徒然なる写真日記

趣味に関する事や、日々の中での出来事を脈絡もなく貼り付けていく絵日記帳ブログです

2024会津祇園祭・子供歌舞伎/大屋台運行

2024-08-27 18:26:08 | 福島景勝地/裏磐梯
2024 7/22 例祭 福島県南会津町田島

7月の会津祇園祭 例祭・宵祭りの子供歌舞伎と大屋台運行です

会津田島祇園祭屋台は時間ごとに芸場とよばれる家の前で停まり、そこで子供歌舞伎が上演されます。子供歌舞伎は江戸時代末期から上演されていましたが、一時「学制」の制定などで禁止になり、しばらくは地元の青年会による歌舞伎が上演されていましたが、屋台での子供歌舞伎の伝統を蘇らせようと平成6年に約120年ぶりに復活。歌舞伎で人気の演目2つと南会津で実際に起こった出来事をモデルにした演目2つの合計4種類の中から上演されるようになりました。

一谷嫩軍記須磨の浦の段
源平合戦のエピソードの一つ。源氏の武士・熊谷直実と平家の若武者・敦盛が戦場で遭遇する。その時、敦盛の許婚・玉織姫は愛する敦盛を探し須磨の浦に迷い出る。


お祭りで大屋台や山車が使われるのは、疫病や祟りを祓ってくれる神様に楽しんでもらう為に始まりました。
会津田島祇園祭では本屋台、中屋台、上屋台、西屋台の4つの大屋台(出し物、山車の事)があり、22日と23日の2日間運行します。大屋台にはたくさんの子供たちを乗せ、運行は夜まで続きます


「オーンサーンヤレカケロ」と大屋台に乗る子供たちの掛け声が響き渡ります。この掛け声の意味ですが幾つか説があり、どれが正式という事はないそうです。そのうちの一つは、オーンサーンというのはオジサン、おっさんの事で、ヤレカケロは早く駆けろという意味。大屋台の押し手への応援と言われています。




絵本太功記 十段目尼ケ崎庵室の場 西屋台


本能寺で織田信長を殺害した明智光秀の物語です。


本能寺で主君を討った光秀が、尼ケ崎の閑居にひそむ宿敵久吉をねらって竹槍を突き入れた。しかしそこにいたのは光秀の母。身替りに竹槍を胸に受けた母は、息子を主殺しの人非人と責めたてて息を引き取る。戦場で深手を負って戻った光秀の息子十次郎も絶命。
親と子を一時に失った光秀。逆賊非道の報いは重い。





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