金とリトル・ミス
特派員メモ マニラ
払うべきか、それとも。
フィリピン人の友人が迷っている。
ミスコンテストが盛んなこの国では、
日本でいう町内会ほどの地域単位で「リトル・ミス」という行事がある。
小学生くらいの女の子たちを対象にした
「子どもミスコンテスト」だ。
学校の成績がいい子たちを候補者にし、
町内会の役員たちが、得点をつけるのだという。
問題は有力候補者となった子どもの親に
本番前、わいろが要求されることだった。
友人の話だと、
「勝つためには、5千ペソ(1万4000円)くらい
払わないと、いけない」という。
フィリピン中部出身の友人は、
20代に夫を亡くし、実家の母親に娘と息子を
預けてマニラで出稼ぎをしている。
1万にも満たない月給はすべて実家に送金し、
自分は軍人だった夫の遺族年金だけで細々と生活をしている。
彼女の自慢は、10歳の娘だ。
「今年も、成績が学年トップだったの。」
と嬉しそうに話す。
写真で見ると、丸顔がとてもかわいい。
その娘が、リトル・ミス候補になった。
あとはお金を払えば、なんとかなるという。
びっくりして知り合いに聞くと、みんな
「ここじゃ、当たり前よ」と言う。
わいろのほかにも、本番用の洋服を買ったりして、
かなりの出費になるそうだ。
知人の娘は、けなげにも、「お母さん、払うことないよ。」
と言っている。
こんな小さな世界にまで、金が絡むことに驚く。
同時に毎日のように、汚職が地元紙の見出しに躍るフィリピンの、
問題の根深さを見たような気がした。
(1999年10月8日 国際面より抜粋)
自分が、この母親だったら、どっちを選択するだろうか
考えた。
亡き夫の今、息子と娘の笑顔が何よりも幸せなことだろう。
そして、学力が優秀であることから、
「ミスコンテスト」に選ばれる。
まして、娘は家計の状況を知って、出さなくていいよ、
と言ってくれる。
きっと、今の自分だったら、こんな風に言ってしまうかもしれない。
「お金のことは心配しないで。大丈夫だから。
それよりも、出場するからには、リトル・ミス目指さなきゃね。」
娘の頑張りに答えたいあげたい、心配をしてほしくない、
リトル・ミスになって喜ぶ娘の笑顔が見たい
そう思うのではないだろうか。
しかし、お金を渡すからといって、リトル・ミスになれるという保証は
どこにもない。
また、リトル・ミスになれるのも、本来の美しさではなく、
お金が結びついていると思えば、また考えあぐねてしまうかもしれない。
9月のシルバーウィークに
コント日本一を決めるコンテストとして、
「キングオブコント 2009」が行われた。
その際の審査員は、準決勝で敗れてしまった芸人100名によるもの。
持ち点が1人10点であるから、大きく動かされることはないものの、
どこか、採点には疑問を感じていた。
コンテストというと、それに関する第一人者であったり、その世界で
一流と呼ばれる人であったりする。
彼らには、少なくとも自分の中に判断基準が出来ているものだと
感じている。だからこそ、聴衆に対して、ここが良かった、悪かったという
判断を下している。そして審査員の数が少なければ少ないほど、
基準を明確にしなければならない。
審査する場合、審査員も試されているものである。
しかし、100人もの審査員がいる場合、その中で
公平にジャッジを下せるものは、どれかいるのだろうか。
たまに、画面に映る彼らの顔を見ながら、ふとどれだけ
明確に基準を下せているのか疑問に思う。
政治のみならず、一般市民まで、
お金が絡むようなことは、減らしていかなければならない。
特派員メモ マニラ
払うべきか、それとも。
フィリピン人の友人が迷っている。
ミスコンテストが盛んなこの国では、
日本でいう町内会ほどの地域単位で「リトル・ミス」という行事がある。
小学生くらいの女の子たちを対象にした
「子どもミスコンテスト」だ。
学校の成績がいい子たちを候補者にし、
町内会の役員たちが、得点をつけるのだという。
問題は有力候補者となった子どもの親に
本番前、わいろが要求されることだった。
友人の話だと、
「勝つためには、5千ペソ(1万4000円)くらい
払わないと、いけない」という。
フィリピン中部出身の友人は、
20代に夫を亡くし、実家の母親に娘と息子を
預けてマニラで出稼ぎをしている。
1万にも満たない月給はすべて実家に送金し、
自分は軍人だった夫の遺族年金だけで細々と生活をしている。
彼女の自慢は、10歳の娘だ。
「今年も、成績が学年トップだったの。」
と嬉しそうに話す。
写真で見ると、丸顔がとてもかわいい。
その娘が、リトル・ミス候補になった。
あとはお金を払えば、なんとかなるという。
びっくりして知り合いに聞くと、みんな
「ここじゃ、当たり前よ」と言う。
わいろのほかにも、本番用の洋服を買ったりして、
かなりの出費になるそうだ。
知人の娘は、けなげにも、「お母さん、払うことないよ。」
と言っている。
こんな小さな世界にまで、金が絡むことに驚く。
同時に毎日のように、汚職が地元紙の見出しに躍るフィリピンの、
問題の根深さを見たような気がした。
(1999年10月8日 国際面より抜粋)
自分が、この母親だったら、どっちを選択するだろうか
考えた。
亡き夫の今、息子と娘の笑顔が何よりも幸せなことだろう。
そして、学力が優秀であることから、
「ミスコンテスト」に選ばれる。
まして、娘は家計の状況を知って、出さなくていいよ、
と言ってくれる。
きっと、今の自分だったら、こんな風に言ってしまうかもしれない。
「お金のことは心配しないで。大丈夫だから。
それよりも、出場するからには、リトル・ミス目指さなきゃね。」
娘の頑張りに答えたいあげたい、心配をしてほしくない、
リトル・ミスになって喜ぶ娘の笑顔が見たい
そう思うのではないだろうか。
しかし、お金を渡すからといって、リトル・ミスになれるという保証は
どこにもない。
また、リトル・ミスになれるのも、本来の美しさではなく、
お金が結びついていると思えば、また考えあぐねてしまうかもしれない。
9月のシルバーウィークに
コント日本一を決めるコンテストとして、
「キングオブコント 2009」が行われた。
その際の審査員は、準決勝で敗れてしまった芸人100名によるもの。
持ち点が1人10点であるから、大きく動かされることはないものの、
どこか、採点には疑問を感じていた。
コンテストというと、それに関する第一人者であったり、その世界で
一流と呼ばれる人であったりする。
彼らには、少なくとも自分の中に判断基準が出来ているものだと
感じている。だからこそ、聴衆に対して、ここが良かった、悪かったという
判断を下している。そして審査員の数が少なければ少ないほど、
基準を明確にしなければならない。
審査する場合、審査員も試されているものである。
しかし、100人もの審査員がいる場合、その中で
公平にジャッジを下せるものは、どれかいるのだろうか。
たまに、画面に映る彼らの顔を見ながら、ふとどれだけ
明確に基準を下せているのか疑問に思う。
政治のみならず、一般市民まで、
お金が絡むようなことは、減らしていかなければならない。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます