天然主婦ブログ☆チェリーの日々平凡!

チェリーこと50代OLの千恵が、日々思ったことを綴ります。

7年前の今日。自然に逆らわないで。

2018-03-11 21:57:57 | 日記
7年前の3月11日。
わたしは当時、正社員として某販売店で働いていました。
あの日の14時半は、所用があって車でお店を離れてました。
まさか東北で大惨事が起きていたなんて、夢にも思ってませんでした。。。
東北の震災は、東海地区にも波及して揺れていたようですが、わたしは車を運転してて、揺れに気がつかず。
お店に戻ったら、社員みんな揺れに驚いていたようでした。

帰宅してテレビをつけると、震災の状況がさかんに報じられて、そこではじめて自然の凄惨さを目で知りました。

あれから7年。
わたしたちは、ふつうに生活しているのに、現地ではまだ、震災の傷は癒えていないようです。
完全には復興していないみたいで、福島の原発問題も、まだ進展していないようです。


いま、わたしたちにできること。
毎年この日前後にいつもわたしの脳裏をよぎりますが、残念ながら。。。わたし自身、まだなにができるか、わかりません。
災害当時は、できる限り募金に応じましたが、果たして、それでよかったとは、正直、思っていません。
しかし、それくらいしかできなかった、わたしがここにいます。




ただ。
地球は、わたしたちと同じく、いきもの。
地球には、安住の地なんてない。
地震、台風、大雪、火山噴火。。。
人は、その地球のうえに住んでいる。

ある人が、テレビで、こう言ってました。
自然に逆らわず暮らすこと

それが、将来いつ起きるかわからない災害に対する、いき残れるヒントになるんでしょうね。



被災地のみなさんへ。
傷はすぐには癒えないと思いますが、いつかはみんな平等にしあわせがやってくるはず。
どうか、いつまでも望みは諦めずにガンバってください。


息子、高校卒業。&わたしのスーツ着納め。

2018-03-11 00:52:01 | 子どもたち
すこし前のことですが。
息子が、高校の卒業式を済ませました。

高校時代は3年でしたが、学生として制服を着たのは、中学から6年間でした。
小学校を卒業して、中学に進学するとき、制服姿の息子をみては、
「ちゃんと、やっていけるかしら」
と心配しました。
わたしの兄は、なんとか大学までいけましたが、中学時代は勉強についていけず、親が学校からよく呼び出しをくらっていた記憶がありました。変なとこを、伯父には似て欲しくないな、と願ってました。
なんだかんだ心配しても、中学時代はとくに問題を起こさずに卒業してくれて、高校3年間は大人に成長していくにあたって、心身ともに鍛えあげられた感じがしました。大学の推薦入試が控えているときに、学祭の委員を請け負ったときは、とくにタイヘンだったと思いました。

中学時代はわたしとは紆余曲折がありましたが、高校に行き出すと、なにかとわたしに気を遣ってくれるようになり。母親に気を遣える子は、ほかの女性にも気を遣える、というもんで。

いまは、わたしにとって、自慢の息子です。

大学に通い出せば、制服とは縁がなくなるでしょうから、なんとなく、息子はあらゆる拘束から解放できたような感じがするのでは、と思います





娘の高校時代、わたしはその卒業式には参加しましたが、息子の卒業式には、本人の意思があって(笑)、参加せず。息子からは「仕事が忙しそうだから、出てくれなくていいよ」と言ってましたが、内心は、親が出てくると恥ずかしいから、出ないでくれ、ということがホンネだったと思います。




だからと言って、なんの記念すべきものがないのはどうかな?と思い。卒業式後は、家族揃って、近くの写真館で記念写真を撮ることに。

4人全員集合の写真は、はばかるところがありますので、写真館に出かける前の、自宅内で撮影した、わたしのスーツ姿の写真でご容赦ください



このスーツ、娘の成人式にも、娘と記念撮影するときに着たもの。あのときと、同じ格好です。お気に入りの服でしたが、古くなってきたから、そろそろ売りにだすつもりです。
つまり、このスーツを着て最後の撮影、ということになります。

前に着たときと変わったのは、髪が伸びたこと。さらに、髪型をウェーブにしたこと。
息子がわたしの写真編集してくれましたが、気を遣いすぎてか、髪までモザイクしてくれて(笑)

来月からは息子は大学進学。
娘は就活。
あらゆる意味で環境も変わりますが、ふたりとも、気負いせずにガンバってほしいなぁ、と思います