JJblueの花道は

どうしようもない私の生き様日記

卵巣嚢腫手術と術後

2024-05-30 16:46:00 | 卵巣嚢腫
卵巣嚢腫の手術の続き。

手術室が冷蔵庫みたいに寒かった。
手術が始まる時は狭い手術台に乗り、オペメンバーがたわいもない会話をしてくれていて、お腹全体に冷たい液体で消毒が行われた。
私はアルコールアレルギーだからアルコールが使えないので、それに変わる何かを塗ってくれていた。

看護師に点滴をされ「10秒をゆっくり逆から数えてくださいね。」

私は声に出して「10.9.8.7.6.5.4.3....」とカウントし、気づいたら手術は終わっていた。

お腹に3kgのガスを入れお腹の中を空洞状にして行われ、お腹はパンパン。

気づいたら担架でエレベーターで部屋までの移動の最中だった。

移動中、体が寒い、と看護師に伝えたいけど声が振り絞っても出ず
「い、、、い、、、あ、、」
としか出せなかった。
移動の時には母も一緒にいて

「頑張ったね、おわったよ、大丈夫?」とか母は言ってたけど、まだ少し頭がぼーっとして、とにかく寒くて聞き取る余裕はなかった。

部屋に運ばれて担架からベッドに移動させられ、声を振り絞って言った。

「寒い!」「寒い!」「お願い!」

母が私の額に手を置き看護師に
「こんなに冷たくなることあるんですか?すごく冷たくなってます。」とすすり泣きながら看護師に伝えていた。

するとリエゾンチームも集まり看護師が電気毛布を持ってきて、電気毛布で私の体を包んだ。

電気毛布は表面が温かくても体の芯が寒すぎるのだ。
その間も母の我慢しながらも、すすり泣く音が聞こえていて、母は私に近づいてこう言った。

「お母さん明日仕事だから帰るね。JJblueと約束したもんね。
お母さん帰るからね。」

母は私の頬をさすって言った。

私は「大丈夫、ありがとう、ごめんね。」
寒さのあまり歯がガタガタ鳴ってたので伝わってたのかは分からない。

リエゾンチームの中を取り仕切るリーダーみたいな貫禄のある頼もしい女性が言った。
「彼女は睡眠薬を服用してるから、すぐに(なんちゃらかんちゃら)」と。

私はドクターには母に安定剤や睡眠薬の服用をしていることは内緒にして欲しいと言ってあったが、その人に伝わっていたのか分からない、
ただそこに母がいるんじゃないかと心配して、うまくしゃべれない私は精一杯に

「眠れないときだけなので!!」と強く言った。

多分、手術前夜から当日まで睡眠薬は飲まず一睡もしてないから、点滴から睡眠薬を投与したのだと思う。

そこから私は意識がなくしばらく眠り、一度目が覚めたものの体の冷たさは取れ、体は熱く、また翌日の朝まで眠った。

そこから二日後にカテーテルを取り、それと同時に歩くリハビリや食事を摂り始め、6日で退院することになる。

退院日になってもうまく歩けず、体を真っ直ぐにすらできなかった。
都内から郊外の自宅までタクシーでなんとか帰宅した。

腹腔鏡手術と言っても、私は嚢腫を取り出しただけではなく、破裂した方の嚢腫が飛び散った箇所を電気メスで数十ヶ所、焼いている。
だから痛みや回復が遅かった。

退院してすぐ社長から電話があり在宅での仕事依頼がきたが、まだ呼吸も苦しく、話すのもきついまま事情を話し断った。

まともに座ることもままならなかったからだ。
トイレにいくのもやっとだった。

もちろん、病院から言われていた復帰日まではまだ先だった。

しっかり体の痛みがとれ、呼吸も通常通りできたのは退院から13日目だったと記録している。

私はそれでも復帰日待たずに仕事に戻り、通常をスタートさせていた。

この時のメンタルは母への申し訳なさで悲しく落ち込んだが、仕事に対してや抑鬱状態といったものは一切なかった。

手術という、【タスク】が1個終わった、はい、次。ってくらい。

ストレスは子宮や婦人科系に来ると言う人もいたが、まったく気にも留めてなかった。
運でしょ。くらいな。

最後に、私の女性の担当医の素晴らしい熱意と情熱にとても感謝している。
本当に素晴らしい女医だった。
次にまた何か婦人科系の病気をしたら、絶対その先生にお願いしたい。
その時まで現役でいてくださることを願ってやまない。

退院前夜に女医に呼ばれ診察室を訪れた。手術がきれいに上手く言ったと手術中の動画を見せながら説明してくれた。
そして最後に【あなたは本当によくここまで頑張った】と言葉をかけてくれた。

手術翌日には現場を引退した院長先生も様子を見にきて下さり、励ましの言葉をかけてくれたことに感謝している。

ここの病院を受けたのはセカンドオピニオンセンター(ヒルズ会員と、その家族や紹介者のみが受けられる、いわば特殊で特別な機関)だった。
その時の診察がここの院長で一刻も早く手術をしようと勧めてくれた方。

本当にあそこの病院には感謝をしている。安心して病気や手術のことは一切の不安もなく任せられたのは、あの病院だったからだと確信している。

長くなったな。
でも、これも記録として。

婦人科病院

2024-05-16 08:56:43 | 卵巣嚢腫
昨夜は憂鬱がひどく予定時間よりすこし早く薬をのみ眠りに入った。

半分の量になった薬はあってるみたいで、寝起きの怠さや眠けも半分になった。

今朝は8:15のアラームで起きて婦人科検診と骨量測定、3ヶ月ごとに渡されるジェナゲストをもう。

15分前に来ても受付は11番目。
大きい病院はこれだから苦手。

受付が済み確認されたが骨量測定は今日じゃなかったかも。

さらに3ヶ月後の8月に伸ばしてもらった気もする。
どちらにしても今日は骨量測定は予約でいっぱいのようだった。

子宮頚がん検診、やるしかないな。
イヤなことをやるから、それと引き換えに今日1日憂鬱じゃない日になりますように。

本当にあんなんで1日過ごすのはきつすぎる。

早く終わらないかな。
早く終わらせて、早く帰ろう。

卵巣嚢腫 続き

2024-05-09 12:44:10 | 卵巣嚢腫
以前の卵巣嚢腫の手術について書いた記事の続き。


正義感と情熱、優しさを持った女医から手術に空きが出来た連絡を夜遅く受け、迷いなく「おねがいします!」と返事をした。

実は母親に卵巣嚢腫があり、ひとつはすでに破裂してることを言えないでいた。

しかし同意書が必要で、言わざるを得ず、母に同意書と付き添い人のお願いと病気の報告の電話をした。

ギリギリまで電話ができなかった。
母が悲しむことが嫌で。

電話をかける。
母が出て今回の説明とお願いをした。

母は心配と驚きで泣いた。
そしてこう言った。

「あなたはお母さんが心配するから言えなかったんだね。お母さんはいつもあなたが心配で、お母さんが心配性だから、言えなかったんだよね。お母さんのせいだね。ごめんね。ごめんね。」と。

私も堪えていた涙が出て泣いた。

「お母さんに心配かけたくなかったのに、こんなことになってごめんね。東京まで遠いいのに、ごめんね。」 
と言った。

年老いた母はまだ工場で働いている。
こんな年になってまで、母に迷惑をかけることが苦しかった。
母には休みの調整をして1日、手術の当日だけいてもらえるようにお願をいした。 

あとは先生やナースたちがいるからこれ以上の安心はないから、お母さんも安心して病院の皆様に私を預けて、手術が終わったらすぐ翌日の仕事のために戻ってね。
3時間くらい帰宅までにかかるんだから。

そう言って、退院まで側にいたいという母の気持ちを説得した。

手術前のいつか、母が上京して先生から手術についての説明を受ける。

先生にはこれまで不眠症や精神安定剤を飲んできていることは言わないで欲しいとお願いした。

そしてまた数日後、手術当日に母は上京してくれた。

手術前夜、いくつか検査をし、食事は摂らず下剤を二回飲む。

が、私の場合はナースいわく、血圧が低すぎて、一回しか下剤が飲めないとのことだった。

不眠症の私は結局一睡もせずに手術当日を迎えた。

不眠症とメンタルの薬を飲んでいたため、エリゾンチームが組まれた。これは医者と精神科が連携して患者を支えてくれるチーム。
ありがたかった。

【引用】
“リエゾン”とはフランス語で「連携・橋渡し・つなぐ」を意味する言葉です。 精神科リエゾンチームは、身体疾患で入院中の患者さんが何らかの精神心理面の問題を抱えた場合に、精神医療と身体医療をつなぎ、担当各科の医師や看護師と「連携」しながら支援を行っています。

手術は朝9時か10時からおこなわれた気がする。もう少し早かったかな。

手術時間は5~6時間だった気がする。手術後、麻酔から目覚めるため、一時間くらい手術室近くの部屋で待機させられている時間も含む。

手術は腹腔鏡手術。だが、途中で開腹手術に切り替える必要がある可能性があった。そのとき、母の同意書が必要となるため、手術室前で何時間も母は待っていた。

その時の母の気持ちを思うと、いたたまれなく、苦しく、手術をうける自分より痛みをともなっただろう。
苦しかっただろう。

娘に対して何もできなく、ただこうして固い手術室の前のパイプ椅子に座り、ただただ祈っていただろう。

そして母の中でたくさんの後悔をしてしまっただろう。。

本当に一番苦しかったのは母にこんなことをお願いしなければ、いけないことだった。


つづく



卵巣嚢腫

2024-04-30 13:00:00 | 卵巣嚢腫
5年前に卵巣嚢腫がふたつできた。
8.6cmと5.7cm。
仕事が止められず仕事をし続け、当時は撮影のプロジェクトをしてたから、朝早くから夜遅くまであちこち行ってた。

ある日、微熱が出て胃が痛く、病院で胃腸炎だと言われた。

治っても熱が下がらず内科を訪れたら、今度は婦人科に行くように言われ、そこで卵巣嚢腫が見つかった。

5cmを越えたら摘出手術ができると言われたが、仕事優先の私は今は無理だと伝えた。

ある日、お腹がやけに痛かったけど我慢できた。
そして定期検診に行った時に言われたのが8.6cmの嚢腫が破裂している、と言うことだった。
その時ははすでに傷みはなかったから、それでもプロジェクトが終わるまでは手術は待って欲しいと伝えた。

プロジェクトが終わり、私は社長に状況を伝え入院し、手術をすることになった。

ただ病院側でも手術が立て込んでいるため、キャンセルや空きがでたらドクター自身から私の携帯に連絡をします、と言われた。
大好きな正義感のある女医だった。

2週間くらいだろうか、夜の11:30すぎにドクターから電話がきた。
『明後日、空きができたからこれますか?』と。


つづく