今回から、過去の自分にフォーカスして
振り返ってみたいと考えます。
さすがに、幼稚園のころに
今の自分のルーツがあると思えないので、
小学生の頃から、簡単に振り返ってみたいと思います。
入学式のことは、もう全然覚えてないです。
でも、なんだか、覚えているのは、
式から帰ってきた後に、母がお好み焼きを作っていたこと。
お道具箱を整理しながら(おはじきとか色々入っているもの)
母に名前を書いてもらっていたの、覚えています。
ホントに毎日学校に行くのが楽しいノリでした。
1年生の頃に、近所の子が、引っ越してきて、
お互い朝、迎えにいって集団登校の待ち合わせ場所に
行っていました。
とにかく、学校、近所の公園、家と
その3つでした。
兄がやっていたこともあり、水泳を始めたのも小学1年の頃です。
ドラゴンボールカード、ガチャポンに
とにかくはまっていた小学生の低学年でした。
何か物を収集する癖も、このときに出来た感じがします。
小学2年の頃から、何かと学級委員をやることも多くなった気がします。
自分の考えを黙っているより、積極的に
リーダーシップをとるようになっていた気がします。
ノリにとって、近所の公園・・みんなで16公園と呼んでいました。
そこで、多くの人間関係を学んだ気がします。
低学年の頃は、高学年の人たちに可愛がってもらい、
自分が高学年になると、低学年や下の子どもたちを
まとめて遊ぶようになりました。
4年生くらいになると、自分で新しいことをやってみたいという
気が出てきました。
3キロのマラソン大会
寺子屋での1泊2日の体験
寺子屋は、周りに自分と同じ小学校の友達がいない中での生活
環境の変化に対する楽しさはこのときに感じたのかもしれません。
小学生の時って、わりとあっという間に友達になれたり
するもんですよね。今でも、ノリがすぐ打ち解けられる理由
寺子屋での経験が、あったからなのかもしれません。
高学年になると、小学校で開かれる陸上、水泳、卓球
色んなものに挑戦するようになりました。
陸上も足が速くなりたかった
水泳も平泳ぎだったら、負けない自信があった。
卓球も友達よりも上手くなりたかった。
でも、誰かに勝つことが自分の軸にあったのだろうか。
いつも誰かと一緒に何かに取り組むことが自分は
大好きだったんじゃないかと、思う。
漠然と、こんな経験を覚えている。
2つ下の学年の友達と遊んでいて、
ジャングルジムから落ちた経験がある。
泣いて痛がっていたその子の側に
大丈夫、大丈夫と言っていた自分がいた。
何日か経った後、スーパーで買い物をしていた母が
その子のお母さんに会って感謝されたと
夕飯の時に言われた。
「特に何もしてないよ。」と母に言ったものの
なんか、ちょっとうれしくなった気がした。
誰かの役にたてたのかな、そんな実感を
今でも、わずかながら残っている。
あとは、卒業式でもらった担任の先生からの
メッセージ
ノリの宝物なので、ここにメッセージは
載せられないが、とても印象的に残っている。
自分のやっていること、
きっと誰かが見ているんだなと思えた。
誰かのため、みんなのためでも、
結局は自分に返ってくるのかなとも・・・・
こんな振り返りで、自分のルーツが見えてくるのか???
来週に続く
振り返ってみたいと考えます。
さすがに、幼稚園のころに
今の自分のルーツがあると思えないので、
小学生の頃から、簡単に振り返ってみたいと思います。
入学式のことは、もう全然覚えてないです。
でも、なんだか、覚えているのは、
式から帰ってきた後に、母がお好み焼きを作っていたこと。
お道具箱を整理しながら(おはじきとか色々入っているもの)
母に名前を書いてもらっていたの、覚えています。
ホントに毎日学校に行くのが楽しいノリでした。
1年生の頃に、近所の子が、引っ越してきて、
お互い朝、迎えにいって集団登校の待ち合わせ場所に
行っていました。
とにかく、学校、近所の公園、家と
その3つでした。
兄がやっていたこともあり、水泳を始めたのも小学1年の頃です。
ドラゴンボールカード、ガチャポンに
とにかくはまっていた小学生の低学年でした。
何か物を収集する癖も、このときに出来た感じがします。
小学2年の頃から、何かと学級委員をやることも多くなった気がします。
自分の考えを黙っているより、積極的に
リーダーシップをとるようになっていた気がします。
ノリにとって、近所の公園・・みんなで16公園と呼んでいました。
そこで、多くの人間関係を学んだ気がします。
低学年の頃は、高学年の人たちに可愛がってもらい、
自分が高学年になると、低学年や下の子どもたちを
まとめて遊ぶようになりました。
4年生くらいになると、自分で新しいことをやってみたいという
気が出てきました。
3キロのマラソン大会
寺子屋での1泊2日の体験
寺子屋は、周りに自分と同じ小学校の友達がいない中での生活
環境の変化に対する楽しさはこのときに感じたのかもしれません。
小学生の時って、わりとあっという間に友達になれたり
するもんですよね。今でも、ノリがすぐ打ち解けられる理由
寺子屋での経験が、あったからなのかもしれません。
高学年になると、小学校で開かれる陸上、水泳、卓球
色んなものに挑戦するようになりました。
陸上も足が速くなりたかった
水泳も平泳ぎだったら、負けない自信があった。
卓球も友達よりも上手くなりたかった。
でも、誰かに勝つことが自分の軸にあったのだろうか。
いつも誰かと一緒に何かに取り組むことが自分は
大好きだったんじゃないかと、思う。
漠然と、こんな経験を覚えている。
2つ下の学年の友達と遊んでいて、
ジャングルジムから落ちた経験がある。
泣いて痛がっていたその子の側に
大丈夫、大丈夫と言っていた自分がいた。
何日か経った後、スーパーで買い物をしていた母が
その子のお母さんに会って感謝されたと
夕飯の時に言われた。
「特に何もしてないよ。」と母に言ったものの
なんか、ちょっとうれしくなった気がした。
誰かの役にたてたのかな、そんな実感を
今でも、わずかながら残っている。
あとは、卒業式でもらった担任の先生からの
メッセージ
ノリの宝物なので、ここにメッセージは
載せられないが、とても印象的に残っている。
自分のやっていること、
きっと誰かが見ているんだなと思えた。
誰かのため、みんなのためでも、
結局は自分に返ってくるのかなとも・・・・
こんな振り返りで、自分のルーツが見えてくるのか???
来週に続く
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