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ちょっと日が経ちましたが、気力体力チェックと称した「越年キャンプ」の報告をしておきましょう。(ログが途絶えると又、安否確認がきそうなので)
かつては毎年の恒例行事であった摩耶山(標高701m)でのお正月の越年キャンプ、今回は9年振りの参加となりました。大晦日に新幹線で新神戸、摩耶山登山後、黒岩尾根でキャンプ・初日の出を拝んで、天上寺初詣の後に下山、すぐ新幹線で帰路という弾丸ツアーとなり、正月の三ヶ日は快い筋肉痛をたっぷり味わいました。短い時間でしたが、古いメンバーとその家族たちと旧交を暖めることができたのは何よりの喜びでした。遊歩に乾杯!です。背負子で親父に担がれてこの正月遊歩に連れてこられていた幼子が、私の背丈を越えた立派な青年に! そりゃ〜歳も喰うはずですな。
会を設立した当初は、満足な経験・知識や装備もなく、ただ単に寒さに耐える我慢比べのようなイベントでした。
本年も山頂にはご来光を待つ多くの人の中に、上半身裸でご来光をバックに(ユーチューブ用の撮影か?)ダンスを披露する元気な若者も居ました。思い返せば、こういった輩に近い気分(ちょっと傾いた感覚)だったのでしょう。それと高価な♯0のダウンシュラフにまだまだ手が出なかったことも大きな要因ですが。
満足な専用のテントや装備もなく、中には家庭用の毛布を担いでくるメンバーもいました。それでもやはり真冬の山頂は寒い、眠れない。屠蘇用のお酒を全部飲み干して、酔いの勢いで寝てもすぐに寒さに叩き起こされる。結局は徹夜のような状態で、(恵まれれば)ご来光を拝み、その足で天上寺へ初詣した後は、メンバーそれぞれの出身地自慢のお雑煮をいただき、昼までに三々五々の解散です。
只これだけのことでしただが、やはりこの日でないと味わえない大切な遊歩会でのセレモニーだったようです。
遊歩会は元々は、モダンダンスチームの山上パフォーマンスイベントから出発したサークルで、「歩く」ことを自身の表出とすべく、舞台を六甲山とした仲間が集った。大袈裟に言えば「歩きは芸術だ!」というような出発点からスタートしたもので、一般の山岳クラブやハイキングサークルとは一線を画していた。(とは言え新入会者は、皆んなただハイキングを楽しむ目的で参加していたと思いますが…)
などとそんな風に格好良く、整然と言い切るのはちょっと照れ臭い。こういう言い草も後付けにすぎない。実際のところは、ただ狂ったように歩いていただけで、なぜこれほど狂おしいのかを必死に自問自答しつつ、その因果を探るためだけに歩き回っていたに過ぎなかったのが本当のところでしょうか、今振り返れば・・・。その辺りは遊歩日誌を参照くだされ。
まあ、実際どんなくたばり方かも不明なので、あれこれ想定しても詮無いことだが、自分の幕引きを考え出すと妙に面白いところもあります。
「直葬」から「散骨」のストーリーですが、その舞台として六甲山でも可能なのか? 今回の越年キャンプは、そのリサーチを兼ねての「終活遊歩」でもありました。これについても折々記していきましょう。
【追記】このリサーチで粗方、決まったエンディングストーリーは、山岳ミステリー小説「つたなき遊歩」の中に反映させていただきました。死者となった主人公が一人娘を六甲山に誘って行く話です。アマゾンでキンドル出版いたしました。
■遊歩調査関連記事
遊歩資料館アーカイブ(2010年収録)に目次があります。
●新しいブログを作りました。ぜひ、お立ち寄りくださいませ。
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ちょっと日が経ちましたが、気力体力チェックと称した「越年キャンプ」の報告をしておきましょう。(ログが途絶えると又、安否確認がきそうなので)
●自己の表出としての遊歩
かつては毎年の恒例行事であった摩耶山(標高701m)でのお正月の越年キャンプ、今回は9年振りの参加となりました。大晦日に新幹線で新神戸、摩耶山登山後、黒岩尾根でキャンプ・初日の出を拝んで、天上寺初詣の後に下山、すぐ新幹線で帰路という弾丸ツアーとなり、正月の三ヶ日は快い筋肉痛をたっぷり味わいました。短い時間でしたが、古いメンバーとその家族たちと旧交を暖めることができたのは何よりの喜びでした。遊歩に乾杯!です。背負子で親父に担がれてこの正月遊歩に連れてこられていた幼子が、私の背丈を越えた立派な青年に! そりゃ〜歳も喰うはずですな。
会を設立した当初は、満足な経験・知識や装備もなく、ただ単に寒さに耐える我慢比べのようなイベントでした。
本年も山頂にはご来光を待つ多くの人の中に、上半身裸でご来光をバックに(ユーチューブ用の撮影か?)ダンスを披露する元気な若者も居ました。思い返せば、こういった輩に近い気分(ちょっと傾いた感覚)だったのでしょう。それと高価な♯0のダウンシュラフにまだまだ手が出なかったことも大きな要因ですが。
満足な専用のテントや装備もなく、中には家庭用の毛布を担いでくるメンバーもいました。それでもやはり真冬の山頂は寒い、眠れない。屠蘇用のお酒を全部飲み干して、酔いの勢いで寝てもすぐに寒さに叩き起こされる。結局は徹夜のような状態で、(恵まれれば)ご来光を拝み、その足で天上寺へ初詣した後は、メンバーそれぞれの出身地自慢のお雑煮をいただき、昼までに三々五々の解散です。
只これだけのことでしただが、やはりこの日でないと味わえない大切な遊歩会でのセレモニーだったようです。
遊歩会は元々は、モダンダンスチームの山上パフォーマンスイベントから出発したサークルで、「歩く」ことを自身の表出とすべく、舞台を六甲山とした仲間が集った。大袈裟に言えば「歩きは芸術だ!」というような出発点からスタートしたもので、一般の山岳クラブやハイキングサークルとは一線を画していた。(とは言え新入会者は、皆んなただハイキングを楽しむ目的で参加していたと思いますが…)
●遊歩とは自分の中に降りていく行為
暗黒舞踏の土方巽は、自らの舞を「己の肉体に降りていく」と表したが、私たちの遊歩もこれに近い感覚があります。頭や言葉で自然の何たるかを語るのではなく、日本人として最も土俗性の根幹にある背山、山河や渓谷というフィールドを無心に歩き、彷徨う様は正しく「自然の下に降りていく」行為そのもので、自然に在ることによって、より自分で在ることができる。その実行のための奮闘するのが遊歩だったのでしょう。などとそんな風に格好良く、整然と言い切るのはちょっと照れ臭い。こういう言い草も後付けにすぎない。実際のところは、ただ狂ったように歩いていただけで、なぜこれほど狂おしいのかを必死に自問自答しつつ、その因果を探るためだけに歩き回っていたに過ぎなかったのが本当のところでしょうか、今振り返れば・・・。その辺りは遊歩日誌を参照くだされ。
●終活のステージとしての六甲山?
この9年ぶり越年キャンプを敢行させた、もう一つのモチベーションとして「終活」があります。「終の時」にまつわるあれこれの中で、家族ためにも葬祭いう実務に関しては、しっかりした構図を描いて、伝えておかなければと思ってのことでありました。「葬式も墓も不要!」と家族には言ってはいますが、その言だけでは、いざその段になって家族は戸惑うのは必定でしょう。ちゃんとしたエンディングメッセージというか手順表を残しておく必要があるだろう。まあ、実際どんなくたばり方かも不明なので、あれこれ想定しても詮無いことだが、自分の幕引きを考え出すと妙に面白いところもあります。
「直葬」から「散骨」のストーリーですが、その舞台として六甲山でも可能なのか? 今回の越年キャンプは、そのリサーチを兼ねての「終活遊歩」でもありました。これについても折々記していきましょう。
【追記】このリサーチで粗方、決まったエンディングストーリーは、山岳ミステリー小説「つたなき遊歩」の中に反映させていただきました。死者となった主人公が一人娘を六甲山に誘って行く話です。アマゾンでキンドル出版いたしました。
■遊歩調査関連記事
遊歩資料館アーカイブ(2010年収録)に目次があります。
キンドル出版にて、 山端ぼう:著「つたなき遊歩・ブラインドウォーカー」を出版いたしました。 遊歩大全をバイブルとして六甲山を巡り歩いた老いた遊歩人とブラインドサイト(盲視)という不思議な能力をもつ全盲の青年とが、巻き起こすミステリアスな物語です。六甲全山縦走から穂高縦走へ・・・ 続きは・・・ |
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