3/19 水戸偕楽園
好文亭は何回か見学したことがある。入場料:大人 190円という安さもあるが。 3階からの眺めがいい。
今回は今まで見過ごしてきた部分もじっくりと観察/撮影した。 最近、歴史ある建物とか、日本間の造りや、襖絵、
日本庭園、植栽など細かいところにも興味が沸く。京都でいろいろ見学して目が肥えてきたのかも
偕楽園の正式な入り口である旧来の表門は、敷地の北西側に位置しており、この表門は黒塗り
であることから「黒門」とも呼ばれている
下の門は好文亭入り口の中門

偕楽園の西半分を構成するモウソウチク(孟宗竹)や杉の林がある

好文亭の名前の由来は、晋の武帝の故事「文を好めば則ち梅開き、学を廃すれば則ち梅開かず」により、梅の異名を
「好文木(こうぶんぼく)」といったことから命名されたといわれている


入り口から

二層三階の好文亭と北側の奥御殿からなり、一般に全体を総称して好文亭と呼んでいます
昭和20年の水戸空襲により焼失しましたが、昭和30年から3年かけて復元されたものです

奥御殿は10の部屋からなり、各部屋の名にちなんだ襖絵が描かれている。
戦災によって1度消失してしまった襖絵の復元に携わったのは、東京芸術大学で日本画家の教授と助教授を務めた
須田氏と田中氏。
菊の間と桃の間は、いずれも総板敷きで厨(くりや:食事の準備の場所)として使用された部屋です




つつじの間、桜の間、萩の間は、藩主婦人来亭の際など、お付きの婦人たちの詰め所、休憩室として使用された





萩の間

松の間は奥対面所で、紅葉の間は、次の間である。
藩主婦人や、高貴の方々の座所で、紅葉の間との間には入側をもって隔ててある



斉昭公夫人の貞芳院が明治2年から6年まで「梅の間」を中心に住まわれた。(その後は東京に移られた。)
自来この梅の間は、亭中最貴の室とされている

好文亭は何回か見学したことがある。入場料:大人 190円という安さもあるが。 3階からの眺めがいい。
今回は今まで見過ごしてきた部分もじっくりと観察/撮影した。 最近、歴史ある建物とか、日本間の造りや、襖絵、
日本庭園、植栽など細かいところにも興味が沸く。京都でいろいろ見学して目が肥えてきたのかも
偕楽園の正式な入り口である旧来の表門は、敷地の北西側に位置しており、この表門は黒塗り
であることから「黒門」とも呼ばれている
下の門は好文亭入り口の中門

偕楽園の西半分を構成するモウソウチク(孟宗竹)や杉の林がある

好文亭の名前の由来は、晋の武帝の故事「文を好めば則ち梅開き、学を廃すれば則ち梅開かず」により、梅の異名を
「好文木(こうぶんぼく)」といったことから命名されたといわれている


入り口から

二層三階の好文亭と北側の奥御殿からなり、一般に全体を総称して好文亭と呼んでいます
昭和20年の水戸空襲により焼失しましたが、昭和30年から3年かけて復元されたものです

奥御殿は10の部屋からなり、各部屋の名にちなんだ襖絵が描かれている。
戦災によって1度消失してしまった襖絵の復元に携わったのは、東京芸術大学で日本画家の教授と助教授を務めた
須田氏と田中氏。
菊の間と桃の間は、いずれも総板敷きで厨(くりや:食事の準備の場所)として使用された部屋です




つつじの間、桜の間、萩の間は、藩主婦人来亭の際など、お付きの婦人たちの詰め所、休憩室として使用された





萩の間

松の間は奥対面所で、紅葉の間は、次の間である。
藩主婦人や、高貴の方々の座所で、紅葉の間との間には入側をもって隔ててある



斉昭公夫人の貞芳院が明治2年から6年まで「梅の間」を中心に住まわれた。(その後は東京に移られた。)
自来この梅の間は、亭中最貴の室とされている

※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます