さて、臨死体験で代表的なものを紹介させて頂きましたが、次に「中間世」という事について視点を移してみていきたいと思います。
仏教では「四有」というのを説いています。これは人々が輪廻する際に、その状態を顕した言葉だと言われています。
・生有:この世界に生まれ出てくる時
・本有:この世界で生きている時
・死有:この世界から死する時
・中有:死の後、次に生まれるまでの時
先に取り上げた臨死体験とは、この四有から見ると死有の段階の事になりますが、これからあ取り上げる中間世とは仏教で言う中有の事に該当します。
チベット仏教では、この中有の事を「バルド」と呼びます。バルドとは「中州と中州の間」という意味があるらしく、チベット仏教では中間世を中州を隔てる空間と模して考えており、生死流転の間にある世界という意味で捉えている様です。
さて、世の中では臨死体験という事は多く扱われ、作家の立花隆氏も「臨死体験」という著作でこの内容を扱っていて、欧米においても「NDE(臨死体験学)」という事で研究対象にもなっています。しかしその先について扱っている文献というのは、私が知る限りそれほどありません。
今回、この中間世の事については、J.Lホイットン博士、J.フィッシャー氏の書いた「輪廻転生-驚くべき現代の神話」を足掛かりに書いてみます。
J.L.ホイットン博士は十四歳頃から催眠家としての腕を発揮してきたと言います。彼は希望者を相手にパーティーの席などでこの技を使うことがありましたが、その時には前世へ誘導しようと試みたことはありませんでした。しかし二十代はじめのころ、ホイットン博士は輪廻転生思想に次第に惹かれていき、催眠技法にさらに磨きをかけていきました。その後、トロント大学で医師の諸免許をかさねて取得した博士は、同大学の主任精神科医になりました。
精神科医となり、臨床催眠術により、退行催眠等で無意識下の人間の心についてさらに理解を深めたホイットン博士は、トランス状態の被験者たちに精神的外傷の原因となった過去世の記憶を意識にのぼらせるよう誘導し、それを被験者が受け入れられるようにする事で、その被験者たちは、めきめきと病状に劇的な回復をとげる様になったのですが、なぜそうなるのか、博士自身にも満足のいく説明は出来なかったと言うのです。
ある時、ある被験者を退行催眠で催眠誘導している際、博士は誘導の仕方を間違えてしまいました。
「あなたが〇〇になる前の人物に戻ってください」(〇〇とは退行催眠でいう前世の人物名)
本来ならば、この様に誘導するところを、以下の様に誘導してしまったのです。
「あなたが〇〇になる前に戻ってください」
すると被験者は、ホイットン博士も想像していない言葉を語りだしたと言うのです。後にホイットン博士は、そこで被験者が語りだした内容は、転生する間にある中間世の事では無いかと結論を出し、そこから多くの臨床例を集め、この中間世について研究を進めています。
ホイットン博士の行なっている、死んでから生まれ変わるまでの間、すなわち中間世の状態の研究は、催眠を使った前世の調査研究から自然に発展していったものだが、博士の研究によって、この高次の自己についての私達の知識はさらに増加した。繰り返し被験者に催眠をかけて、一度転生してから次の転生をするまでの間の間隙へとみちびいていくうち、ホイットン博士は中間世の人間の意識が、今生での過去に退行したり前世に退行したりしているあいだに経験する意識より、はるか高い程度に達することを知った。この意識は、私達の現世にとらわれたリアリティーという概念を遥かに超えるもので人生を別の角度から眺めることを可能にしてくれる。中間世の状態では、俗に言う「善悪の判断力」が拡大して、心のイメージですべてを見通す力がさずけられるため、人間存在の意味と目的をはっきりと理解できるようになる。ホイットン博士はこの並外れた知覚状態を「超意識(メタコンシャスネス)」と名付けている。
これは「輪廻転生」の共著者であるJ.フィッシャー氏の言葉ですが、具体的にホイットン博士が垣間見たのは、どの様な内容であったのか、これから紹介したいと思います。
(続く)