コラム私の見方
ムカつく奥にあるのものは
子どもたちは、なぜナイフを持つのか。
それが知りたくて何人かに話を聞いた。
19歳の少年は小学生の頃から武器関係の雑誌を
好んで読み、中学1年のときに、両親に内証で
折りたたみナイフを買った。学校に持って行き、
友達に見せたりしたが、人に向けようとは1度もなかった。
中学2年の少年は、胸のポケットにバタフライナイフを
忍ばせ、学校に持ち込んでいた。彼は小学生の頃に
いじめになって不登校になった経験がある。
「いつまたいじめが起こるかわからない。自分を守るために
ナイフを持つ 」
そう担任にナイフを持ちこんだ理由を語った。
中学生による殺傷事件が相次ぎ、ナイフ規制や学校での
持ち物検査を求める声が、大人の側で盛んだ。しかし、少年
少女たちや学校を取材をして、ナイフを持つ理由は
一様ではないことを知らされた。
言葉が豊かでない子どもの対話には、時間がかかる。
彼らが連発する「ムカつく」「きれる」。
暴力的で、不快な言葉だ。
しかし、そうした短い言葉だけを頼りに彼らの心を推し量っても
いいのだろうか。
先生や親に聞いてほしいことがあるのに、
うまく伝えられずに苦しむ子どもたちがいる。
言葉にできない思いを、何とか言葉にするために
どんな手立てがあるのか。教師だけではなく、
大人が問われているのはそこではないだろうか。
身近にナイフを持つ子どもがいたら、まずたずねて
見ることからはじめたい。
「なぜ、ナイフを手にするのか。それが君の心にある
不安や寂しさを本当に、埋めているのですか。」
(朝日新聞 1998年 3月13日付け 主張・解説欄より
一部抜粋 )
今では、ナイフではなく、持ち物がケータイに
変わったように感じる。「ムカつく」「きれる」の言葉も
以前ほど、使われなくなり、代わりに「ウザい」「KY」などの
言葉が使われるようになった。
今、多くの心にある不安や寂しさを埋めているように
見せているのは、ケータイの存在だろう。
ノリもたまにふっと誰かと話したくなる時がある。
ちょっとだけ、落ち着いて自分自身に尋ねてみる。
「誰かとケータイを使って話したら、その不安なくなるかな。」
「たとえケータイで話をしたとしても、とりとめのない話で
グダグダ話をしたところで、余計に寂しくなるんじゃないの」
会って話すのであれば、とりとめのない話であっても
意味はあるのかもしれません。相手との呼吸
そこに誰かがいて、聞いてくれること
聞いたことによって表情に出ること、周りをつつむ空気など。
ムカつきや寂しさのもっと奥にあるもの、
じっと自分との孤独に耐えられば、違うようにモノを
捉えることができるかもしれません。
でも、まだまだ、そんな寂しさに耐えられない時ノリは
電話ではなく、メールで誰かとつながりを実感しているのかも
しれません。
ムカつく奥にあるのものは
子どもたちは、なぜナイフを持つのか。
それが知りたくて何人かに話を聞いた。
19歳の少年は小学生の頃から武器関係の雑誌を
好んで読み、中学1年のときに、両親に内証で
折りたたみナイフを買った。学校に持って行き、
友達に見せたりしたが、人に向けようとは1度もなかった。
中学2年の少年は、胸のポケットにバタフライナイフを
忍ばせ、学校に持ち込んでいた。彼は小学生の頃に
いじめになって不登校になった経験がある。
「いつまたいじめが起こるかわからない。自分を守るために
ナイフを持つ 」
そう担任にナイフを持ちこんだ理由を語った。
中学生による殺傷事件が相次ぎ、ナイフ規制や学校での
持ち物検査を求める声が、大人の側で盛んだ。しかし、少年
少女たちや学校を取材をして、ナイフを持つ理由は
一様ではないことを知らされた。
言葉が豊かでない子どもの対話には、時間がかかる。
彼らが連発する「ムカつく」「きれる」。
暴力的で、不快な言葉だ。
しかし、そうした短い言葉だけを頼りに彼らの心を推し量っても
いいのだろうか。
先生や親に聞いてほしいことがあるのに、
うまく伝えられずに苦しむ子どもたちがいる。
言葉にできない思いを、何とか言葉にするために
どんな手立てがあるのか。教師だけではなく、
大人が問われているのはそこではないだろうか。
身近にナイフを持つ子どもがいたら、まずたずねて
見ることからはじめたい。
「なぜ、ナイフを手にするのか。それが君の心にある
不安や寂しさを本当に、埋めているのですか。」
(朝日新聞 1998年 3月13日付け 主張・解説欄より
一部抜粋 )
今では、ナイフではなく、持ち物がケータイに
変わったように感じる。「ムカつく」「きれる」の言葉も
以前ほど、使われなくなり、代わりに「ウザい」「KY」などの
言葉が使われるようになった。
今、多くの心にある不安や寂しさを埋めているように
見せているのは、ケータイの存在だろう。
ノリもたまにふっと誰かと話したくなる時がある。
ちょっとだけ、落ち着いて自分自身に尋ねてみる。
「誰かとケータイを使って話したら、その不安なくなるかな。」
「たとえケータイで話をしたとしても、とりとめのない話で
グダグダ話をしたところで、余計に寂しくなるんじゃないの」
会って話すのであれば、とりとめのない話であっても
意味はあるのかもしれません。相手との呼吸
そこに誰かがいて、聞いてくれること
聞いたことによって表情に出ること、周りをつつむ空気など。
ムカつきや寂しさのもっと奥にあるもの、
じっと自分との孤独に耐えられば、違うようにモノを
捉えることができるかもしれません。
でも、まだまだ、そんな寂しさに耐えられない時ノリは
電話ではなく、メールで誰かとつながりを実感しているのかも
しれません。
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