2009/12/27 留園見学の後、2Km先の虎丘景区へ
桐徑北路に出てさらに北進するとT字路に。
高架橋の道路とその向こうには鉄道線路がある。目的地は線路の向こう側に行かねばない。
左折しとりあえず西側に道沿いに進む。古い住居が取り壊され整地されたような後が広がっている
虎丘路という道路に出て北進すればいい訳だが・・
この区画の中は庭園かと思ったが新築のアパートか分譲中の集合住宅のようだ。 こちらでは~園とか~苑、~新村という名前は集合アパート(それもかなり大規模)か住宅街の1区画のようで、塀で囲まれており入り口に守衛か検問所?見たいな物がある
少し行くと高架橋の道路を横断する歩道橋があった。
渡って向こう側に行ってみる事とする。 道路は幹線道路で高速道路にアクセスしているようだ。
歩道橋から見た幹線道路。交通量も多く中国も車社会が浸透してきたようだ。反対側に下りるとバス停があるのみでその先歩道はない。
車専用道路で、その先の鉄道も横断する道路がない。仕方なく引き返す
少し戻ったところに虎丘路へのアクセスする階段が。
幹線道路と鉄道の下を通っていた訳だ。mapにはそこまで記載
されてないから判らないよ。
かなり道草を食ってしまい到着に1時間近くかかる。後500m
呉中第一山 とかかれたまだ比較的新しい門。 この近くのチケット売り場でチケット購入 40元
虎丘も回りを運河(堀)に囲まれている
橋を渡って左側は飲食店街
入り口。寒山寺と同じく黄色い壁が続く
チケット裏面の案内図
世界遺産にはなっていないが
中華人民共和国が指定する国家レベルの全国重点文物保護単位
国家AAAA級旅景区
《見所スポット》雲岩塔、剣池、試剣岩、千人岩、断梁殿、万景山荘、
第三泉、真娘墓など
正面に南大門入り口。その向こうにそびえる虎丘塔
(コラム)
虎丘は、既に2000年程の歴史を持つ「呉名第一の名勝」と称されている.
虎丘は寒山寺の北、山塘街の海涌山とも呼ばれる高さ36メートルの
丘で、太古の時代には海中の小島であった。
春秋時代の最期に呉王の夫差(ふさ)が父の闔閭(こうりょ)を埋葬した
ところである。伝説によると、埋葬された3日後に白虎が墓の上
にうずくまっていたところから虎丘と名付けられたと言う。
総面積 200,000㎡(60,606坪)
唐代の大詩人・蘇東坡はこの虎丘を称えて”到蘇州不遊虎丘乃憾事也。”
(蘇州に来て虎丘の観光をしなかったら、何とももったいないことだ。)と言わしめたとのこと。
門を入ったところに運河が流れ、そこで船に乗る事もできる。船頭が舟をこいでくれる「小木船」だ。4人乗りで、15分ほどの船旅を楽しむ事ができる。
園内は広々としていて、ゆっくりとした坂を上っていく
大きな一枚岩「千人石」は1000人もの人々が高僧の説法を
聞いたといわれるところ。また別説では、呉王の墓の造営に携わった
千余人が墓の秘密が漏れないようにと皆殺しにされ、その血で石を染めたという言い伝えもある。
丘の中腹にある「剣池」は王の遺品として3000本の剣が埋葬された
場所。秦の始皇帝や呉の孫権が掘り起こしてみたものの、剣は発見され
ず、大きな穴が残り、池になったと伝えられる。
虎丘塔の下に池があり、自然石に彫られた『虎丘剣池』と朱書されてい
る。書家として第一人者と言われる唐代の「顔真卿」の筆によるもので
、数多い中国磨崖の碑の中でも屈指の作と言われ、春秋時代の呉王
闔閭の墓地であったと伝えられている。呉王は剣が好みだったので、
葬る時に専諸・魚腸など三千本の剣を副葬したと言う。この剣池は長方形で、
深さ7mの泉水池だそうだ。
有名な中国のピサの斜塔と呼ばれている雲岩寺塔(虎丘塔)。400年前から地盤沈下のため傾き始め、現在は北に15度傾いている
楼閣式に模した、八角形で七層、 高さは47.5メートル。煉瓦(レンガ)作り。
959年(五代の周)に着工。北宋の建隆2年(961)に完成。今迄、何度も(7回?)火災に遭遇した。
建隆二年:日本では平安時代「枕草子」また「源氏物語」が書かれ、神聖ローマ帝国成立頃にあたる。
古い掛軸に雲岩寺塔が描かれている
塔の北側に下りてみる。散策路が広がり、木や草木が茂る
茶畑みたいな風景
堀と塀の向こうは住宅街
丘の東側の散策路。竹林の中、日本庭園風
雪が舞ってきた。 名前から察すると、ここで書をたしなんだのでしょうか
半周して再び剣池のある広場に戻ってきた。弥武錬兵場のあたりか?
その名の通り蘇州市街が一望できる
?碑亭 古い漢文の石碑が設置されていた
茶器がある。観梅しながら茶を楽しんだところか?
棚翠山庄
入り口と同じ南門から出た。見学約1時間
帰り 通りのお土産屋でシルクのスカーフ購入。あらかじめ用意した片言の中国語セオリーと筆談で値切り成功?
帰路、虎丘路の道を間違う。 方角が怪しくなり、コンパスかナビが必要と感じた。 いいかげん疲れたのでラッキーにもタクシーを途中捕まえることが出来た。すでにに14時。 車だと10分くらいでホテルにつく。裏のスーパーに買出し、カップヌードルの昼食。
本日のウオークはこれにて終了?しようかと思ったが・・
16時になって再度出発! 加油! 行き先は・・(続く)
桐徑北路に出てさらに北進するとT字路に。
高架橋の道路とその向こうには鉄道線路がある。目的地は線路の向こう側に行かねばない。
左折しとりあえず西側に道沿いに進む。古い住居が取り壊され整地されたような後が広がっている
虎丘路という道路に出て北進すればいい訳だが・・
この区画の中は庭園かと思ったが新築のアパートか分譲中の集合住宅のようだ。 こちらでは~園とか~苑、~新村という名前は集合アパート(それもかなり大規模)か住宅街の1区画のようで、塀で囲まれており入り口に守衛か検問所?見たいな物がある
少し行くと高架橋の道路を横断する歩道橋があった。
渡って向こう側に行ってみる事とする。 道路は幹線道路で高速道路にアクセスしているようだ。
歩道橋から見た幹線道路。交通量も多く中国も車社会が浸透してきたようだ。反対側に下りるとバス停があるのみでその先歩道はない。
車専用道路で、その先の鉄道も横断する道路がない。仕方なく引き返す
少し戻ったところに虎丘路へのアクセスする階段が。
幹線道路と鉄道の下を通っていた訳だ。mapにはそこまで記載
されてないから判らないよ。
かなり道草を食ってしまい到着に1時間近くかかる。後500m
呉中第一山 とかかれたまだ比較的新しい門。 この近くのチケット売り場でチケット購入 40元
虎丘も回りを運河(堀)に囲まれている
橋を渡って左側は飲食店街
入り口。寒山寺と同じく黄色い壁が続く
チケット裏面の案内図
世界遺産にはなっていないが
中華人民共和国が指定する国家レベルの全国重点文物保護単位
国家AAAA級旅景区
《見所スポット》雲岩塔、剣池、試剣岩、千人岩、断梁殿、万景山荘、
第三泉、真娘墓など
正面に南大門入り口。その向こうにそびえる虎丘塔
(コラム)
虎丘は、既に2000年程の歴史を持つ「呉名第一の名勝」と称されている.
虎丘は寒山寺の北、山塘街の海涌山とも呼ばれる高さ36メートルの
丘で、太古の時代には海中の小島であった。
春秋時代の最期に呉王の夫差(ふさ)が父の闔閭(こうりょ)を埋葬した
ところである。伝説によると、埋葬された3日後に白虎が墓の上
にうずくまっていたところから虎丘と名付けられたと言う。
総面積 200,000㎡(60,606坪)
唐代の大詩人・蘇東坡はこの虎丘を称えて”到蘇州不遊虎丘乃憾事也。”
(蘇州に来て虎丘の観光をしなかったら、何とももったいないことだ。)と言わしめたとのこと。
門を入ったところに運河が流れ、そこで船に乗る事もできる。船頭が舟をこいでくれる「小木船」だ。4人乗りで、15分ほどの船旅を楽しむ事ができる。
園内は広々としていて、ゆっくりとした坂を上っていく
大きな一枚岩「千人石」は1000人もの人々が高僧の説法を
聞いたといわれるところ。また別説では、呉王の墓の造営に携わった
千余人が墓の秘密が漏れないようにと皆殺しにされ、その血で石を染めたという言い伝えもある。
丘の中腹にある「剣池」は王の遺品として3000本の剣が埋葬された
場所。秦の始皇帝や呉の孫権が掘り起こしてみたものの、剣は発見され
ず、大きな穴が残り、池になったと伝えられる。
虎丘塔の下に池があり、自然石に彫られた『虎丘剣池』と朱書されてい
る。書家として第一人者と言われる唐代の「顔真卿」の筆によるもので
、数多い中国磨崖の碑の中でも屈指の作と言われ、春秋時代の呉王
闔閭の墓地であったと伝えられている。呉王は剣が好みだったので、
葬る時に専諸・魚腸など三千本の剣を副葬したと言う。この剣池は長方形で、
深さ7mの泉水池だそうだ。
有名な中国のピサの斜塔と呼ばれている雲岩寺塔(虎丘塔)。400年前から地盤沈下のため傾き始め、現在は北に15度傾いている
楼閣式に模した、八角形で七層、 高さは47.5メートル。煉瓦(レンガ)作り。
959年(五代の周)に着工。北宋の建隆2年(961)に完成。今迄、何度も(7回?)火災に遭遇した。
建隆二年:日本では平安時代「枕草子」また「源氏物語」が書かれ、神聖ローマ帝国成立頃にあたる。
古い掛軸に雲岩寺塔が描かれている
塔の北側に下りてみる。散策路が広がり、木や草木が茂る
茶畑みたいな風景
堀と塀の向こうは住宅街
丘の東側の散策路。竹林の中、日本庭園風
雪が舞ってきた。 名前から察すると、ここで書をたしなんだのでしょうか
半周して再び剣池のある広場に戻ってきた。弥武錬兵場のあたりか?
その名の通り蘇州市街が一望できる
?碑亭 古い漢文の石碑が設置されていた
茶器がある。観梅しながら茶を楽しんだところか?
棚翠山庄
入り口と同じ南門から出た。見学約1時間
帰り 通りのお土産屋でシルクのスカーフ購入。あらかじめ用意した片言の中国語セオリーと筆談で値切り成功?
帰路、虎丘路の道を間違う。 方角が怪しくなり、コンパスかナビが必要と感じた。 いいかげん疲れたのでラッキーにもタクシーを途中捕まえることが出来た。すでにに14時。 車だと10分くらいでホテルにつく。裏のスーパーに買出し、カップヌードルの昼食。
本日のウオークはこれにて終了?しようかと思ったが・・
16時になって再度出発! 加油! 行き先は・・(続く)
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます