2014 11/20 左京区一乗寺 瑞巌山 圓光寺
真如堂バス停から 「一乗寺下り松町」バス停までバスで移動、1日乗車券区間外160円払い下車、東へ徒歩10分。
14:00 圓光寺 に入る
圓光寺
慶長6年(1601年)に、徳川家康は国内数学の発展を図るため、下野之国 足利学校弟九代学頭・三要元佶(閑室)禅師を招き、伏見に圓光寺を建立し学校としました。圓光寺学校が開かれると、僧俗を問わず入学を許しました。その後、圓光寺は相国寺山内に移り、更に寛文7年(1667年)現在の一乗寺小谷町に移転されました。
入り口の 奔龍庭
白砂を雲海に見立て、天空を自在に奔る龍を石組であらわした平成の枯山水庭園。3年前はなかったような・・
3年前に来たときは12月初旬で、苔の上の赤い絨毯の敷きもみじが見事でその時の光景が忘れられず今回はやはり紅葉めぐりで外せない場所でした。
今回は赤い絨毯手前といったところでしょうか、紅葉した木々の葉が光に照らされ彩色がこれまた見事な額縁庭園
書院から見た十牛之庭
眺める位置角度、光の入り具合で少し額縁の絵の構図が変わる
十牛之庭
牛を追う牧童の様子が描かれた「十牛図」を題材にして、近世初期に造られた池泉回遊式庭園。
十牛図に描かれた牛とは、人間が生まれながらに持っている仏心をあらわしている。
牧童が禅の悟りにいたるまでの道程であり、懸命に探し求めていた悟りは自らのなかにあったという物語だ。
水琴窟
牛の石だけでなく、苔と落葉に埋もれた小さな地蔵仏も
庭を挟んで、書院対面から
応挙竹林 と洛北で最も古いと言われる栖龍池(せいりゅうち)
庭を覆う赤い照りもみじ
鐘堂を過ぎ、階段を上り、裏山へ
開基、徳川家康公を祀った東照宮がある。さらにその先には、洛北を一望することができる場所がある
栖龍池に映る紅葉
秋の陽は短く、傾き、やわらかい波長を十牛之庭に降り注ぐ
夕暮れのオレンジ色光に陽光が変わり、もう少しとどまってこの光景を眺めていたいが、次があるので・・
15:00に寺を出て、すぐ近くの詩仙堂へ・・
デジカメ動画
MOVIE CAM
真如堂バス停から 「一乗寺下り松町」バス停までバスで移動、1日乗車券区間外160円払い下車、東へ徒歩10分。
14:00 圓光寺 に入る
圓光寺
慶長6年(1601年)に、徳川家康は国内数学の発展を図るため、下野之国 足利学校弟九代学頭・三要元佶(閑室)禅師を招き、伏見に圓光寺を建立し学校としました。圓光寺学校が開かれると、僧俗を問わず入学を許しました。その後、圓光寺は相国寺山内に移り、更に寛文7年(1667年)現在の一乗寺小谷町に移転されました。
入り口の 奔龍庭
白砂を雲海に見立て、天空を自在に奔る龍を石組であらわした平成の枯山水庭園。3年前はなかったような・・
3年前に来たときは12月初旬で、苔の上の赤い絨毯の敷きもみじが見事でその時の光景が忘れられず今回はやはり紅葉めぐりで外せない場所でした。
今回は赤い絨毯手前といったところでしょうか、紅葉した木々の葉が光に照らされ彩色がこれまた見事な額縁庭園
書院から見た十牛之庭
眺める位置角度、光の入り具合で少し額縁の絵の構図が変わる
十牛之庭
牛を追う牧童の様子が描かれた「十牛図」を題材にして、近世初期に造られた池泉回遊式庭園。
十牛図に描かれた牛とは、人間が生まれながらに持っている仏心をあらわしている。
牧童が禅の悟りにいたるまでの道程であり、懸命に探し求めていた悟りは自らのなかにあったという物語だ。
水琴窟
牛の石だけでなく、苔と落葉に埋もれた小さな地蔵仏も
庭を挟んで、書院対面から
応挙竹林 と洛北で最も古いと言われる栖龍池(せいりゅうち)
庭を覆う赤い照りもみじ
鐘堂を過ぎ、階段を上り、裏山へ
開基、徳川家康公を祀った東照宮がある。さらにその先には、洛北を一望することができる場所がある
栖龍池に映る紅葉
秋の陽は短く、傾き、やわらかい波長を十牛之庭に降り注ぐ
夕暮れのオレンジ色光に陽光が変わり、もう少しとどまってこの光景を眺めていたいが、次があるので・・
15:00に寺を出て、すぐ近くの詩仙堂へ・・
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