*2020年は新型コロナウィルスの影響により公園は閉鎖
古くから「天下第一の桜」と称される高遠小彼岸桜は、長野県の天然記念物。 濃いピンク色の花弁が目を引く
青空に映える
遠く南アルプス連峰の残雪と稜線が見えるはずだが・・この年雪解けが早かったのか僅かにしか見えなかった
問屋門
登録有形文化財「高遠閣」
昭和11年(1936年)に、観光客の休憩所や町内の集会所として高遠城内に建てられた国登録有形文化財
木造2階建,鉄板葺,入母屋造の大規模な造り
2階は無料休憩所になっていて 窓からは公園内に広がる桜の雲海が観ることができる
元高遠城址桜問
大手門そばにある楼門はかつての追手門といわれている
公園内から出ると、風で花弁が舞っていた
進徳館
高遠藩主 内藤頼直が1860年3月創設した藩学校です。時の城主内藤頼直により開校(1860)、明治4年(1871)廃校となった。進徳館からは近代日本を動かした多くの人材を生んだ
古くから「天下第一の桜」と称される高遠小彼岸桜は、長野県の天然記念物。 濃いピンク色の花弁が目を引く
青空に映える
遠く南アルプス連峰の残雪と稜線が見えるはずだが・・この年雪解けが早かったのか僅かにしか見えなかった
問屋門
登録有形文化財「高遠閣」
昭和11年(1936年)に、観光客の休憩所や町内の集会所として高遠城内に建てられた国登録有形文化財
木造2階建,鉄板葺,入母屋造の大規模な造り
2階は無料休憩所になっていて 窓からは公園内に広がる桜の雲海が観ることができる
元高遠城址桜問
大手門そばにある楼門はかつての追手門といわれている
公園内から出ると、風で花弁が舞っていた
進徳館
高遠藩主 内藤頼直が1860年3月創設した藩学校です。時の城主内藤頼直により開校(1860)、明治4年(1871)廃校となった。進徳館からは近代日本を動かした多くの人材を生んだ
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