話すと、「ピンイン」が入りやすい。もう一つは、漢字と接続詞を強く言いすぎ。だいぶ、千恵さんも上達したんだが・・・。また、練習、練習。私なりにかなり厳しく、イントネーシーションの間違いを指摘しました。
 約一時間。今度は、千恵さんが先生。私は、生徒。今回初めて、千恵さんの日本語の教科書を中国語に直す。六行ぐらい直せました。
少し感動がのこっています。「かむことの力」というタイトル。大体、私の単語力には、まず、咬むという単語からはいり、ひとつひとつ考えながら、表現を見つけていきました。師範大学では、教科書の言葉を暗記することはあっても、自己表現は、プレゼンテーションの時しか使わない。私が一番したかったのも、同じ。中国語でこのことは、どう表現するのか?多少文法が違っても、相手に通じる中国語。
 他の人も、そこには、いるが他の人の言葉もかなりわかり、応答した。もちろん、小学校のボランティアをすすんでやる人たちだから、一般の人より意識は、高いからかもしれない。けど、これで、これ続けけるモチベーションがぐーんと上がった。
 明日は、りゅうさんとの交換。今日と同じ学習をしてみよう思っています。もちろん、「りゅう」さんとの話し合いで決めますが・・・。
こういった善意の人たちに囲まれ、練習し、一般の人との交流に繋げられればと思っています。
後は、練習、練習。今までの学習したことを確実に自分の身体の中に入れ、さっと、その表現が出るレベルまで上達したいと考えています。
勉強の方法は、一つではないはず。いろんな方法があってもいい。大学で勉強して、良かったことは、文法と語彙数が増えたこと。前の二冊の教科書に出ている単語は、八割ぐらい理解しています。まだ、不十分な発音もあるが・・・。これも練習。
ただ。この練習は、自分ひとりだから、「ひとりにがり」の発音にならないか心配。それでも間違えても、「試試・看看」なんでもこの気持ちでぶつかる。あまりひどければ、周りが指摘してくることだろう。それまで「自己流」でやるしかない。もちろん、私も一応は、「ピンイン」は、読むことはできるだから・・・。当たらずとも、遠からず。
 大体、教え子に言われた。「先生の中国語は、とても汚い中国語になりそうですね。」汚くて、相手に通じれば、OK。通じないとすれば、もっと発音を厳密にやらねば・・・。その境目は、まだわからん。
 三冊目の教科書も気になるが、当面は、復習。同学(同級生)がすぐに言えるのに、なかなか言葉でない自分。同学(同級生)同士話し合っているのに。中に入れない自分。少しは、こんなこと話をしているだろう位は、わかるが・・・。自己表現を持たない私がどうして、瞬間的に切り返せる・・・。切り返せないもどかしさ・・。あらかじめ、原稿を用意すれば、話せるけど・・・・。とにかくこのレベル。
教科書に書かれていることを見ながらやるときは、よーくわかる。発音も、前に比べれば、だいぶ進歩してきた。
つまり私の中国語は、{看得トン}トンの漢字が出ないらしいのでカタカナ。見てわかるという意味です。
漢字を見ることでわかる。漢字が浮かばないと・・・・。ところが欧米系は、ピンインのみで。むしろ漢字がない方が早い。
ビンインを聞くことで理解している。日本人は、ピンインだけでできる人もいるが・・・。やはり、漢字の力に頼るところが大きい。
 明日以降。どんな言語交換になるかとても楽しみです。
                                                 再見。