2024 11/27(水)京都市左京区上高野 蓮華寺
8:30 開門は9時からです 2~3人の開門まち
帰命山(きみょうざん)と号する天台宗の寺である。もとは七条通にあったが、応仁の乱後荒廃していたが、寛文2年(1662)、加賀前田藩の今枝近義が父の菩提を弔うため現在の地に再興した。本尊は釈迦如来像。
再興の際に狩野探幽、木下順庵、隠元禅師など当時の著名人が協力したと伝えられ、高野川支流の水が満ちる池に鶴亀の島を配した庭は石川丈山作と伝えられる
お堂の柱を額縁に見立てて庭をながめる
右:鷲の杉戸
御本尊とスリッパに履き替えて回る本堂の周辺は撮影禁止。仏さまへの最低限の礼儀は守らなくてはなりません
本堂前に六角形急勾配の笠をつけた蓮華寺型石灯籠があり、茶人の間で有名・・見るの忘れた
書院の東側から、清流を導いた奥行きのある池泉廻遊式で石川丈山作とも伝える。亀頭石、舟石が池に表情を与えている
亀島は石橋で岸と繋げられている。現存するのは亀の頭部に相当する亀頭石のみであり、手や足にあたる石組は荒廃により失われた[。亀島のの側面によりそうように立てられた立石によって鶴の姿があらわすのが、鶴石である。回遊式庭園と鑑賞式庭園の双方の特徴を備え、かつ桃山時代風の鶴亀蓬莱庭園の特徴を備える当寺の庭園は江戸時代初期の庭園の様式をよくあらわしている
池の右手前には舟石と呼ばれる、舟をかたどった石が配されている。舟石を置く庭園は稀少であるが、舟石を置く庭園のほとんどでは出舟の形があしらわれているのに対し、蓮華寺の舟石は入舟の形をしている点でさらに珍しいものとなっている
舟石は書院側を向いており、仏が住む清らかな世界である浄土を此岸(しがん:この世)に見出す入舟となっている希有な舟石である。一般的には向こう岸に浄土を見いだす出舟である。
美しい苔で覆われる境内
8:30 開門は9時からです 2~3人の開門まち
帰命山(きみょうざん)と号する天台宗の寺である。もとは七条通にあったが、応仁の乱後荒廃していたが、寛文2年(1662)、加賀前田藩の今枝近義が父の菩提を弔うため現在の地に再興した。本尊は釈迦如来像。
再興の際に狩野探幽、木下順庵、隠元禅師など当時の著名人が協力したと伝えられ、高野川支流の水が満ちる池に鶴亀の島を配した庭は石川丈山作と伝えられる
お堂の柱を額縁に見立てて庭をながめる
右:鷲の杉戸
御本尊とスリッパに履き替えて回る本堂の周辺は撮影禁止。仏さまへの最低限の礼儀は守らなくてはなりません
本堂前に六角形急勾配の笠をつけた蓮華寺型石灯籠があり、茶人の間で有名・・見るの忘れた
書院の東側から、清流を導いた奥行きのある池泉廻遊式で石川丈山作とも伝える。亀頭石、舟石が池に表情を与えている
亀島は石橋で岸と繋げられている。現存するのは亀の頭部に相当する亀頭石のみであり、手や足にあたる石組は荒廃により失われた[。亀島のの側面によりそうように立てられた立石によって鶴の姿があらわすのが、鶴石である。回遊式庭園と鑑賞式庭園の双方の特徴を備え、かつ桃山時代風の鶴亀蓬莱庭園の特徴を備える当寺の庭園は江戸時代初期の庭園の様式をよくあらわしている
池の右手前には舟石と呼ばれる、舟をかたどった石が配されている。舟石を置く庭園は稀少であるが、舟石を置く庭園のほとんどでは出舟の形があしらわれているのに対し、蓮華寺の舟石は入舟の形をしている点でさらに珍しいものとなっている
舟石は書院側を向いており、仏が住む清らかな世界である浄土を此岸(しがん:この世)に見出す入舟となっている希有な舟石である。一般的には向こう岸に浄土を見いだす出舟である。
美しい苔で覆われる境内
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