2016 11/8 日光 浄光寺/憾満ヶ淵
山門と参道脇の紅葉が美しい浄光寺
1200年を越す歴史がある古刹
日光開山の祖勝道上人が日光一山の菩提寺として、仏岩(山内)に往生院を創設した。これが浄光寺の起源である。延応2年(1240)には日光山本坊光明院(輪王寺の前身)と同時に、その六供浄光坊が創立され、後に往生院と合併した。寛永17年(1640)に当地に移され、現在はこの地の菩提寺である。本堂は、昭和48年に増改築されたが、内陣は江戸期のものをそのまま残している。本尊は、春日仏師作と伝えられる阿弥陀如来三尊坐像。本堂には、鎌倉時代の青石の板碑があり、弘法大師真筆と伝えられる「妙覚門」の額が掲げられているが、これも往生院との繋がりを示すものである。境内にもこの寺の長い歴史を物語る史蹟が数多くある。(案内板)
「憾満親地蔵御首」は、憾満が淵の「並び地蔵」にあった大きな石仏の頭。明治35年の大洪水で流されてしまい、後に御首を発見、ここに祀る
天台宗の寺院で足尾の龍蔵寺とかかわりがあるかな?
近くの憾満ヶ淵に行ってみた。
約70体の地蔵群 並び地蔵
山門と参道脇の紅葉が美しい浄光寺
1200年を越す歴史がある古刹
日光開山の祖勝道上人が日光一山の菩提寺として、仏岩(山内)に往生院を創設した。これが浄光寺の起源である。延応2年(1240)には日光山本坊光明院(輪王寺の前身)と同時に、その六供浄光坊が創立され、後に往生院と合併した。寛永17年(1640)に当地に移され、現在はこの地の菩提寺である。本堂は、昭和48年に増改築されたが、内陣は江戸期のものをそのまま残している。本尊は、春日仏師作と伝えられる阿弥陀如来三尊坐像。本堂には、鎌倉時代の青石の板碑があり、弘法大師真筆と伝えられる「妙覚門」の額が掲げられているが、これも往生院との繋がりを示すものである。境内にもこの寺の長い歴史を物語る史蹟が数多くある。(案内板)
「憾満親地蔵御首」は、憾満が淵の「並び地蔵」にあった大きな石仏の頭。明治35年の大洪水で流されてしまい、後に御首を発見、ここに祀る
天台宗の寺院で足尾の龍蔵寺とかかわりがあるかな?
近くの憾満ヶ淵に行ってみた。
約70体の地蔵群 並び地蔵
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