自燈明・法燈明の考察

正法について考えた事⑧

 今日も一日、酷暑の日でした。
 昼間なんて外出する気にすらならない陽気で、エアコンつけた部屋の中で寝てまして、気が付いたら夕方になっていたという状況です。何かとってももったいない一日を過ごしてしまったという気がしていて、少し後悔しています。

 さて、「正法」という事で、つらつらここまで考えてきましたが、思うに「正しい教え」とか「正しい宗教」なんていうのは幻想にすぎないというのが、今の段階の私の答えとなっています。



 確かに日蓮という鎌倉時代の僧は、当時の社会に大いなる矛盾を感じていただろうし、その中で権力者側に阿り、本来の姿を忘れ去った仏教界には、強い危機感と共に憤りを感じていたのでしょう。鎌倉時代は今とは比較にならないほど脆弱な社会のインフラでしたし、少し天災がおきただけで、多くの人達が被災し、街中には死体が溢れ、人々の嘆き悲しむ姿は辻々にあった時代です。

 その世の中をどうにかしたい。

 仏教僧の立場からそういう事を感じ、時の幕府に「立正安国論」を上呈し、結果として生涯、権力者側やそれと結託した仏教界から苦しめられたというのが、日蓮の生涯だったと思います。

 その様な生涯を送った日蓮なので、その弟子達も権力側とは常に対峙する立場であったろうし、「正を立て国を安んじる」という生涯の日蓮を見た弟子達は、常に闘争し、自分達の正しさを証明せんと必死であった事は容易に想像できます。弟子達の中には、その事に疲弊し、日蓮の下を去った人も少なく無いでしょう。

 しかし果たして、「正しい法を確立する」という事と「社会を安寧にする」というのが、直結した論理であったのか。

 私も若い時には、創価学会でその様に教えられ、そうだと単純に信じていましたが、今になって思うとそんな単純な事では無い事が、漸く理解出来てきました。

 仏教の歴史を少し紐解けば、釈迦滅後すぐに仏教教団が「部派仏教」という事で分派したという事実があり、「教え」とか「経典」なんてあったとしても、その解釈をめぐって人間はいくつもの派閥に分かれる事が理解できます。これは教義という問題以前に、人間の理解力や解釈の仕方というのは、百人いれば百通りのものが出来てしまうという事を現すのです。

 またこういった分派というのは、何も教条的・教学的な問題だけではなく、人と人との相性の問題で折り合わず、教義という理屈をもって分派したものもあるかもしれません。

 日蓮という僧は徹底して「理証・文証」を重視していました。御書と言われる遺文には、多くの経典や釈論の文言が引用されていて、理論体系としても申し分ないほどの構築をしていたと思います。しかしその日蓮の門下の中でさえ、五一相対という事で分裂し、日蓮正統を自任する日興師の門下であっても本六と新六の間の不協和音すら起きていました。

 教学的な論理ではありません。人の世の常として「正しさ」を求めると、そこに必ず分派が起きて、闘争が起きるものと理解すべきでしょう。

 そもそも「経文の一句」でさえ、同じ経文であったとしても様々な解釈が起きてしまいますからね。文字という媒体自体、どれだけ不完全なものであるのかは、このブログでも前の記事で幾つか書いてきました。

 日蓮門下が大好きな言葉で「折伏」というのがありますが、これは絶対的な正義の論理の下に、相手の理論を端折り、屈服させるという意味があります。僧侶の間でやるのは良いですが、こんな事を広くやれば、それこそ人は闘争心むき出しにした小競り合いが頻発するというものです。

 日蓮が時の権力者と闘争し、同じ仏教界の僧侶に折伏をかけてたという姿勢があったが故に、日蓮門下には「独特な」人達が多くいたのではないでしょうか。

 それは戦前にアナーキストと呼ばれ、二二六事件の皇道派青年将校の理論的指導者であった北一輝。元身延派の僧侶で還俗し、国柱会を設立し「八紘一宇」という言葉を語った田中智学。世界最終戦争論を提唱した軍人の石原莞爾。創価学会の牧口会長は国柱会にも接近した事がありますし、日本皇道立教会にも参加していた事は近年になり知られる事にもなりました。
 そしてその牧口会長の下でスポンサー的な役割をした、戸田城聖。そして戸田城聖の作り上げた創価学会を引き受けた池田大作。
 大石寺の信徒団体で、カルト教団として今の問題を起し続ける顕正会。などなど。

 簡単に上げるだけでも、これだけの事がありますよね。

 思うに「正しい法」というのは「幻想」だと理解すべきでしょう。

 もし問われるとするならば、「正しい法」ではなく「正しい生き方」の方が重要だと思いますが、どうでしょうか。

 「では正しい生き方とは何か!言ってみろ!」

 なんて言葉もありそうですが、そんなのは各自が自分の人生の中で思索を重ねて生きて行く中、一人ひとりが見つけるしかないでしょう。何故なら生きる環境、そして為すべき事、それらは一人ひとり異なる事なのです。ただそれを見つける際のヒントとなる一つの思想が仏教であり、場合によっては日蓮が残した思想なのかもしれません。

 私が創価学会の活動から身を引いて十年以上思索して、この様な考えて今は生きています。

 人生には大事な事が沢山あります。
 「正しい法」とか「その法を護持している自分達の組織」なんてものに振り回されているほど、時間的な余裕は人生には存在しません。「人生五十年~いまは八十年かもしれませんが~下天の内をくらぶれば、夢幻の如くなり」ですからね。

以上


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